新盆供養

2023年08月19日 | Weblog

 

 〽デンデンコ デンデコデンコ デコデコデンコ デン

猛暑日がつづき、肌に暑い陽射しがまとわりつく。墓碑が立ち並び陽を遮るものはなにもない。

84日午前10時、わたしの妻・和枝への新盆供養を墓前で執りおこなった。

「お盆までには日があるが、3日に関東で仕事がある。翌日朝にかあさんの新盆供養に『念仏じゃんがら舞い』を墓前で奉納したい」との朗からの申し出があり実現したのだ。

 

 妻・和枝が3月に亡くなり、新盆がちかづくが、お盆にはいつもよりすこしばかり供物を多くととのえ、故妻と毎年やっていた手順でやろうと考えていた。儀式ばったことにこだわらない妻も納得してくれるだろう。

そんな地味なことを考えていたので、朗の申し出は一躍華やかな新盆供養に変わった。

 

「念仏じゃんがら舞い」は、福島県いわき地方での供養舞いである。

腰から回した色布で太鼓を下腹部に抱え、兎の毛を巻きつけたバチで軽く鼓面を打ちならしながら、数人の組で新盆を迎えた家々を訪れその庭先で舞い踊り供養するのだ。

〽デコデコデン デコデコデン デコ デコ デコ デコ……と身をかがめそして身を反らす。摺り鉦が太鼓の音色にかぶさって鈍い音を奏でる。

新盆を迎えた家々では戸口を大きく開け、大きな提灯を掲げて庭前で供養舞を受けるのだ。

 

 わが家では墓前で執り行った。

人っ子一人いない広い墓地に太鼓と摺り鉦の音が響きわたる。「念仏じゃんがら舞い」は故妻も大好きな演目だった。大いに満足してくれたことだろう。

 

 わたしも、深遠な「念仏じゃんがら舞い」が大好きである。

かってわらび座で舞台化された折、わたしも太鼓の打ち手として観客にまみえたことがあるのだ。

いや、そもそもこの踊りがわらび座の舞台にあがるきっかけになった場面にわたしは遭遇している。

いわき市のある公民館でわらび座公演があった。わたしは公演班の一員として舞台に立ち終演を迎えた。

その後「地元の青年団のみなさんが舞を見せてくれるから…」との指示があって舞台に集結した。

公民館後方の扉から、浴衣姿の青年たちが太鼓を抱えバチをやさしく叩きながら一列になって入ってくる。

舞台と客席の間の土間で、突如〽デコデコデン デコデコデン デコ デコ …

地に着くように身をかがめ、そしてだんだんとそり身になってしなやかに舞う。

揃いの浴衣にしろい鉢巻き姿が、天井の低い古い公民館ホールの土間で舞い踊った姿を思い出す。

 

 当時は呆気に取られてみていただけだが、これが創作演出班の手によって、舞台に上がり幸いにもわたしは太鼓3人の中に加えられた。

踊りこむうちにこの舞いは、〽デデン デデン デデンと身を屈める屈折感 〽デデン デデン デデンと身を反らす躍動感 〽デコデコデン ノ デンとバチを突きだす解放感で身も心も自然に一体になる魅力がありはまったものだ。

 

 わらび座を辞し、住居のある松戸市で「東葛合唱団はるかせ」の「郷土部」設立に参加。

わらび座時代に習い覚えた数々を、思い出し思い出し団員に伝えた。

大好きだった岩手の「さんさ踊り」もなんとか思い出して、コンサートで踊り狂った。

次には「念仏じゃんがら舞い」を思い出そうと苦労したが、とうとう思い出せず終わっている。

 

 だが息子の朗が主宰する「和力」では、「念仏じゃんがら舞い」は十八番の一つでありいつも懐かしくみている。

妻も「朗にはこの踊りをもっと踊りこんでもらいたい」と常々言っていたものだ。

 

 猛暑が照りつける中、供養舞が墓前の土の上で舞われる。摺り鉦は朗の芸の継承者「羽化連」のお二人だ。

「この浴衣は20才の頃、かあさんが作ってくれたものなんだ」と、供養舞を終えた朗が言っていた。

作るといっても手縫いしたわけではないだろうが、わたしの知らない母と子との交流があったのだ。

 

 ほのぼのと暖かみのある新盆供養になったのではないか。

 

 

 

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