プログラム表紙
名古屋市での「暮打逃(くれのうちにげ)」公演が今回で8回目となった。
「暮れの打ち逃げ第一回目」は、2005年12月28日(日)、千種文化小劇場で行われた。
「年末ご用納めの日、人が集まってくれるだろうか」と、わたしと妻は心配しながら5年前、名古屋に向かった覚えがある。
地下鉄駅から地上に出ると冷たい風が吹きつのり、首をすくめながら大通りを辿り千種小劇場に着いた。
開演1時間以上も前だというのに、開場を待つ行列が出来ているではないか。わたしたちもその列に並らぶ。日差しはあるが風は冷たかった。
これまでに和力は、名古屋公演でさまざまな作品を創り上げてきた。
わたしが大きな衝撃を受けたのは、第五回目の音舞語り「雪女」である。
和力は「母燈路(ははとうろ)」などで物語性のある演目を模索している風がこれまでにあった。
それがどのように発展していくのか、ひとつの作品として完結していくかは「雪女」が舞台に上せられるまで、わからなかった。
みなが知っている民話「雪女」は、篠笛・三味線・筝・胡弓などに支えられ、伝統芸能の舞、狂言、語りによって、男女の愛が織りなされていく。
伝統芸能の統合によって、ひとつひとつの演目が独立しながらも、お互いに補完しあって結びつき、新たな生命を宿したのではないかと思ったのである。
その後、「和力版・牡丹燈籠」、「異聞・やまたのおろち」、「姥捨浦島」、そして今回の「涙の井戸」へとつづいてきた。
第一部は太鼓・舞踊り・笛・津軽三味線・筝・胡弓など、第二部は音舞語りが和力の定番になった。
名古屋北文化小劇場の開幕5分前
いつも和力は新しい作品を、名古屋で発表させてもらっている。
東と西の文化が混ざり合い溶けあう地域として、昔から「芸所(げいどころ)名古屋」は芸人にとって心を締める土地であるという。
芸に対して目の高い名古屋での、連続する年末公演は今年も早々と「満員御礼・札止め」となった。今年は特に早く、2週間前には札止めになり、毎年お誘いしている方々にお断りしなくてはならなかったと、実行委員の方は申しないと話していた。
和力の芸が、芸所名古屋で受止められているのだと、わたしは、ありがたく感謝している次第である。
今回の公演で加藤木朗は、「実行委員のみなさま、そして教室のみなさん、そして多くの方々がチケットをおすすめくださってこの公演が成り立ちました。舞台を支える照明・音響・道具方のみなさん、太鼓をはじめ台・座金・金物などを親身に製作してくださった会社および職人のみなさまにもお礼を申し上げます」と挨拶をしていた。
朝日新聞夕刊に「人生の贈りもの」という連載があり、今回は日本サッカー協会最高顧問 岡野俊一郎さんが「わたしの経験で言えば、人生は人と人との良い出会いに恵まれるかどうかで決まります。それはサッカーにも言えることだと思いますね」(12月28日号)と語っていた。
プレイヤー・監督・共にサッカーをやっていた友人との良い出会いが、サッカーの隆盛を築いた事を5回の連載で述べていた。最終回では「人生は人と人とのよい出会いに恵まれるか…」と、話されまとめにしておられる。
人と人との良い出会いに恵まれ、上記の方々共々に、共演者にも大いに恵まれて、和力はこれからも進化していくだろうと、アンコールの力強い拍手の中で、つよくありがたく思った。
プログラム裏面