ライフスタイル三つの転換

2023年10月17日 | Weblog

 

 妻亡き後、わたしのライフスタイルは三つの点で大きく変わった。

一つはアルコール断ち、二つには増やさない、三つには就労である。

 

 わたしは若いころから酒を嗜んできた。

わらび座を辞しサラリーマンになった40代には、仕事帰り駅の売店でワンカップタイプの焼酎を買い、歩きながらチビチビやりながら帰ったものだ。

これは仕事を離れる60代後半までつづいた。

家で過ごすようになってからは、晩ご飯の支度をしながらお猪口に焼酎を注ぎ、いわゆるキッチンドリンカーと化す。

休肝日などなんのその、連日楽しんでいたものだ。

とはいえ量はそんなに多くはない。せいぜいお猪口に2杯ぐらい…。お目付け役の妻がいて度は超えられない。

健康診査での肝機能はいつも正常値だったから、適正な飲み方だったのだろう。

妻が逝って2ヶ月経って、糖尿の値が思いがけない高さになる。

「一日一万歩は歩いているし…」とお医者さんに愚痴ると「アルコールはどうですか」。

はたと思いあたった。

キッチンドリンカーだけだったのに、妻がいない無聊で夕食後にもお猪口が手放せず、

チビチビとだが杯を重ねていたのだ。

それを知って以後、いまでは一滴も飲まずに過ごしている。

 

 二つ目は増やさない生活だ。

なにを増やさないかというと『本』である。

わが家でいちばん増えるものは『本』であった。

わたしも妻も大の本好きで、それぞれ外出の機会があると必ずと言っていいほど本屋さんに寄る。

読み終わったら交換し、終わると本棚に収める。そんなして本は溜まりにたまっていったものだ。

本棚はスライド式で表棚と裏棚があり6段の高さは天井に届き、横幅は部屋いっぱいだからかなりの収容量になる。

今までにも何度か大量に放出してきた。古くはたまりにたまった山本周五郎・松本清張・司馬遼太郎などの文庫本を、障がい者福祉施設に寄贈、フリーマーケットなどでの販売で活動資金の役に立ててもらった。

それ以降、藤沢周平・田辺聖子・吉村昭・池波正太郎など本棚に積み重なってきている。

妻亡き後、無聊相まって本を読んで過ごす時間が多くなり、あれやこれやの本を購入する量が増えた。

このままだと、二階にある本棚がパンパンになり、ちょいとヤバくないかと思い始めた。

そうだ、家の近くに市民センターがある。小さいながら図書館も供わっている。本はそこで借りることにしよう…と思い至り、いまでは専らそこで借りることにしている。

 

 三つ目は就労である。

盆明けの817日から新たな生活が始まり二ヶ月余になる。

2回やっていた東京でのディサービス勤めを80才で退いた際、市の「シルバー人材センター」に登録していくらか稼ぎたいと資料を集めたりはした。

自分に合う仕事はあるのだろうか…、なにしろ手先は不器用・無愛想・人見知りをする性格である。

持っている資格は「普通運転免許」しかない。グズグズと思い悩むうち4年も経ってしまった。

妻の分と合わせた年金でなんとか身過ぎ世過ぎができていたものだから、新しい稼ぎ先を探す労は知らず知らず先延ばしにしていた。

妻が亡くなり、わたしのより多かった妻の年金がはいらなくなり、わたしだけの年金での生活になった。

この年金の額たるや心もとないのだ。家は妻もろとも苦労してローンを支払い終わって、持ち家になっているから、家賃の支払いはない。

それは救いだが、支給される年金だけでは暮らしは窮屈だ。

なにせ年金を満足に納入し始めたのが、わらび座を辞めて会社員になっての45才からだから仕方ない面はある。

妻の口利きで東京のディサービスで73才から80才まで働くことができた。

今回の就労も唯一の「普通運転免許証」が生きた。

わたしは長年、あるNPO法人知的・精神障害者の支援組織の理事を務めて来た。この法人の理事長が自損事故が多く、車を手放したのだ。

それで理事長の通所・退所、利用者さんの買い物などの介助などをすることになったのである。ほぼ一日に3時間ほどの就労、週に4回やっている。

なにしろわたしは、無事故無違反のゴールド免許保持者である。車の運転は大好きであり性に合った就労だと思う。

 

 84才だからしていつまで元気に過ごせるだろうか…。

 

 

 

 

 

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