定員オーバーで良いなどと想像もしないで欲しい
今回の吉祥寺シアター公演の準備を始めたのは、1月22日の松戸公演が終わってからであった。
松戸公演の初回は、昨年の1月21日「松戸市民劇場」で7人の実行委員が取り組んだことに始まる。332席しかないホールで410名を越えるお客様が足を運んでくれた。
実行委員会で「チケットの動きは定員を越えそうだ」との報告が入った。お客様の動きが悪ければそれはそれで悩みである。多すぎると「立ち見」などのご迷惑をかけるので、これまたぜい沢な悩みになる。興行の専門業者のように指定席制度がとれないのでそういう誤差が生まれる。
網の目のように、人から人にチケットが流れていくのが実行委員会方式の良いところだ。しかし、それが時として予測のつかないことになる。
「座布団を用意して通路に座ってもらおう」と定員超過の対策が練られた。100円ショップで座布団を50枚、買いこんで公演当日を迎えた。
100円とはいえ立派な座布団だった。全部、配り終わっても結局、足りなくて後からきた方は立ち見になってしまった。
主宰する朗から異論が出た。「消防法は法律なのだからぜったい守って欲しい。定員オーバーで成功などと思わないでほしい」。
実行委員会でも反省材料として話し合われた。2回目の今年は「松戸市民会館大ホール」を借りての公演となった。客席数は前回の「松戸市民劇場」の4倍、1,212名の収容定員である。
観客と舞台との程よい空間をつくるには、全席を埋めるのではなく800名にとどめようと実行委員会で申し合わせた。結果は予想した800名のお客様に集まっていただき、次回公演の準備金も生み出せるほどの盛況をみた。
そして今年の松戸公演の総括実行委員会は2月におわった。
いよいよ、前もって会場を押さえておいた「吉祥寺シアター」の準備に取りかかる。
流れることなど、こういう世界では良くあることだった
吉祥寺シアターは昨年の5月にオープンした劇場だ。「演劇と舞踊に適した画期的な空間」として話題になった。しかし、197席というスペースがキャストやスタッフのギャラを生み出せるかどうかの問題はある。
以前より朗から「東京公演をしたい」という要望はそれとなくあった。
和力事務局を構成している広報担当の雅義とわたしはときおり話を交わしていた。「下北沢あたりで公演をやりたいね」と、まだ夢ではあるがそう話していた。しかし、話題の吉祥寺シアター(下北沢の隣の駅)は5日連続での使用が、優先しての申し込みなのだ。自分たちの営業力ではまだそんな力はないとあきらめていたのだった。
そんな折に、新宿で「和力」を取り組もうとの話が持ち上がった。和力の千種公演(ちくさこうえん・名古屋)のビデオを見てビックリした、福祉の仕事をしている朗の従兄妹(いとこ)である桜子ちゃんが動き出したのだった。
彼女の尽力で新宿の「箪笥町ホール」を借りる事ができた。桜子ちゃんを事務局長に実行委員会の体制が整い3回の会議をもつまでに至った。ホームページへの広報も打った。
いよいよチラシ・チケットの印刷にかかる段階に入った。
「とうとう和力も東京進出が実現するのですね」という明るい声が和力の合宿から聞こえてきた。
しかし、チラシ・チケットを印刷所に発注する間際になって、実行委員会の推進役であったGさんから待ったがかかった。
2月に開かれる福祉関係の大きなイベントにこの舞台をセットし、それを支えるべく実行委員会が発足して実現に向けて動きだし、Gさんも会議には毎回参加していたのだ。
Gさんによれば、イベントを取り仕切る運営委員会の責任者から異論がでたというのである。
料金が高い(設定は3500円)・上演時間が長い(2時間)などを理由にしての待ったである。こちらとしては当たり前である設定がいけないという。
実行委員会の上にイベント運営委員会があったのだ。そこから異論が出たというわけである。
わたしたちはイベント運営委員会ヘ出席して説明もしたいし、内容も話したいと申し入れたが実現しなかった。
Gさんの態度がうやむやのままに結局、実行委員会は解散する破目になった。
公演実現の話がでてきてそれが流れることは、この世界ではままあることだとわたしは思っていた。
そうやって吉祥寺公演が実現した
しかし、弟の雅義にはそれが通らなかった。「東京公演を楽しみにしていた和力のメンバーはがっかりしているだろう」と雅義の奮戦が始まる。
「吉祥寺シアターの空き日を調べたら、休日では5月4日が空いている。これを押さえようか」と云ってきたのだ。5日連続公演というのはシアター側の原則で、日程に「空き」があれば、1日でも公演が出来るという規則があったのだ。調べていたら、5月4日の空き日が見つかったという。
弟の厚意だが、弟は興行についてまるっきりの素人(しろうと)だ。その日程で公演することについて、わたしは気が進まなかった。
わたしは長年わらび座の営業をやってきて、ゴールデンウィーク・お盆の時期・運動会シーズンなどは、公演を組みにくい事を経験として知っていた。
5月4日は、3、4、5日のゴールデンウイークの中日である。「会場が空いているのも無理からぬことなのだ」とこの業界の常識に照らして納得していた。
「シアターの空き日の中で、休日が空いているのはここしかないですよ。和力にとってチャンスです。思いきってやりましょう。会場はわたしが取りに行きます。和力メンバーの日程を押さえてください」と雅義は強くわたしを説得してきた。
新宿公演がなくなってがっかりしているメンバーの士気を心配していたのだった。
後で、期待していた新宿公演がなくなったら、それより良いものを提示するのが自分たちスタッフの使命だろうという彼の流儀を聞かされた。
「新宿が流れたからこそ、こういうことが出来た」というように持って行きたいと、言うのだ。「だったらもう、吉祥寺シアターでの公演しかないじゃないですか」。
弟の意気はよしとしても、いかんせん、日程に危険が伴った。
わらび座で営業の経験があるわたしの連れ合いも「連休の中日はお客さんが集まらない」から危険だと云う。
「営業の素人にはそんな事わからないからなぁ」とため息が思わずでる。
「5月4日を押さえてきました。やはりすてきな空間で、この会場で和力を見てみたいと思いました。やるほうも見る方も満足する会場です」。とうとう雅義が実力行動に出たのだ。
こうして吉祥寺公演が実現した。
若い清新な提案を聞いて決心をした
松戸の公演が終わって、一息いれる間もなく、吉祥寺で実行委員会をつくりたいと模索するけれども全然しらない土地である。足がかりがなかなか見つからない。
雅義から次の矢がまたまた飛んでくる。「調べてみたら連休明けの月曜日8日が空いていますよ。なんなら次の9日も押さえて連続公演したらどうだろうか」と恐ろしげな事をいい始める。素人だから、なぜその日が空いているのか理由がわからない。
連休中日の4日だけでもどうしようかと考えているのに、連休明けの初日のウイークデーとは何を考えているのだ。閑古鳥の鳴く会場を想像するわたしに震えが走る。
まして、4日から8日といえば連続ではなくその間に空き日がある。こんな効率の悪い日程設定を迫られてわたしは頭を抱えた。
一方で、公演する吉祥寺の地元に根づくためには、平日の上演も必要なのかなと心がゆれる。
「4日は祝日の公演でしょう。この日には遠方の和力ファンに来てもらうことにして、吉祥寺周辺の方のために平日にもやるべきですよ。お勤めを持つ地元や近辺の方は仕事が終わってからそのついでに足を運ぶのじゃないかしら」と、こんどは若い桜子ちゃんから平日公演を提起された。
彼女は彼女で新宿公演が流れたために、責任を感じてくれたのだろう、「わたしもお手伝いをしますから」という思いもかけない提案で、それでわたしはようやく8日(月)の追加公演を決心したのだった。
とはいえ、「とうとう2日間の取組みになった。どう手を付けていこうか」元・営業のプロは心細くなっていた。
チラシ・チケットの印刷を依頼してその完成を待つ間、吉祥寺で実行委員会が発足できないものかいろいろに探しまわった。
その見こみが立たないままに3月を迎えた。シアター公演は5月なのだからなにしろ一歩前に踏み出さなければ時間切れになってしまう。
またも眠れない日々が訪れた
「果たして197の席が埋まるのだろうか」、「ゴールデンウィークの時期だしわらび座の営業時代にはこの期間を避けていた」、「それも飛んでいる日程での2日間公演だ」。
とても無理なことだ。30人も集められるだろうか。それさえ自信がもてない。会場費・宿泊代・印刷費・ギャラをどう生み出せばいいのだろう。
3年すれば満期をむかえる生命保険を解約して赤字を埋めるしかない。それを使い切ってしまったら我が家に経済的余裕はなくなる。パートの口を探して生活を守ろう。現実的な問題がわたしの頭を支配し始める。
このように初めは「客席がガラ空きになるのではないか」との懼(おそ)れで眠れない日がつづいた。
そのうちに営業の苦境を知ってか知らずか和力本部から朗報が届いた。「4日の公演が終わったら、空いた期間で小合宿を持って8日の演目を少し変える稽古をする。そのための仕込みに入った」というものだった。
普通にはとても考えられない提案がされたのだった。
いままでいろいろな劇団の制作過程をみると、ひとつのプログラムを決めたら1年間以上はそれを変えずに演ずる。同じものをやって全国を巡って、それが一巡したあとに演目の一部手直しがあるというのが、この業界の通常だと思える。
和力側の新しい提案は、それを197席の会場のために、たった2日間の公演のために、一部分といえども演目を変えるという。
これは営業にとってはとてつもない朗報だった。なにより自分たちの作品を常に新鮮に作り直す意欲にうたれる。更には4日に観たお客様を、通しで8日にお誘いできることにもなる。
たとえ同じ演目であったにしても、和力の舞台は2日みても飽きないステージだというのは十分にわかっている。古典落語を何回きいてもいつも新鮮に笑えるのと同じ味わいがあるのだ。
桜子ちゃんや雅義の進言に始まり朗からの提言は、既成のものを乗り越える新鮮さがあふれている。これに気づいてシアター公演取り組みの気持ちをわたしは切り替えることができた。
慌ててHPで4日分のソールドアウトの告知を依頼した
公演日を5日後にひかえた4月30日、取組みの最終段階にはいって今度は別の意味で、またも眠れない日々が訪れたのだ。こんどはお客様が多すぎてしまう事態に入り始めたのだ。
2~3日前から電話・ファクスでのチケット申しこみが急に多くなってきた。連日3件ないし4件はある。
「チラシをみた」、「出演者のHPを見て」、「いつもの広報を読んで」(弟・雅義が定期的に300通をこえる通信をだしている)などの効果が行き届き始めたのだ。そして、連休真ん中の4日(祝)の座席が埋まっていく。
4月30日の集計では184席が決まった。座席数は197であるからこれは大ごとだ。受付などのスタッフの数はカウントしていないから、すでに満席の状態にある。
帯名久仁子さん(出演者)から届いたメールでは「東京人は予約なしに当日フラッとあらわれる」と云っている。それが切迫感をもってわたしの気持ちに入り込む。
そんなことになったら会場に人があふれて収拾がつかなくなってしまう。
朗の「定員オーバーでよいなどと想像もしないでください」という言葉が再びよみがえって来て、わたしに重くのしかかってくるのだった。
慌てて和力HP担当の雅義にメールをした。「HP上で4日は完売、8日へのお誘いを出してくれ」と頼んだ。
ステージ両サイドの座席と最後部の座席をミキサーなどに使わなければ、239人までは大丈夫とシアター側から説明を受けている。そうすると、約40席ぐらいの余裕はまだあるが、これは取っておこう。なにがあるか分からない。
杉並区在住の元わらび座員のU君は、独自のチラシをつくったり、いままで培ってきた人脈を総あたりして、和力を取り組んでくれている。「預かったチケットが足りなくなったので整理券を発行した」と云っていた。その話があった当時は「閑古鳥」の予想を立てて不安があったから、ついつい「そういう事もありとするか」と止めもしないでむしろ「頼もしく」思っていたのだ。
「整理券」だからこれを持参してくれれば前売り料金で入場できる。しかし正式のチケットでないから「お預けした中でどのくらい出ていますか」と電話などで伺う訳にもいかない。不特定多数の方々にその整理券が大量に出まわっている。
当日券は15枚ほどはでることは通常だし、その当日券とU君の整理券のために残っている座席を確保しておくのだが、これ以上に超過したらどうしょう。それを思うと心配になって夜中に目覚めてしまうのだ。
営業のプロだった者が脱帽した
「今回ばかりは営業の素人に負けた」と感じている。連休は集客に向かないとの思いは、もしかすると専門家の勝手な思い込みだったのかもしれないと考えるようになっている。
日程は飛んでいるにしても2日間の上演日を組まなかったら、大変な事態を引き起こす所であった。
いや、キャパシティを思い切って大きくした(4日だけの設定を8日も追加した)ことで相乗効果が生まれた可能性もある。
そういえば朗は別の話で「素人の方は大胆な発想でハッとするようなことをやることがある。それで一歩進む。あるいは切り拓ける。専門家の既成概念を打ち壊すこともある」と云っていた。
興行を組む営業のプロだったわたしは、今回ばかりは営業の素人に目を見開かされたと脱帽するばかりである。
それにつけてもマネージャー稼業は因果なものである。取組みの前でも寝られない日々を送り、最終盤においてもそうなのだから。
ちなみに4月30日現在のチケット状況。
4日公演 →186人
8日追加公演→ 78人
今回の吉祥寺シアター公演の準備を始めたのは、1月22日の松戸公演が終わってからであった。
松戸公演の初回は、昨年の1月21日「松戸市民劇場」で7人の実行委員が取り組んだことに始まる。332席しかないホールで410名を越えるお客様が足を運んでくれた。
実行委員会で「チケットの動きは定員を越えそうだ」との報告が入った。お客様の動きが悪ければそれはそれで悩みである。多すぎると「立ち見」などのご迷惑をかけるので、これまたぜい沢な悩みになる。興行の専門業者のように指定席制度がとれないのでそういう誤差が生まれる。
網の目のように、人から人にチケットが流れていくのが実行委員会方式の良いところだ。しかし、それが時として予測のつかないことになる。
「座布団を用意して通路に座ってもらおう」と定員超過の対策が練られた。100円ショップで座布団を50枚、買いこんで公演当日を迎えた。
100円とはいえ立派な座布団だった。全部、配り終わっても結局、足りなくて後からきた方は立ち見になってしまった。
主宰する朗から異論が出た。「消防法は法律なのだからぜったい守って欲しい。定員オーバーで成功などと思わないでほしい」。
実行委員会でも反省材料として話し合われた。2回目の今年は「松戸市民会館大ホール」を借りての公演となった。客席数は前回の「松戸市民劇場」の4倍、1,212名の収容定員である。
観客と舞台との程よい空間をつくるには、全席を埋めるのではなく800名にとどめようと実行委員会で申し合わせた。結果は予想した800名のお客様に集まっていただき、次回公演の準備金も生み出せるほどの盛況をみた。
そして今年の松戸公演の総括実行委員会は2月におわった。
いよいよ、前もって会場を押さえておいた「吉祥寺シアター」の準備に取りかかる。
流れることなど、こういう世界では良くあることだった
吉祥寺シアターは昨年の5月にオープンした劇場だ。「演劇と舞踊に適した画期的な空間」として話題になった。しかし、197席というスペースがキャストやスタッフのギャラを生み出せるかどうかの問題はある。
以前より朗から「東京公演をしたい」という要望はそれとなくあった。
和力事務局を構成している広報担当の雅義とわたしはときおり話を交わしていた。「下北沢あたりで公演をやりたいね」と、まだ夢ではあるがそう話していた。しかし、話題の吉祥寺シアター(下北沢の隣の駅)は5日連続での使用が、優先しての申し込みなのだ。自分たちの営業力ではまだそんな力はないとあきらめていたのだった。
そんな折に、新宿で「和力」を取り組もうとの話が持ち上がった。和力の千種公演(ちくさこうえん・名古屋)のビデオを見てビックリした、福祉の仕事をしている朗の従兄妹(いとこ)である桜子ちゃんが動き出したのだった。
彼女の尽力で新宿の「箪笥町ホール」を借りる事ができた。桜子ちゃんを事務局長に実行委員会の体制が整い3回の会議をもつまでに至った。ホームページへの広報も打った。
いよいよチラシ・チケットの印刷にかかる段階に入った。
「とうとう和力も東京進出が実現するのですね」という明るい声が和力の合宿から聞こえてきた。
しかし、チラシ・チケットを印刷所に発注する間際になって、実行委員会の推進役であったGさんから待ったがかかった。
2月に開かれる福祉関係の大きなイベントにこの舞台をセットし、それを支えるべく実行委員会が発足して実現に向けて動きだし、Gさんも会議には毎回参加していたのだ。
Gさんによれば、イベントを取り仕切る運営委員会の責任者から異論がでたというのである。
料金が高い(設定は3500円)・上演時間が長い(2時間)などを理由にしての待ったである。こちらとしては当たり前である設定がいけないという。
実行委員会の上にイベント運営委員会があったのだ。そこから異論が出たというわけである。
わたしたちはイベント運営委員会ヘ出席して説明もしたいし、内容も話したいと申し入れたが実現しなかった。
Gさんの態度がうやむやのままに結局、実行委員会は解散する破目になった。
公演実現の話がでてきてそれが流れることは、この世界ではままあることだとわたしは思っていた。
そうやって吉祥寺公演が実現した
しかし、弟の雅義にはそれが通らなかった。「東京公演を楽しみにしていた和力のメンバーはがっかりしているだろう」と雅義の奮戦が始まる。
「吉祥寺シアターの空き日を調べたら、休日では5月4日が空いている。これを押さえようか」と云ってきたのだ。5日連続公演というのはシアター側の原則で、日程に「空き」があれば、1日でも公演が出来るという規則があったのだ。調べていたら、5月4日の空き日が見つかったという。
弟の厚意だが、弟は興行についてまるっきりの素人(しろうと)だ。その日程で公演することについて、わたしは気が進まなかった。
わたしは長年わらび座の営業をやってきて、ゴールデンウィーク・お盆の時期・運動会シーズンなどは、公演を組みにくい事を経験として知っていた。
5月4日は、3、4、5日のゴールデンウイークの中日である。「会場が空いているのも無理からぬことなのだ」とこの業界の常識に照らして納得していた。
「シアターの空き日の中で、休日が空いているのはここしかないですよ。和力にとってチャンスです。思いきってやりましょう。会場はわたしが取りに行きます。和力メンバーの日程を押さえてください」と雅義は強くわたしを説得してきた。
新宿公演がなくなってがっかりしているメンバーの士気を心配していたのだった。
後で、期待していた新宿公演がなくなったら、それより良いものを提示するのが自分たちスタッフの使命だろうという彼の流儀を聞かされた。
「新宿が流れたからこそ、こういうことが出来た」というように持って行きたいと、言うのだ。「だったらもう、吉祥寺シアターでの公演しかないじゃないですか」。
弟の意気はよしとしても、いかんせん、日程に危険が伴った。
わらび座で営業の経験があるわたしの連れ合いも「連休の中日はお客さんが集まらない」から危険だと云う。
「営業の素人にはそんな事わからないからなぁ」とため息が思わずでる。
「5月4日を押さえてきました。やはりすてきな空間で、この会場で和力を見てみたいと思いました。やるほうも見る方も満足する会場です」。とうとう雅義が実力行動に出たのだ。
こうして吉祥寺公演が実現した。
若い清新な提案を聞いて決心をした
松戸の公演が終わって、一息いれる間もなく、吉祥寺で実行委員会をつくりたいと模索するけれども全然しらない土地である。足がかりがなかなか見つからない。
雅義から次の矢がまたまた飛んでくる。「調べてみたら連休明けの月曜日8日が空いていますよ。なんなら次の9日も押さえて連続公演したらどうだろうか」と恐ろしげな事をいい始める。素人だから、なぜその日が空いているのか理由がわからない。
連休中日の4日だけでもどうしようかと考えているのに、連休明けの初日のウイークデーとは何を考えているのだ。閑古鳥の鳴く会場を想像するわたしに震えが走る。
まして、4日から8日といえば連続ではなくその間に空き日がある。こんな効率の悪い日程設定を迫られてわたしは頭を抱えた。
一方で、公演する吉祥寺の地元に根づくためには、平日の上演も必要なのかなと心がゆれる。
「4日は祝日の公演でしょう。この日には遠方の和力ファンに来てもらうことにして、吉祥寺周辺の方のために平日にもやるべきですよ。お勤めを持つ地元や近辺の方は仕事が終わってからそのついでに足を運ぶのじゃないかしら」と、こんどは若い桜子ちゃんから平日公演を提起された。
彼女は彼女で新宿公演が流れたために、責任を感じてくれたのだろう、「わたしもお手伝いをしますから」という思いもかけない提案で、それでわたしはようやく8日(月)の追加公演を決心したのだった。
とはいえ、「とうとう2日間の取組みになった。どう手を付けていこうか」元・営業のプロは心細くなっていた。
チラシ・チケットの印刷を依頼してその完成を待つ間、吉祥寺で実行委員会が発足できないものかいろいろに探しまわった。
その見こみが立たないままに3月を迎えた。シアター公演は5月なのだからなにしろ一歩前に踏み出さなければ時間切れになってしまう。
またも眠れない日々が訪れた
「果たして197の席が埋まるのだろうか」、「ゴールデンウィークの時期だしわらび座の営業時代にはこの期間を避けていた」、「それも飛んでいる日程での2日間公演だ」。
とても無理なことだ。30人も集められるだろうか。それさえ自信がもてない。会場費・宿泊代・印刷費・ギャラをどう生み出せばいいのだろう。
3年すれば満期をむかえる生命保険を解約して赤字を埋めるしかない。それを使い切ってしまったら我が家に経済的余裕はなくなる。パートの口を探して生活を守ろう。現実的な問題がわたしの頭を支配し始める。
このように初めは「客席がガラ空きになるのではないか」との懼(おそ)れで眠れない日がつづいた。
そのうちに営業の苦境を知ってか知らずか和力本部から朗報が届いた。「4日の公演が終わったら、空いた期間で小合宿を持って8日の演目を少し変える稽古をする。そのための仕込みに入った」というものだった。
普通にはとても考えられない提案がされたのだった。
いままでいろいろな劇団の制作過程をみると、ひとつのプログラムを決めたら1年間以上はそれを変えずに演ずる。同じものをやって全国を巡って、それが一巡したあとに演目の一部手直しがあるというのが、この業界の通常だと思える。
和力側の新しい提案は、それを197席の会場のために、たった2日間の公演のために、一部分といえども演目を変えるという。
これは営業にとってはとてつもない朗報だった。なにより自分たちの作品を常に新鮮に作り直す意欲にうたれる。更には4日に観たお客様を、通しで8日にお誘いできることにもなる。
たとえ同じ演目であったにしても、和力の舞台は2日みても飽きないステージだというのは十分にわかっている。古典落語を何回きいてもいつも新鮮に笑えるのと同じ味わいがあるのだ。
桜子ちゃんや雅義の進言に始まり朗からの提言は、既成のものを乗り越える新鮮さがあふれている。これに気づいてシアター公演取り組みの気持ちをわたしは切り替えることができた。
慌ててHPで4日分のソールドアウトの告知を依頼した
公演日を5日後にひかえた4月30日、取組みの最終段階にはいって今度は別の意味で、またも眠れない日々が訪れたのだ。こんどはお客様が多すぎてしまう事態に入り始めたのだ。
2~3日前から電話・ファクスでのチケット申しこみが急に多くなってきた。連日3件ないし4件はある。
「チラシをみた」、「出演者のHPを見て」、「いつもの広報を読んで」(弟・雅義が定期的に300通をこえる通信をだしている)などの効果が行き届き始めたのだ。そして、連休真ん中の4日(祝)の座席が埋まっていく。
4月30日の集計では184席が決まった。座席数は197であるからこれは大ごとだ。受付などのスタッフの数はカウントしていないから、すでに満席の状態にある。
帯名久仁子さん(出演者)から届いたメールでは「東京人は予約なしに当日フラッとあらわれる」と云っている。それが切迫感をもってわたしの気持ちに入り込む。
そんなことになったら会場に人があふれて収拾がつかなくなってしまう。
朗の「定員オーバーでよいなどと想像もしないでください」という言葉が再びよみがえって来て、わたしに重くのしかかってくるのだった。
慌てて和力HP担当の雅義にメールをした。「HP上で4日は完売、8日へのお誘いを出してくれ」と頼んだ。
ステージ両サイドの座席と最後部の座席をミキサーなどに使わなければ、239人までは大丈夫とシアター側から説明を受けている。そうすると、約40席ぐらいの余裕はまだあるが、これは取っておこう。なにがあるか分からない。
杉並区在住の元わらび座員のU君は、独自のチラシをつくったり、いままで培ってきた人脈を総あたりして、和力を取り組んでくれている。「預かったチケットが足りなくなったので整理券を発行した」と云っていた。その話があった当時は「閑古鳥」の予想を立てて不安があったから、ついつい「そういう事もありとするか」と止めもしないでむしろ「頼もしく」思っていたのだ。
「整理券」だからこれを持参してくれれば前売り料金で入場できる。しかし正式のチケットでないから「お預けした中でどのくらい出ていますか」と電話などで伺う訳にもいかない。不特定多数の方々にその整理券が大量に出まわっている。
当日券は15枚ほどはでることは通常だし、その当日券とU君の整理券のために残っている座席を確保しておくのだが、これ以上に超過したらどうしょう。それを思うと心配になって夜中に目覚めてしまうのだ。
営業のプロだった者が脱帽した
「今回ばかりは営業の素人に負けた」と感じている。連休は集客に向かないとの思いは、もしかすると専門家の勝手な思い込みだったのかもしれないと考えるようになっている。
日程は飛んでいるにしても2日間の上演日を組まなかったら、大変な事態を引き起こす所であった。
いや、キャパシティを思い切って大きくした(4日だけの設定を8日も追加した)ことで相乗効果が生まれた可能性もある。
そういえば朗は別の話で「素人の方は大胆な発想でハッとするようなことをやることがある。それで一歩進む。あるいは切り拓ける。専門家の既成概念を打ち壊すこともある」と云っていた。
興行を組む営業のプロだったわたしは、今回ばかりは営業の素人に目を見開かされたと脱帽するばかりである。
それにつけてもマネージャー稼業は因果なものである。取組みの前でも寝られない日々を送り、最終盤においてもそうなのだから。
ちなみに4月30日現在のチケット状況。
4日公演 →186人
8日追加公演→ 78人