暮れの打ち逃げ・第八弾

2010年12月31日 | Weblog
 
 プログラム表紙

 名古屋市での「暮打逃(くれのうちにげ)」公演が今回で8回目となった。

「暮れの打ち逃げ第一回目」は、2005年12月28日(日)、千種文化小劇場で行われた。
「年末ご用納めの日、人が集まってくれるだろうか」と、わたしと妻は心配しながら5年前、名古屋に向かった覚えがある。
 地下鉄駅から地上に出ると冷たい風が吹きつのり、首をすくめながら大通りを辿り千種小劇場に着いた。
 開演1時間以上も前だというのに、開場を待つ行列が出来ているではないか。わたしたちもその列に並らぶ。日差しはあるが風は冷たかった。
 
 これまでに和力は、名古屋公演でさまざまな作品を創り上げてきた。

 わたしが大きな衝撃を受けたのは、第五回目の音舞語り「雪女」である。
 和力は「母燈路(ははとうろ)」などで物語性のある演目を模索している風がこれまでにあった。
 それがどのように発展していくのか、ひとつの作品として完結していくかは「雪女」が舞台に上せられるまで、わからなかった。

 みなが知っている民話「雪女」は、篠笛・三味線・筝・胡弓などに支えられ、伝統芸能の舞、狂言、語りによって、男女の愛が織りなされていく。
 伝統芸能の統合によって、ひとつひとつの演目が独立しながらも、お互いに補完しあって結びつき、新たな生命を宿したのではないかと思ったのである。

 その後、「和力版・牡丹燈籠」、「異聞・やまたのおろち」、「姥捨浦島」、そして今回の「涙の井戸」へとつづいてきた。

 第一部は太鼓・舞踊り・笛・津軽三味線・筝・胡弓など、第二部は音舞語りが和力の定番になった。


 名古屋北文化小劇場の開幕5分前


 いつも和力は新しい作品を、名古屋で発表させてもらっている。

 東と西の文化が混ざり合い溶けあう地域として、昔から「芸所(げいどころ)名古屋」は芸人にとって心を締める土地であるという。
 芸に対して目の高い名古屋での、連続する年末公演は今年も早々と「満員御礼・札止め」となった。今年は特に早く、2週間前には札止めになり、毎年お誘いしている方々にお断りしなくてはならなかったと、実行委員の方は申しないと話していた。
 和力の芸が、芸所名古屋で受止められているのだと、わたしは、ありがたく感謝している次第である。


 今回の公演で加藤木朗は、「実行委員のみなさま、そして教室のみなさん、そして多くの方々がチケットをおすすめくださってこの公演が成り立ちました。舞台を支える照明・音響・道具方のみなさん、太鼓をはじめ台・座金・金物などを親身に製作してくださった会社および職人のみなさまにもお礼を申し上げます」と挨拶をしていた。


 朝日新聞夕刊に「人生の贈りもの」という連載があり、今回は日本サッカー協会最高顧問 岡野俊一郎さんが「わたしの経験で言えば、人生は人と人との良い出会いに恵まれるかどうかで決まります。それはサッカーにも言えることだと思いますね」(12月28日号)と語っていた。
 プレイヤー・監督・共にサッカーをやっていた友人との良い出会いが、サッカーの隆盛を築いた事を5回の連載で述べていた。最終回では「人生は人と人とのよい出会いに恵まれるか…」と、話されまとめにしておられる。

 人と人との良い出会いに恵まれ、上記の方々共々に、共演者にも大いに恵まれて、和力はこれからも進化していくだろうと、アンコールの力強い拍手の中で、つよくありがたく思った。


 プログラム裏面



 
 
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音舞語り 新作「涙の井戸」

2010年12月23日 | Weblog
 
 松戸市江戸川土手から

 ようやく冬至だ。
明日から日の出が少しづつ早くなり、日の入りも遅くなるという。
夜明けがおそく夕闇がはやく訪れるこの季節は、なにかに追い立てられるようで落ち着かず「冬至よ、早く来い」とずいぶん待っていた。

 待つといえばこの季節では、クリスマスだろうか。
わが家では、ケーキや鳥の丸焼きを食べる習慣はないし、サンタさんが潜りこむ煙突もないから、サンタさんは来てくれない。
 ましてやこの年令になると、サンタさんからの配分はなく、孫たちがサンタさんを待っているだろうと、贈り物はなににしようかと、サンタさんに代わって気がせく。

「今日から『合宿』が始まるんだって」と、携帯電話をかけていた妻がいう。信州阿智村に住む息子の朗と連絡していたようだ。
寒い季節になると市田柿が出回る。信州の寒風にさらされ白い粉をふいた干し柿である。
 全国に数ある名産の干し柿のなかで、飯田地方で採れる市田柿は、硬くも軟らかくもない適度な粘りをもって、口中でとろける。

 この市田柿は、朗の友人である生産農家に毎年注文して送り届けてもらう。わたしたちが住む松戸市でも市田柿のファンがたくさんになった。

 妻は職場で朗農園で出来たお米もたくさん買ってもらっている。長野のリンゴ「サンフジ」も朗のリンゴ栽培の友人に、たくさん注文してもらっている。

 妻は今年9月、職場で転んで入院をした。今はリハビリに通って、労災で職場を休職させてもらっている。
 だが、今までのように、お米も、リンゴも、ずいぶん職場の方々が、注文してくださった。

 年末を控えて、職場のみなさんは「市田柿は今年どうなる」と電話で問い合わせてくださり、ついに職場ごとに取りまとめをしてくれる人も出て、昨年と同じ位の注文になった。


「12月28日には、職場に届けたいが大丈夫か」と、朗に念押しの電話を入れていたのだ。
 それで本日から和力メンバーが、朗宅に集まって「合宿」することを知った。



 12月26日(日)は、名古屋市北文化小劇場で、恒例「和力 暮打逃(くれのうちにげ・第八弾」が開催となる。
 宣伝チラシでは、第一部「太鼓 舞い踊り 笛 津軽三味線 筝 他」とあり、第二部は「乞うご期待」となっていて演題はない。

 ’08年の「暮打逃・第6弾」では、第二部に音舞語り(おとまいかたり)「雪女」が登場した。
 楽器と舞いそして語りが統合され、伝統芸の新たなる創造に和力が手を染め始めた。
以後「和力版・牡丹燈籠」、「やまたのおろち・異聞」、「姥捨浦島」と音舞語りの作品が創作された。
 
「今年の音舞語りは、新しく創りあげるのか」と聞くと「そうだ」という。
 メンバーとはすでに構想は打ち合わせ済みで、12月4日(日)に松戸市で第一部のリハーサルをやって、冬至から公演日までの4日間は、主に第二部の新しい作品づくりに力を入れるという。

「第二部の音舞語りは『涙の井戸』と名づけた」と朗が言った。稽古の進行を邪魔してはいけないと、内容は聞けなかったが、興味をもって名古屋に向かうことになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師走になって

2010年12月16日 | Weblog
 
 うたごえ喫茶

 12月も半ばを過ぎた。暖かく凌ぎやすい日がつづいている。
 日が暮れるのが早くて、午後4時半にはとっぷりと暗くなる中、街灯に照らされ小学生たちが家路につく。
 夕方5時、6時まで日差しが残る夏場では、明るい中での登下校だから、ランドセル姿の子どもたちは、にぎやかだ。石を蹴ったり、追いかけっこをする子は1、2年生なのだろう。
 女の子たちが、なにやら口ずさみながら行くのは新しい歌を覚えたのにちがいない。

 冬至を前にするこの時期、うす闇の中、連れ立って帰る子どもたちはなんとなくおとなしい。

 空が白み始めるのは6時ごろであるから、明るい間が少なく、なんとなく一日が短く感じる。

 師走のあわただしさは、年末が迫ったことだけでなく、明るい時間が少ないから、気がせくことも影響しているのではなかろうか。
 
 わたしも12月はあわただしく過ごしている。4日(土)は、松戸演劇鑑賞会で劇団俳優座による「夕映えの人」を観た。
 晩には朗と磊也がわが家に泊まるので、終演を待たずに帰る。

 5日(日)には、松戸南保育園へバイクで朗の車を誘導して、木村俊介、小野越郎さんを待つ。名古屋公演に向けて保育園分園をお借りして、あわせ稽古をするのだ。

 7日(火)は、スタッフをつとめる「は~いビスカス」の「うたごえ喫茶」があった。

 10日(金)は、「かんから三線コンサート」の鑑賞。


 開会のあいさつ・かとうぎ桜子

 12日(日)は、「ジャズを聴く会」のお手伝いに練馬へ出張る。
 わたしの姪、加藤木桜子さんは練馬区で議員をしている。「市民ふくし・フォーラム」という会派を立ち上げ、社会的弱者に寄り添う活動が鮮明だ。
 当選してから週に三回ほどは駅頭に立ち、月に一回はみんなで集まる会を催している。先月は「貧困に関する集会」、その前は「女性が政治を変えるとき」をやった。「あしがらさん」というホームレスを扱った映画上映、加藤木朗・柳家さん若のユニット「噺咲騒子」の全国初公開は、「市民・福祉フォーラム」によってなされた。



 15日(水)は、月に2回ある「は~いビスカス」のうたごえ喫茶であった。

 26日(日)は、名古屋に行って、和力の年末恒例の「暮打逃」を観るのが、今年最後の芸術鑑賞となる。和力事務所でもチケットを預かっていたが、早々と「札止め・満員御礼」となった。



 事務所として、「蔵のギャラリー・喫茶 結花」と共催して、「噺咲騒子」を取り組んでいる。チケットが順調に伸びているのが頼もしい。

 間もなく冬至になる。夜明けは少しずつ早くなり、日暮れも遅くなる。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

磊也の進路

2010年12月07日 | Weblog
 

柿をついばむ鳥

 孫の磊也(らいや)が久しぶりにわが家に来た。
何年ぶりになるだろう。高校生になって初めての訪れである。
 中学生までの時期は、妹や弟たちとディズニーランドへ行ったりして一緒に楽しんでいたものだ。

 高校進学にあたっては、柔道の「強豪校」をめざし飯田市の学校へ入学した。部活や対抗試合に忙しく、きょうだいたちが夏休みなどを利用してわが家に来ても磊也は来れなくなった。

 3年生の2学期が過ぎて部活から離れ、スケジュールの余裕もできたようだ。
名古屋公演に向け、あわせ稽古を「松戸南保育園」ですることになり、4日(土)、午後8時過ぎに朗の車でわが家に到着した。

「お世話になります」と玄関に入った磊也は、両手に米袋を抱えている。わたしが頼んだ玄米10kg入りの袋を三つ重ねて持っている。
「どこに置こうか」、「二階が置き場なんだけど」と言うと、息も切らさずに持ってあがる。

 朗一家が丹精こめて収穫したお米だ。松戸の知り合いが購入してくれる。
30kgの注文なのだから、30kg入りの袋でいいのだが、わたしには重すぎて手に余る。だから10kg入りの袋に小分けしてもらったのだ。
 それを磊也は顔色も変えずに抱えてスイスイと階段を昇っていく。息も乱さない。

 わたしと磊也の身長差は10cmある。大きいから当たり前だと思えばいいのだろうか。

 磊也は一時期、大学進学を考えたようだが、狂言・篠笛・津軽三味線・お囃子・舞など、伝統芸を実地に学んで身につけたいと、修行の道を選んだ。
 来春、卒業式が済んだら、わが家に寄宿して学びの道に入る。


 高い所を磊也に取ってもらう


 磊也の新しい人生への出発を見守ってくださる方々がたくさんいる。
そのお一人、昼神温泉郷・石苔亭いしだの「若女将の日記」から抜粋させていただく。

…「中心で舞をしているのは、磊也君です。来年3月に高校を卒業されます。卒業後は東京へ行き、舞台の修業をされることになりました。石苔亭いしだの舞台で磊也君にお目にかかれるのも、あとわずかとなり、何だかとっても寂しいです。(中略)
紫宸殿の宴が始まった約10年前は、磊也君はまだ舞台に出ていませんでした。15才になった年の春『駒つなぎの桜』の下で、芸の道へすすむ磊也君の決意表明をかねて、節目としての鶏舞を舞ったことを今でも鮮明に覚えております。それから石苔亭いしだの舞台に、父親、加藤木朗さんと出演されるようになり、その成長ぶりを楽しみに見てきたものです。石苔亭いしだで育っていく第一期生という思いです。今日もそんな親心で見させていただきました。(後略)」(’10,11.18)


 予習や復習のため「防音室」をどのように作るかなど、迎え入れるまで準備することは少しあるが、未来を切り拓いて行く若い力と生活する日を楽しみに待っている。


 松戸南保育園分園 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする