藤岡市での「 太鼓エモーション」

2015年11月09日 | Weblog



 11月8日(日)群馬県藤岡市で「第14回全国太鼓フェスティバル・太鼓エモーション」が開催された。
会場の「みかぼみらい館」は、公共交通機関の便が悪いと聞いたので、わたしが運転する軽乗用車で行く。
朝から小雨が降り、同乗した弟・雅義、名古屋のKさんと車内トークを楽しみながら2時間余をかけて向かう。
藤岡ICで下り国道13号線をひたすら進み、小高い丘の上に「みかぼみらい館」がみえた。
坂道に沿って無数の幟り旗が雨の中でもひらめいている。晴天であったなら周りの樹木の紅葉に映えるだろうにと残念に思う。
 前橋市在住のMさんが、チケット発売と同時に購入してくれたので、一番前の席いわゆる「かぶりつき」に座をしめることができた。
北は山形、南は宮崎から招聘された太鼓グループは8団体。
バチさばきも鮮やかに、一糸乱れぬ呼吸、力強くもしなやかさがある。若い世代が多く、女性の数の多さが目を引くのが、わたしの全体の感想である。

 同行した弟・雅義のレポートが届き、和力公演の様子を知っていただくため、ここに再録することにした。





加藤木 雅義 レポート

 全国の太鼓同好会を集めてのフェステバルでした。
プログラムは、選抜された8つの太鼓グループが出場。
最後のトリに和力を配するという番組構成です。
1,100人入る会場は満席。
 選ばれた出演者は、コンクールで優勝するような実力グループがそろって、迫力のある組太鼓を披露して観客を魅了しました。
演目が終わると司会者が下手に現れ、グループの代表者にインタビュー。
その間に次の演技者が暗転した舞台でご自分たちの太鼓をセットする、という流れです。
こうした動きは、すべて観客の眼にふれるようにされていました。

 第7組、最後のグループの演目が終わったとき、なぜか幕がおります。
その幕前で、インタビュー。
「さぁ、次は和力です」とインタビュアーが宣言すると、幕がスルスルとあがり、
そこにはライトに浮き上がった鹿踊り姿の朗が、演奏陣を後ろにつけて登場です
これまでの間、太鼓しか見慣れていないお客様には異様な光景。
そのとき、わたしの座る席の後ろでひっくり返っていた小学生低学年と見られる少年が、とび起きた気配がしました。
太鼓一色だった舞台が、下手に小野さんの津軽三味線、となりに内藤さんの太鼓、上手に木村さんの篠笛が配置され
そし中央に、見慣れない鹿踊りの衣装をつけた朗が立ったのですから、この配置だけで客席はどよめいていました。

 獅子舞でお客様は身をのりだし、忍者のかけ合いでため息がでていたのを、わたしは客席通路の中間地点で観察させていただきました。
目を転じてもし、わたしがこの大会に出られるような太鼓愛好家だとしたら、和力のだんじり囃子を見て、太鼓の皮だけでなく脇にあるビョウを中心に打つ奏法に衝撃を受けていたかもしれません。
 和力のメンバーは、3人の他に内藤さんが加わりました。
演目は、野分け、炎天下、だんじり囃子、忍者、鶏舞、東風。

以上、レポートでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和力金沢公演でロミ(伊藤裕美)ちゃんに会った

2015年11月06日 | Weblog


 10月31日(土)、「金沢芸術村・パフォーミングスクエア」で、和力公演が行われた。
金沢へは和力公演があるごとに訪れ、行くたびに加賀百万石の城下町の佇まいに魅了されている。
今回は「北陸新幹線」が開業してはじめて乗ることになり、上野・金沢間が2時間余で行けることにわたしはびっくりした。
くわしく覚えているわけではないが、以前はほぼ半日ほどの時間をかけていたように思う。

 数日前から「天候はどうなるだろう」と北陸地方の気象情報を気にかけて過ごしていた。
関東地方では「木枯らし一号」がすでに吹き荒れ、一日ごとに気温が下がり朝・晩にはすこし厚着をしないと過ごしにくくなってきている。
日本海側の気候はさらに冷たいのではなかろうか、手荷物のなかに薄手のセーターやジャンパーをしのばせ、手袋も用意した。
家を9時に出るとき薄曇りの空模様であったが、関東も北陸も雨の予報ではない。

 10時14分上野発の「かがやき」に乗車、客席すべてが指定で満席になっている。
わたしの隣席は本来であったら妻が座っているはずなのだが、10日ほど前、腰に激痛がはしり治療をうけたが軽快せず、楽しみにしていた金沢行きをあきらめた。
新幹線の旅は在来線とちがってやはりあわただしい。
在来線だと、刈り取られた稲田が目いっぱいに広がり、家々の柿の粒々が陽ざしを受けて輝き、ときには庭先の猫などを望見でき、土地の生活をしのんだりできる。
新幹線だとビューと景色が通りすぎ、人家に近付くと防壁がさえぎり、遠くの山と空しか見ることができない。
持っていった文庫本に目を通すうちに右手に海が見え、しばらくその景色をたのしんだ。
「次は金沢、終点です」との車内アナウンスがながれた。
なにやら窓にあたる音がする。雨粒が窓にあたりスイッ―とスジをひく。これはやばい、傘をもってこなかった。
12時23分金沢駅に到着。
どのくらいの降りようだか表にでてみる。行き来する人たちはみんな傘をさして雨粒も大きそうだ。
駅から芸術村までは20分ほどなので、歩いていこうと思っていたのにこれは無理だとがっかりする。
「ここで昼飯を食べていけば、雨があがるかも…」と、思いなおす。

 いつだったか金沢駅で降りて、支線に乗って富山に向かったことがある。支線に向かう途中の弁当売店で、「ブリかま飯」を売っていた。
わたしは、「ブリ釜飯」だととっさに判断し、めずらしい「釜めし」が食えると購入し、列車内で食べた。
これは「釜めし」ではなく、ブリのカマを煮込んだ弁当だったのだ。今まで食べた駅弁の中では群を抜くおいしさだった。
その弁当売り場を探しまわっても見当たらず、スパゲティやらパンやらの食堂しかない。わたしは駅構内をあちこちしたが、金沢に来たのにうどんやパンでもなかろう…と迷い迷ったが、おもいあまって入ったのは「吉野家」であった。



 昼食を済ませて店外に出たら雨が上がっていた。
「ラッキーィ」と胸のなかで叫び、鉄道の高架下をひたすら歩き、金沢芸術村に到着した。
芸術村広場の木々はすでに紅葉している。わたしの住んでいる関東の街路樹はまだそんな兆しを見せていなかったので、雨上がりの広場の景色に息をのんだ。
「パフォーミングスクエア」内では、和力のリハーサルが進行している。
過去の和力公演は、同じ芸術村敷地内の「ドラマ工房」だった。フリースペースの空間にステージと客席を組み「劇場」につくり上げていた。
客席から見下ろす形になるステージは、常設でないものと素人目にも分かった。
パフォーミングスクエアのステージは、大きく堂々としているので、わたしはてっきり常設のステージだと思っていた。



 広さたっぷりのステージで、10年来、実行委員長をつとめていただく、森田正一(南京玉すだれ・加賀森田流宗家)さんの力強いご挨拶から和力の舞台が始まる。
「新しいお客さんがたくさんいらしてくれました」と、森田歩未(和力金沢事務所)さんが言っていたが、だからだろうか、初めのうちやや戸惑う雰囲気があったが、最初の演目「こまの芸」がすすむうちに、座内が和みステージと同化・共感していく。
休憩15分をはさんで、2時間余の和力公演は大きな拍手で終わった。
お客さんの退場とともに、段々に築いた客席の撤去が始まり、ステージまでバラシにかかる。常設と思ったステージも組み立てたものだったのだ。
会館スタッフと共に、実行委員のみなさんが手際よくきびきびとバラシ、束ね、運び、見る見るうちに、フリースペースの空間になっていく。
午前9時に組み立て、終演と共にバラス、多くの方の協力がなければとうてい出来ることではない。



 実行委員メンバーと共に、「加賀豊年太鼓保存会」のみなさんが大いに力を尽くして下さった。会館スタッフは「気持ちよく進みましたなぁ…」と喜んでおられた。
わたしは、以前わらび座営業に在籍し、各地で実行委員会を呼びかけ上演活動をしていた経験がある。
みんなの力を寄せ合い、協力・協同で運動をすすめる「実行委員会」の原点がここにあると、わたしは金沢に行くといつも勇気づけられるのだ。

付記 和力公演の休憩時間、「まさちゃんお久しぶり」と声をかけられた。元わらび座員伊藤裕美さんだった。演技者だったロミちゃんは、わたしとはかなり年令差があり、部署もちがっていたが、ロミちゃんの舞台姿は「こきりこ踊り」など、印象はつよく残っている。明るく人の気持ちを包みこむ笑顔が絶えない娘さんだった。
ロミちゃんに会ったのは、数年前に開かれた、西東京での「伊藤裕美コンサート」以来であるが、座にいた当時のままの明るくふくよかな、瑞々しいロミちゃんであった。
金沢を中心に歌い手として活動をつづけているとのこと、芸をもって人に役立つ生活を送る人生はすばらしい、懐かしくよき人に再会できた金沢の旅でもあった。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする