「猫は死に際をみせない」……という通説を聞いた覚えがある。ほんとうにそうなのだろうかと以前のわたしだったら思っていただろう。
しかし猫と暮らしはじめて10年になる今では、疑うべくもない真実だと断言できる。
身近に2例あったからである。
わが家が猫と同居し始めてほぼ10年になる。
息子の朗が「猫を飼ったらいいよ、それも複数だとベターだ」と勧めてくれた。遠くで暮らす、70才を越えた老夫婦の心のよすがになるだろうとの心遣いであった。
信州に居を構える朗宅では、猫が5匹ほどにぎやかに暮らしている。
わたしと妻はさっそく「動物愛護センター」に申し込み2匹の雌猫をもらい受けた。
掌にちんまりのる500gほどの子猫たちである。
家に帰り放すとすぐさまに追いかけごっこをして賑やかだ。疲れるとなんと下駄箱の靴に入ってひと眠り。
もちろん二階への階段を登れない小ささであった。
出没していたネズミも子猫をバカにしたのか、台所のジャガイモなどをかじり放題、天井裏の運動会も相変わらずであった。
子猫も少しづつ大きくなって、階段を登れるようになったらいつの間にかネズミは退散。
入れ替わるようにわが家の縁側に姿を現したのは、茶寅の雄猫である。美形のわが家の娘猫に気をそそられたのだろう、縁側に座り家のなかをのぞき込む。
飼い猫ではなさそうだが、わたしたちに物おじしないで、顔を合わせるとかすかに鳴く。「ミャー」と云っているようだがかすれ声である。
かすれ声の歌手、森進一に因んで「シン」と名づけて、食事を提供するようになった。
しばらくするとこのシンガ、小柄なキジトラの雌猫を連れて来た。
「この家は安心だよ」と云わんばかりに、自分は縁の下の地面にいてこキジトラ猫を縁側の上にあげ食事をするのを見守る。彼女が食べ終わるとやおら自分が食べ始める。
シンは男気のある猫であるのだ。
キジトラ猫もわが家の常連になり、食事はシンと共にわが家ですませるようになった。このキジトラ猫は目がパッチリの美形だと、妻が「寅さんシリーズ」の浅丘ルリ子演じる「リリーさん」に因んで「リリー」と名づけた。
わたしも妻も勤めに出ていたから昼間は留守になる。
すこし薄暗くなる時刻に帰宅、大通りから自宅のある路地へ曲がると、シンあるいはリリーが待ち受けていて先に立ってダッシュ、家の庭を回り込んで縁側の皿の前にチョコンと座り込んで食事のさいそく
リリーはこの間、早々と4匹の子を産んだ。行方不明になった一匹を除いて三匹をリリーの隙をついて保護、全員雄猫であった。里親を探すのは大変だったがようやく二匹をもらい受けてもらい、一匹は去勢手術をし三匹目の子なので「サン」と名づけてリリーの元に帰した。
里親を探す大変さを味わい、リリーの避妊手術をしようとしたが、保護するのにたいへん苦労した。朗が罠を仕掛けてようやく獣医師にあずけられた経緯は別途の記録がある。
わが家に縁側には、「シン」、「リリー」、「サン」、それに向かいの家の飼い猫をふくめて4匹が仲よくつどい、食事の世話、水やりに大忙しであった。
このうち向かいの飼い猫はその家で老衰死。
サンは2才くらいの時、縁側にある猫用の小屋の中でぐったりしていた。妻が小屋から抱き取り、脱脂綿にしみ込ませた水を与えたりしたが、妻の腕の中で息絶えた。
シンとリリーはその後、7年ほど仲睦まじく暮らす。
2020年8月リリーを見かけなくなった。
それ以前からリリーは、通常のカリカリ餌を食べにくそうにしていた。それで柔らかい食材がよかろうと、リリーだけには缶詰の食事に。
何ヶ月かそういう状態でいたが、ある日からばったり姿を見せなくなったのだ。
リリーが居なくなって4年、今年の1月中旬にサンが姿を見せなくなった。
サンはこの頃、縁側には来るが食事の量が少なくなり、ほんの二口、三口しか口にしない。
水はよく飲んでいたから、わたしはてっきり、ほかにお世話するお宅があり、そこで食べるようになったのだろうと思っていた。
しかしいくら待ち受けても再び姿を現すことがない、身体の不調で食がすすまなかったのに違いない。
親しく過ごしてきたリリーとシンの失踪は、世にいう「猫は死に際をみせない」…に当てはまるのではないかと考えている次第である。