とかくこの世は NO,3
「梅さん、人参ちゃん、ごめんね」
「到来物の高麗人参酒をもらったのだが、家では飲まないから」と、知人から戴いてきたのは、三年ばかり前であろうか。二十日大根を小ぶりにしたような、大きな人参が収まっていた。
「これは、薬酒だから毎日少しづつ飲もう」健康のために!
「うん!薬くさいけれど、いけるぞ」 飲み始めた。健康志向が、人に倍して強いせいか、三週間ほどで空になってしまった。
お猪口で一杯ほどでよいと聞いてはいたけど、湯のみ茶碗で飲んだのが、いけなかったかと深く反省した。暫くはそのままに放っておいたが、給料が入ったのをさいわいに、三十五度の焼酎を買い補充した。
人参ちゃんは、まあ一ヶ月はそのまま無事に過ごしただろうか。ところが、この家の主(あるじ)は好奇心、探求心の旺盛な人柄ゆえ「そろそろエキスが、滲み出てくる時期ではなかろうか」との研究する心、押さえがたく試飲。
「ウーン、これはもうちょいかかるかな。」こんどは、前に懲りて量のはっきり分かる、コップに注いだ。
こうなると、研究する気持ちが日々ましてきて「きのうよりは、エキスが出ている筈だ」と、毎日「一昨日より、マシになったような気がする。ウン」などと、比較研究の日々が続く。
アレッ!というまにカラカラになってしまう。
いくら研究のためとはいえ、そうそう焼酎の一升瓶ばかりを、買う訳にはいかない。もう5回も六回も、研究材料費を投入してしまった。研究に費用がかかるのは当然だが、たまには、醤油なども購入しなくては生活がなりたたない。
研究は、やむなく暫く途絶えた。
去年の梅の時期、なにを思い立ったか「山の神」が梅酒をつくり始めた。氷サトウをたっぷりと入れて。
作業を横目でみながら「そんな甘いのは、俺の口にあわないね」と、腹の中で喚いていた覚えがある。
今年の夏、台所を整理していたら、件の瓶が目についた。
「アラララ!搾り取られたように、一滴のアルコール分もない所で、健気に人参ちゃんが頑張っている」
この健気さにうたれて、心をこめて三十五度を満たしてあげた。「ゆっくり養生するんだよ」とのやさしい心は伝わっただろうか?
はてさて、一ト月も経たないうちから、研究心が押さえがたくなってくるのは、主の律儀さの顕われに相違ない。まえの繰り返しの果てに、とうぜん日をおかずに空っぽになる。
人間は進化の動物だから主の思考も発展している。一昨年より去年、去年より今年…と。
人参酒はなくなった。金も裕福ではない。となると研究の心は止みがたいのだから、他のものに目がいく。
「梅酒があるじゃないか、これを研究せずして俺の存在価値はないも当然だ」と悟りをひらく。
「甘いの甘くないのと、言ってはおられん。研究の為だから」とついに、梅さんに食指がのびる破目に。
甘いまま試飲するのも業腹だとて、一升瓶を買い置き、減った分だけ注ぎ入れ、甘さを薄めて、とうとう砂糖分のなくなった製品の改良に成功した。成功したとてそこにとどまる主ではない。
「糖分がなくなっても、有効成分は滲出しているか、否か」の仮説をたて、研究に怠りない。結局、梅さんも人参ちゃんとおなじ運命を辿る事に。
カラカラになる→新しい液体が補充される→だんだんに減っていく。こんな循環が繰り返される。
梅と人参は、こんな会話を交わしているに違いない。
「せっかく、全身浴を楽しんでいるのに、しばらくすると、搾り取られたように一滴もなくなるのだから」
「わたしなんざ、身体中からすべての成分が抜き取られてもぬけの殻だと思うよ」
そして、二人の結論はいつもこう結ばれる。「これも、人類発展のための研究だというから、いいとするか。主もよさそうな人だし、わたしたちが犠牲になればいいだけのことだし」
二人の崇高な会話を聞いて、主は感謝しつつ思う。
「これからの研究の進め方は、あまり急がない、大量には検査しない。ゆっくり寛げるようにするから」
だけれど、二人は信じない。
研究が深まると「もうちょい、もうちょい」と、飲みすぎて、挙句の果てには、ゴロンと寝入ってしまうのを知っているから。
03,12,20
「梅さん、人参ちゃん、ごめんね」
「到来物の高麗人参酒をもらったのだが、家では飲まないから」と、知人から戴いてきたのは、三年ばかり前であろうか。二十日大根を小ぶりにしたような、大きな人参が収まっていた。
「これは、薬酒だから毎日少しづつ飲もう」健康のために!
「うん!薬くさいけれど、いけるぞ」 飲み始めた。健康志向が、人に倍して強いせいか、三週間ほどで空になってしまった。
お猪口で一杯ほどでよいと聞いてはいたけど、湯のみ茶碗で飲んだのが、いけなかったかと深く反省した。暫くはそのままに放っておいたが、給料が入ったのをさいわいに、三十五度の焼酎を買い補充した。
人参ちゃんは、まあ一ヶ月はそのまま無事に過ごしただろうか。ところが、この家の主(あるじ)は好奇心、探求心の旺盛な人柄ゆえ「そろそろエキスが、滲み出てくる時期ではなかろうか」との研究する心、押さえがたく試飲。
「ウーン、これはもうちょいかかるかな。」こんどは、前に懲りて量のはっきり分かる、コップに注いだ。
こうなると、研究する気持ちが日々ましてきて「きのうよりは、エキスが出ている筈だ」と、毎日「一昨日より、マシになったような気がする。ウン」などと、比較研究の日々が続く。
アレッ!というまにカラカラになってしまう。
いくら研究のためとはいえ、そうそう焼酎の一升瓶ばかりを、買う訳にはいかない。もう5回も六回も、研究材料費を投入してしまった。研究に費用がかかるのは当然だが、たまには、醤油なども購入しなくては生活がなりたたない。
研究は、やむなく暫く途絶えた。
去年の梅の時期、なにを思い立ったか「山の神」が梅酒をつくり始めた。氷サトウをたっぷりと入れて。
作業を横目でみながら「そんな甘いのは、俺の口にあわないね」と、腹の中で喚いていた覚えがある。
今年の夏、台所を整理していたら、件の瓶が目についた。
「アラララ!搾り取られたように、一滴のアルコール分もない所で、健気に人参ちゃんが頑張っている」
この健気さにうたれて、心をこめて三十五度を満たしてあげた。「ゆっくり養生するんだよ」とのやさしい心は伝わっただろうか?
はてさて、一ト月も経たないうちから、研究心が押さえがたくなってくるのは、主の律儀さの顕われに相違ない。まえの繰り返しの果てに、とうぜん日をおかずに空っぽになる。
人間は進化の動物だから主の思考も発展している。一昨年より去年、去年より今年…と。
人参酒はなくなった。金も裕福ではない。となると研究の心は止みがたいのだから、他のものに目がいく。
「梅酒があるじゃないか、これを研究せずして俺の存在価値はないも当然だ」と悟りをひらく。
「甘いの甘くないのと、言ってはおられん。研究の為だから」とついに、梅さんに食指がのびる破目に。
甘いまま試飲するのも業腹だとて、一升瓶を買い置き、減った分だけ注ぎ入れ、甘さを薄めて、とうとう砂糖分のなくなった製品の改良に成功した。成功したとてそこにとどまる主ではない。
「糖分がなくなっても、有効成分は滲出しているか、否か」の仮説をたて、研究に怠りない。結局、梅さんも人参ちゃんとおなじ運命を辿る事に。
カラカラになる→新しい液体が補充される→だんだんに減っていく。こんな循環が繰り返される。
梅と人参は、こんな会話を交わしているに違いない。
「せっかく、全身浴を楽しんでいるのに、しばらくすると、搾り取られたように一滴もなくなるのだから」
「わたしなんざ、身体中からすべての成分が抜き取られてもぬけの殻だと思うよ」
そして、二人の結論はいつもこう結ばれる。「これも、人類発展のための研究だというから、いいとするか。主もよさそうな人だし、わたしたちが犠牲になればいいだけのことだし」
二人の崇高な会話を聞いて、主は感謝しつつ思う。
「これからの研究の進め方は、あまり急がない、大量には検査しない。ゆっくり寛げるようにするから」
だけれど、二人は信じない。
研究が深まると「もうちょい、もうちょい」と、飲みすぎて、挙句の果てには、ゴロンと寝入ってしまうのを知っているから。
03,12,20