怪談「牡丹灯篭」の結末

2015年07月29日 | Weblog



 7月25日(土)、松戸市馬橋の萬満寺本堂で催された、朗読芝居「怪談その拾」を聴いた。
演者は、舞台朗読家の森優子さんである。
「日本語の美しさ、豊かさを届け、心に自然にうかぶ風景が記憶にいつまでも残る舞台」をめざし、2003年、朗読の世界を広げるため「officeY&Y」を立ち上げ、表現活動の場を広げておられる。
禅宗の古刹・萬満寺で10年間つづけての出演である。
ご住職が「目に見えないもの、音として聞こえないものにたいして、畏れや敬いなどがなくなってきている。目に見えなくても音として聞こえなくても、ご先祖さまが営々として積み上げてきたものの上に、『今がある』ことを知ることができるのではないかと『怪談話』をやり始めました」とご挨拶していた。
畳敷きのご本堂、思い思いに座ってほぼいっぱいのお客さんが、うなづきながらご住職のお話をうけたまわる。

 夕闇せまる午後7時、広い本堂の灯りが落ち朗読芝居が始まった。
演目は「小豆磨ぎ橋」、雨月物語から「菊花の契り」、「破られた約束」、「牡丹灯篭」であった。
勇猛をほこる男が、「この橋の上では歌ってはいけませんよ」との言い伝えを無視して、大声で歌い橋を渡る。「ほれ、何事もないではないか」と家に着くと、わが子が無惨に横たわっていたのが「小豆磨き橋」で、初めて聴くものであったが、「菊花の契り」、「破られた約束」は、落語などで聴いた覚えがある。
「破られた約束」は、落語の演題は同名であるのか、別名であるのか調べなくてはわからないが、筋書きはほぼ同じである。
ある商家の若妻が病にふせる。旦那の懸命な看病にもかかわらず日に日に弱っていく。
「わたしが目をつぶるとあなたはお若いから、すぐさま後添えをおもらいになる。わたしはそのことが心残りなのです」。
「おまえが目をつぶるなんて、そんなことは万に一つもありませんよ。仮にですよ。仮にそんなことがあったとして、わたしにとってはお前だけがわたしの女房なのだから、いっさい後添えなどもらいません」。
「約束ですよ。きっとですよ」と安心して若妻は息を引き取った。
旦那は独り身で過ごす決心でいるのだが、親戚縁者が放っておかない。「後継ぎも必要だし後添えをもらえ」と責められ、とうとう後添えを迎え入れた。
「あれだけ後添えはもらわないと約束していたのだから」、「いつあれが『うらめしい、それでは約束がちがうではありませんか』と出てくるか」と旦那はしばらくおびえながら暮らす。そのうち子どもができ宮参りも済んだ。
子どもの宮参りで疲れ、なかなか寝つかれない晩、「あなた約束を反故にして、こんな可愛らしい人と夫婦になって、こどもまででかして…うらめしやー」と前妻が出てくる。
「おまえ、約束を破って申し訳ない。でも何年も経った、今時分に出てくるのは遅いではないか」。
「だっておまえさん、お墓に入れられるとき頭を丸坊主にされたではありませんか。髪の毛が伸びるのを待って待って、いまになったのよ。坊主頭では恥ずかしいじゃありませんか」。
はにかんで答える前妻の幽霊は、可愛らしくなんと色気があることか……落語の落ちである。
怪談話では結末がちがう。後添えの若妻が無惨な最後をとげるのである。

「牡丹灯篭」は、和力名古屋公演(7月11日)第二部「音舞語り」で再演された。
野良着姿の朗が、「戸を立てる…というのは、今のような引き戸の技術がなく、大昔は獣の皮などを垂れ下げて、家と外の境としていました。その後、平安時代など板や柴垣を立て掛けドアの役目を果たしていたのです」と語り始める。「戸を立てる」…これが終盤の大団円への暗示になるのだ。
カランコロン、カランコロン 駒下駄が遠くから近づいてくる。牡丹灯篭がユラユラと先導して、新之助の家の前で止まる。
新之助を恋焦がれていたお露が亡くなり、亡霊のお露が夜な夜な新之助の元にやって来るのである。
新之助が家に閉じこもりやつれていくのを心配した大家が、立てた戸の隙間から覗き込み亡霊のお露と新之助が逢瀬を楽しんでいるのを目撃する。
山伏が祈禱、家の隅々に「お札」を張り巡らした。
「三七、二十一日間、お露を戸の内に入れなければ、お露は成仏し極楽浄土へ去る。さもなければお前の命は吸い尽くされるぞよ」。
和力版「牡丹灯篭」では最後の21日目の晩、純白の花嫁姿のお露が「花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」の曲に乗って、あるときは切なくそして激しく立てられた戸の前で舞う。
戸の内の新之助は「今日こそ満願成就の日だ」と、一心に経を唱えているのだろう。
お露のひたむきな気持ち、新之助とてお露とは相思相愛の間柄であった。
とうとう新之助は自分の意思で「お札」を剥がし、立てた戸を開けお露を迎え入れるのである。
翌日、村人がやってきて新之助とお露がしっかりと抱き合い、亡くなっているのを見つける。「あと一日だったのになぁ…」と呟きながら、新之助・お露をねんごろに弔ったのであった。



 一方、森優子さんの一人語り版「牡丹灯篭」では、浪人新之助の用人が、亡霊お露の側と取引をすることになっている。
百両の金と引き替えに、この用人が「お札」を剥がし、新之助の持つ経本を偽物に取り換え、お露が戸の内に侵入することをはかるのである。
円朝が演ずる落語も、多くの登場人物を通して、人の欲と業を演じたものであるらしい。そして、新之助とお露の結末は一人語り版「牡丹灯篭」と同じである。

 新之助が自分の意思で「お札」を剥がし、自分の命を愛に捧げた、和力版「牡丹灯篭」を思い起こしながら、怪談話の夜を楽しんだ。


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和力 夏の名古屋公演

2015年07月18日 | Weblog

  当日のプログラム(クリックすれば大きくなります)

 7月11日(土)、名古屋市・北文化小劇場で開催された和力公演に行った。
名古屋駅に降り立ったのは午後1時過ぎ、かなりの蒸し暑さである。
いつも舞台の記録撮影をする弟・雅義が参加できないので、雅義から預かった撮影機材を背負っての移動だ。汗だくになりながら地下鉄乗り場をさがす。
「黒川駅」下車、4番出口めがけ延々と歩き、上りまた上りそして歩き、ようやく出口の階段下までたどり着く。
出口への階段がこれまたしんどい。地上に出たら息が弾み苦しいので、横丁のコンクリート出っ張りに座って呼吸をととのえる始末だ。
黒川駅から15分ほど歩いて、「北文化小劇場」に到着。本日の持てる力をほぼ出し尽くした感がある。

 わたしが大汗をかいて到着したものだから、実行委員の方が「控室は冷房が利いているから休んでください」と勧めてくださる。
お気持ちはありがたいが、わたしにとってもう一つの難関苦行が控えているのだ。
開演までに撮影体制を整えなければならない。
わたしは機械音痴だから、三脚を広げ、ビデオカメラを固定し、それにコードをつなぐことが苦労なのである。
雅義が、取り扱い説明書をつくっているのだが、カメラ本体にどのコードを差し込み、延長コードとどうつなぐのか、その上、カメラの電源、スタートボタンにいつも迷うのだ。
 不安はとうとう現実のものとなった。
カメラへつなぐコードはうまくいった。延長コードもある。しかしこの2本のコードだけでは、うまくつながらない。機材入れのあちこちをさがしても出てこない。
焦り、思い余って雅義に電話する。
「ジョイントコードがないらしいが、どうしたのだろうか。家の中を探して折り返し電話する」……「やっぱりないので、撮影はあきらめて舞台を楽しんでください」。
ロビーに出て、三脚をたたみカメラを収納していたら、今牧正則さんが通りかかった。「わたしが持ってきたカメラを固定して記録しましょう」と、客席に入り準備万端整えて下さった。
「電源はどこにあるだろう」と椅子を上げてみると、なんとそこにジョイントコードが横たわっているではないか。
みなさんにご苦労と心配をかけて、開演間際にわたしの撮影体制が整った。




 客席内を見渡すとすでに満席にちかく、会場係の方々が座席の空きをみつけ「こちらにお一人様」、「升席には3名様」とご案内に忙しい。
午後4時開演。
カラン カラン カラン 昔わたしが子どもの頃、学校の用務員さんが始業時間・終業時間のたびに、打ち振って鳴らしていた大きな鐘の音と共に朗が登場、「こまの芸」が始まる。
和力公演の18番(おはこ)として、お客さんたちもゆったりと楽しんでいた。
そういえば、和力結成は2001年だから今年で15年目だ。
加藤木朗、木村俊介、小野越郎、3名のメンバーがそれぞれ専門の分野を深めながら、多彩な芸を披露してきた。
こまの芸(大道芸)、篠笛、津軽じょんから節などは、一人だけの芸でお客さんを惹きつける。
今回の第一部では、多い場面でも3人だけの舞台であった。
次の演目「祇園太鼓」を観ながらわたしは「シンプルで柔軟、舞踊の要素がはいり、奥深さを感じる太鼓さばきだ」。軽やかな身の捌き音の柔らかさで、疲れた気持ちが軽やかになっていく。




 和力夏の名古屋公演、第一部の演目が進んでいく。
15年の歳月で切磋琢磨された芸が、シンプルで底知れぬ深さをもってきたかと、カメラを操作しながら舞台を楽しんだ。
第一部の終章「お囃子紀行」では、秩父屋台囃子の「テケテケテケテケ」の拍子が、秩父特産の生糸を積んだお馬さんが歩むさまを表わしている…とか、水口囃子は近江商人が江戸から持ち帰った「江戸囃子」がその素になっているなどの紹介があり、その情景を想像しながら聴くことができた。
 第二部は「音舞語り 牡丹灯篭」であった。帯名久仁子さんのお琴・胡弓の演奏も加わり、ドラマが進んでいく。
再演された「牡丹灯篭」であるから、わたしは何回も観ているのだが、亡霊であるお露の切なさに心が寄り添い、花嫁衣装に身を固め「花嫁ごりょうはなぜ泣くのだろう」の演奏と共に乱舞するお露の気持ちに同化した。

 午後4時の開演であったから、終演すぐに機材をまとめて名古屋駅に向かう。東京駅に雅義が機材を受け取りに改札口で待っていて、わたしが家に帰り着いたのは、午後10時過ぎであった。
15年をむかえた和力を楽しんだ1日となった。

 
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