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「後期高齢者」になった

2014年06月29日 | Weblog


 この春、わたしは「後期高齢者」の仲間入りをした。
ふだん年令を気にしない生活しているから、自分が何才になったかはついつい忘れがちになる。
「お前さんは後期高齢者になったのだよ」と教えてくれたのは、県の公安委員会と市役所であった。
公安委員会から「運転免許更新時に高齢者講座を受けるよう」にとお達しがあり、市役所からは「後期高齢者医療保険者証」が送られてきた。
 免許更新では2時間の講習、1時間の運転実技があった。講習では「今日は何月何日ですか」と最初に記入し、講師が「これは果物のメロンです。つぎは戦う道具の刀です」など、20余りの絵を示してみなに復唱させる。
つぎに「並んでいる数字の中から、3と5と9に斜線をいれなさい」と数字に集中させ、
それがすんだら「先ほどの絵で果物はなんでしたか、戦う道具はなんだったでしょう」との問いになる。
そして最後に丸い円を描かせ、「何時何分にこの講義がはじまったかを、時計にして示しなさい」で締めくくる。
難関だったのは見た絵を思い出すことだった。「乗り物はなんだったでしょう→ヘリコプター、書くものはなんでしたか→筆」など、八割ほどしか思い出せず時間切れになった。

そしてゲームセンターにあるような機械で、車を発進させ一時停止、走行、停止などをくり返させるテスト、それが終わって運転実技にはいった。
わたしは30才代で運転免許を取りその頃オートマ車はなく、今でいうマニュアル車だけだったから、オートマの訓練は受けていない。
運転席に座り発進し信号で停止、指導教官が「おや、なぜ左足でブレーキを踏むのですか」と問いかけてくる。
わたしは戸惑った。週に2回通っているアルバイト先は全部オートマ車で、わたしは右足でアクセル、左足はブレーキと使い分けスムースに運転しているのだから、これが正しい技術だと疑問を持たなかったからだ。
指導教官は「だれも教えてくれなかったので仕方ないが、右足だけで操作してください」と云う。
わたしは不慣れな右足だけでの操作で、「車庫入れ」や「S字カーブ」に挑戦した。
講習・実技が終わり、一緒に受けた6人の高齢者全員が、「高齢者講習終了書」をもらえて免許更新できることになった。

 わたしの軽自動車はマニュアル車だから、クラッチ・アクセル・ブレーキは右足・左足が分担して運転している。
バイト先のオートマ車は、相変わらず左足でブレーキ、右足はアクセルと使い分けている。
教習所の指導教官が「右足だけで操作するように」と促したけれども、どうにもそれは怖くて街中を走れない。
「老いの一徹」が兆して、人の言うことを聞けなくなったのだろうか。

「後期高齢者」になったなぁ…と痛感するのは、駅に向かって歩く時である。駅へは約2キロあり20分ほどかかる。
直線道路を多くの人が駅に向かう。わたしはべつだんゆっくり歩いているわけでないのに、若い人にはもちろん、おじさんやおばさんにもどんどん追い抜かれてしまうのだ。
65才まで、会社勤めをしていて毎日駅を往復していたが、こんなことはなかったように思う。
 それと買い物や散歩に出かけると途中で、「座りたい」欲求が出てくることである。昔は路傍の石垣などで、一息入れているおじさんやおばさんを見かけると、「お年寄りだから疲れるのかなぁ」と他人事に思っていたのに、いまやわが身になってきた。
メガネや携帯電話をどこに置いたか探すのは、これは以前からの事であるから意に介さないが、近ごろ予定を立てて「なにかをやる」事が億劫になってきた。
わたしは達者だけが取り得で、年がら年中動き回っていないと落ち着かない性分であったが、片付けなければならない事を後回しにするようになってきた。

「後期高齢者」になって、○歩いていて人に追い抜かれる、○歩いていて座りたくなる、○億劫になってやるべきことを後回しにする、などの症状が顕著に現れてきた。
それと、座っていて立ち上がるのに「よっこらしょ」と掛け声をかけ、なにかにつかまらないとスムースに立ち上がれなくもなっている。
安心できるのは車やバイク(250cc)の運転は、人に引けを取らずに素早い発進・加速、いつも先頭にたてることである。
今回の運転免許更新では、なんと「ゴールド」免許になった。毎日のように車を運転していて、この5年間は無事故・無違反であったのだ。
これが今のところの自慢の種になっている。