ディサービスを辞して

2019年08月30日 | Weblog

 

(勤務先の近く「谷中銀座」)

 週に2回、東京谷中にある「ディサービス」に勤務していた。

74才で勤めはじめ6年間お世話になり、7月末で辞めた。

まだまだ働く気力も体力もあるが、仕事の性質上80才で身を引いた方がよかろう…、人様を乗せて事故に遭ったら、「80才にもなる者を、送迎の運転手としてなぜ雇っていたのか」と、事業所に迷惑をかけるにちがいない。

4月に誕生月をむかえるので、かなり以前から「3月末をもって退職したい」と事業所に申し入れていたが、後任がなかなか見つからず、7月でようやくけりがついたのだ。

 

ディサービスでは、朝の「迎え」と夕方の「送り」が、わたしの主な仕事であった。

昨今「高齢者の交通事故」が急増しているとて、高齢ドラィバーに向ける目が年毎に険しくなっている。

わたしは、運転免許更新時に「高齢者講習」を3年に一度受け、運転技能も認知試験も高得点で通過してきている。

仕事だけでなく家にいても車を乗り回しておる。ほぼ毎日運転しているが無事故・無違反の「ゴールド免許」保持者でもある。

それが年齢だけに目を怒らせて、「免許返納」を大々的に促す世相なのだ。

わたしは「年齢は同じでも個人差があろう」と切歯扼腕、腹の立つことおびただしい。

しかし世の大勢には抗しがたく、無念のおもいで職を辞する申し出をしたのだ。

 

(味のある命名「夕焼けだんだん」)

 ディサービスでの仕事は面白かった。

迎えと送りのあいだの時間は、介護職員としてゲーム・お話・歯磨きの介助などにあたる。

ディサービスの利用者さんたちは、70代、80代が多く、稀には100才を超える人も通う。

みなさんの過ごしてきた時代とわたしが生きてきた時代はほぼ重なる。

わたしは送り迎えの車の運転もだいすきだが、わたしと同世代のこの方々との触れ合いも楽しかった。

わたしは戦前のことは知らないが、戦中の『空襲』や戦後の『食糧難』は知っている。

昼食後、歯磨きが終わって「カルタ組」、「トランプ組」に分かれてゲームに興じる。

わたしは「カルタ組」の読み手となってみなさんをリードする。中には居眠ったり集中出来ない人もいるから気苦労は多い。

2ゲームほどしてから「すこし休みましょうか」と、みなさんの気分を変える。

「わたしの子どもの頃、玉子は貴重品で運動会や遠足、病気で寝込んだ時にしか食べられなかったよ」。

すると「そうそう、あの頃には玉子は手が出なかった」、「家は農家で鶏を飼っていたけど、産んだ玉子は自転車で買い出しに来るおじさんに渡して、自分たちの口には入らなかったなぁ…」と話は尽きることなくつづく。

お正月の凧上げ・羽子板・竹馬などの遊び、お手玉、綾とり・メンコ・おはじき・ビー玉などの話しになると、みんなが我先に話しはじめ、居眠る人も目をぱっちりと開けて参加するのだ。

わたしは介護職員として高齢であったかも知れないが、みなさんの記憶を呼び起こし活性化するのには適任だったのではないかと自負する次第である。

 

その上、わたしは「わらび座」の営業で全国を駆けめぐっていたからこれも役だった。

ディサービスに通う方は、もちろん都内の人もいるが、集団就職であったり、嫁入りであったりそれは様々であるが、多くは他地方からやってきている。

千葉・埼玉・群馬・長野・福島・新潟、遠くは宮崎・鹿児島・大分などさまざまな出身だ。

「いまカルタをしたみなさんは、いろんな所から来ています。このAさんは遠く九州の宮崎県からです。宮崎は南国ですから宮崎市の中心の街路樹は背の高いヤシの木でした。そうでしたねAさん」、「そうそう、日南海岸には鬼の洗濯板という岩がたくさんあって…」とお国自慢を始める。

「Tさんは雪の深い新潟県ですね。雪が屋根に届くまで降りつもったところへ行ったことがあります」。

「カンジキを履いて毎朝道づくりをしたもんですよ」。

「だども、おらんとこは東北の福島だったけんど、雪は積もらなかったなぁ」…福島県浜通りのSさんが加わる。

「わたしんとこは、雪はさほど降らなかったが『からっ風』が吹いてそれが冷たいんだよ」と群馬のTさん。

わたしは、鹿児島市出身のOさんに「鹿児島市はどうですか、雪は降らないが桜島の灰がふりますね」、「そうそう洗濯物は部屋で干すしかないね」。

「鹿児島や宮崎の街路樹は、ハイビスカスが植わっていて真っ赤な花や、黄色いのも目いっぱい咲いている。でも九州は台風の通り道だから、台風のあとは道路が吹き飛ばされたハイビスカスの花でいっぱいになります」。

わたしはわらび座の営業で出かけて、その土地土地で見聞きしたことを思い出しお伝えする。

土地の言葉も喜ばれた。「鹿児島弁で、そうだ、そうだは『じゃっどう、じゃっどう』と云い、秋田では『んだ、んだ』でした」。

その地元出身の人は懐かしげな笑顔になり、他地域の人は「へぇー」と感心する。

「それでは、みなさんのところではなんと云いますか」。

こうなるとよそ見をする人はいなくなり、みんなが話しの輪に入ってくる。

ディサービスに来て、大いに考えて発言して楽しく笑いあう。

わたしは介護資格をなにも持たずにみなさんと接してきたが、そのような利用者さん主体の場を曲がりなりにも創れてきたかな…とふり返っている。

 

 そうしていつの間にやら、バイトなしの1ケ月間、8月が過ぎたのである。

もう少ししたら、市の「シルバーセンター」に登録して、なんかの仕事を探そうとは思っている。

 

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