10月第二週の10日(木)、体調は夕刻までなんの変りもなかった。
「さて寝るか」…床にはいるとお腹の張りが気になる。と同時に上腹部に鈍痛がはしる。仰向け、うつ伏せ、左向き右向きになってもシクシクした痛みは去らない。
痛みを和らげるのに転々とし、終いには起き上がり様子をみるがなんの効果もあらわれずとうとう一睡もできず朝を迎えだ。
翌11日(金)、9時過ぎに折よく訪ねてくれた知人に、掛かりつけの総合病院へ送ってもらう。
CT.検査の結果、「胆管結石」と判明、即入院を命じられる。
いやはやこれは困った。よもや入院になるとは思いもしなかったのでなんの準備もしていない。
着のみ着のままだし、痛さにかまけて台所の洗い物は水に漬けたままだ。
何よりの気がかりは同居する娘猫2匹。
「1時間以内に戻ってくるので帰宅できないか」と看護師さんに聞く。「先生に問い合わせたが『このまま入院』とのことです」。
病室に案内されいろいろな書類にサイン。
病衣やタオル、バスタオルなど手軽にレンタルでき、家から持ってこなけければならないものはほとんどない。病衣に着替えてベットイン。
急な入院で家はもぬけの殻、娘猫たちの世話をどうするかが一番の気がかりだ。
地域の仲間たちの助けがありひといきつく。
この地に移り住んで以来の仲間たち、その仲間たちが手分けして面倒をみてくれることになった。
Dさんは朝晩猫の食事の世話、Fさんはわたしが担当する週一回の新聞配達を引き継いでくれた。10軒余りの読者の所在を病院まで打ち合わせに来る。その際、携帯電話の充電器や歯ブラシなどを持ってきてもらう。
これで家の懸念材料はなくなった。
夕刻になると数人のスタッフが待ち構える部屋に案内され部分麻酔、カテーテルが挿入されたそうだ。結石で分泌物が通りにくくなっている部分をこれによって凌ぐようなのだ。晩飯は絶食。
前夜一睡もできなかったが、この施術によって安眠できるのはなによりである。
寝床に入りながら思ったのは、11日(金)に診察に来た幸運である。土。日、月(祝)で病院は3連休になっていたはず、「金曜に受診できてよかった」とつくづく思い寝入った。
がしかしこの5人部屋には年配の重症者が3人いて、隣のベットのおじいさんはカラオケに行っている気分なのか低い声で唄を歌う。
音程もよいから聞き苦しくはないが眠るには邪魔だ。ほかの二人は痰が絡まるせいなのか
看護師さんを呼んで吸引してもらう間隔が短い。。
家で寝入る際には、娘猫どもが布団に入り込んだり、薄くなったわたしの髪の毛をねぶったりしての妨害はいつものことだが、病室の騒ぎは愛猫どころではない。
それでもいつしか寝入って朝を迎えた。
朝ご飯はお粥250gにおかずとみそ汁で、このパターンが4日間つづく。このおかゆ250gは手ごわい。なにしろ無味無臭なので完食するのに難儀だった。食べづらいといってもわたしは戦後の食糧難時代の育ちだから、食べ残すことなくいつも完食。
それと同時に一日8,000歩のウォーキングは、入院当日は出来なかったが2日めからは点滴の棒をひきずりながらやりおおせた。
信州に住む息子の朗は「仕事の目途をはやくつけて駆けつける」と云ってくれていたが、往診の際先生に聞くと「経過は良好だからわざわざ来なくてもよい」とのお墨付き。
入院6日目に退院となった。経過をみて結石の除去手術を決めるというからもう一回入院はある。
「退院時には車をだすから」と仲間の何人かは云ってくれたが、「病院の廊下をグルグル歩き回るのに飽きたので、電車に乗り歩いて帰る」と、リュックに荷物を詰め込み久方ぶりに街中をウォーキング。
家への路地を曲がると、なんと足音を聞きつけたのかサラが「ミャ、ミャ」みじかい鳴き声を上げながら走り寄ってのお出迎え。ウリも大きな目を見張りながらほほを擦りつけてくる。
思いなしかサラとウリは数日間、わたしの傍にべったりだったように思う。
妻亡き後、独り身での生活。なにかと不安なこともあるが、頼りになる地域の仲間たちにこれからもお世話になりながら過ごしていける安心がある。