阿智村・朗宅から…
わたしの子どもの頃には、履いている下駄を高く放り上げて、裏返しに落ちると「あしたは雨になる」、表だと「晴れる」と天気を予報した。
遠足の日が近づいてくると、テルテル坊主をつくって軒下につるし、「あした、天気になぁれ」と呪文を唱え、それでも心配だと、野良猫を見つめて「顔を撫でているからあしたはきっと晴れるよ」と友だちどうしで喜び合っていたものだ。
いまは「天気予報士」がいて、下駄やテルテル坊主、猫の出番はまったくなくなってしまった。
すべてあなた任せで、自分が予想して「当たった、外れた」の興奮と喜び、そしてがっかりの感情がうせてしまったのは、果たしてよいことなのだろうか。
そんなことを云っても「天気予報士」の予報が当たるのだ。
わたしの年代の者は、全部がそうだとは言わないが、「予報では雨が降ると言っているが、おれの勘では降らないね。だから傘は要らない」と出かけて、昔は勘の方が当たる確率も高かった。
いまでは「お出かけは傘が必要になるでしょう」などと言われて、それに逆らって出かけると必ず予報どおりになる。
今回もそうだった。予報が寸分の狂いもなく当たったのだ。
わらび座を離れて社会に散って、さまざまな仕事をしている「わらび座OB」が交流する集いがある。昨年は伊豆で19回目のつどいが開かれ、四十数名があつまった。
そのときの申し合わせで、今年の20回目のつどいは「南信州」でやろうと、相談がまとまり、わたしが事務局を引き受けた。
第一回目の世話人会は、「4月25日(土)、下見をかねて南信州・昼神温泉郷でやる」との連絡を出し、ありがたいことに14名から「参加する」との返事がきた。
昨年は「松戸市和力実行委員会」のメンバーが、この時期に訪れ「駒つなぎの桜」や「花桃」が咲き乱れる風景を楽しんだ。
去年の経験をいかして、南信州の自然を楽しんでもらおうと、12時に到着しちょっと離れた山中で信州蕎麦を食べ、「駒つなぎの桜」、「花桃祭り」に行こう、夕方は温泉に入った後、食事をしながら「つどい」の相談をしようと、心弾ませながら計画をたてていた。
集まる日の天候が気になったので、天気予報を熱心に見始めたが、あまり芳しくない予報だ。
世話人会を開く日は雨との予報である。地元長野をはじめ大阪・東京・埼玉・神奈川から参加してくれるのだから「天気になってほしい」と切に願う。
つれないことに、NHKのヒライさんもナカライさんも確信ありげに、散策予定の24日(土)が雨…その前後は快晴の予報だと云うのだ。まるで示し合わせたように云っているのが憎らしい。
「予報はあくまで予報であって外れることもある」と期待して、23日(金)朝に高速バスに乗って信州に向かう。雨は降っていない。
朗宅の花
加藤木朗宅に泊めてもらった。翌日は軽自動車を借りて10分ほどはなれた昼神温泉・鶴巻荘に向かうことにしている。
午後5時過ぎに、晟弥(小4)と野詠(小2)が帰ってきた。未だ日差しがあるから、坂道を登って15分ほど歩いて買い物に行く。
「あしたはほんとうに降るのだろうか」。朗宅にはテレビがない。天気予報を見ることが出来ない。天気予報の頼りになるのは4匹いる猫である。猫たちは人の膝にのりたがるが一向に顔をなぜる気配はない。
晟弥と野詠が宿題をやり始める。慧(中3)はパソコンで調べ物をしている様子、磊也(高2)は部活で8時半ごろ帰ってきた。朗は名古屋の教室に出かけ帰りは夜半過ぎになるという。
陽子さんは洗濯物の片付けをしながら、宿題の面倒をみている。
朗の帰りを待とうと思ったが夜半まで持ちそうもない。寝床に入って明日に備える。
寝床に入って考えた。「天気なんて気まぐれなものさ。あしたは降らないだろう」といつしか寝入った。
夜半、雨音がする。朝になるとみごとに降っている。
やはり、ヒライさんとナカライさんの云うとおりになってきた。
この日は強い雨が降りつづいた。雨の中であったが、阿智村園原の「花桃」はあでやかに咲き誇っていた。
車に分乗して花桃の群落をゆっくり進む。
駒つなぎの桜は、今年、開花がはやくてすでに散っているとのことなので、行くのをやめた。
花桃を楽しんだだけで十分だよ、信州の春に出逢えて明日から気分を一新して生活できるよ、参加者が喜んでくれた。
予報通り雨の一日になったが、谷川のせせらぎを眼下に、木々が芽吹く山あいをしっとり過ごせた。