花いかだ(松戸市坂川)
わたしの誕生月は、戸籍の上で4月である。
「なぜ戸籍上は」と断るかと云うと、実は3月生まれなのだ。わたしの父は30代後半で第一子であるわたしを持った。
「あまりに小さくて可哀想だから、4月に届け出れば、遅生まれで学校は1年遅れになる」と案配して、役所に届けたのだと母親に聞いた。
そんな届け出ができるなんて、70数年前の世の中はのんきなところもあった。
のんきな役所と云えば、わたしの三番目の妹は名前を間違って登録されてしまった。戦争中、父は東京に残って仕事をしていた。
母とわたしと妹は、新潟の母の実家へ疎開し、新潟で二番目の妹が生まれ「恵子」と届け出て受理された。
三番目の妹は「恵美子」と届け出たのである。しかし戸籍の上では「いみ子」となっており、60才を過ぎたいまでも「いみ子」である。
東京の下町っ子は、「し」と「ひ」の区別がつかないが、新潟では全てではなかろうが、「い」と「え」の区別がつかないのだ。
だから「恵美子」と届け出たのに「いみ子」となってしまったが、その届け出にはおそらく祖母が役所に行ったのであろう。
祖母は無筆の人であった。届け出用紙は役所の人が代筆してくれたのだろう。祖母は「えみ子」と発音しているつもりだったが、生粋の新潟県人であったから、「いみ子」と叫んでいたと想像される。
役場の人も生まれも育ちも新潟だから「あぁ、えみ子さんね」と思いながら用紙には「いみ子」と記入していたと思われるのだ。
野の花
4月には年がひとつ増える。そしてわたしは多分73才になったのだ。
時たま人に「いくつになりましたか」と問われることがある。突然聞かれるとわたしはいつもあわてるのだ。70を越したのは知っている。そして72だったかなぁ、73になったのかが分からないのだ。
新宿三丁目や銀座四丁目は変わることがないから、その風景も含めて覚えているのだが、自分の年は毎年変わるので、「さて、いくつだっけ」とあわてる。
それともう一つあわてるのは、日にちを聞かれた時である。「今日は何日でしたっけ」と聞かれると、とっさに出てこない。
サラリーマン時代であれば、給料日は25日で、お得意さんへの請求書の届けは、10日の所があそことあそこ、15日締めはどこそこ、20日締め、末締めはここという具合に、日々の日付は頭にあった。
だが今は違う。「燃えるごみ」は火、木、土、「資源ごみ」は水曜で、「再生できるプラスチックごみ」は金、そして「うたごえ喫茶」は第二火曜と第三水曜、町会役員会は第二火曜など、曜日で動いているのだから、日にちを持ち出されても即答できないのだ。
暗算も生まれつき苦手だから、もしなんらかの検査があったら、ちょいと問題になるのかなぁと、73才の誕生月に余計なことを思っている。