小さな公園で見つけた花。
寒さの中で開花の準備をしていた。
[1月のミツマタ]
ミツマタは葉が出る前に開花する。
名前の由来は枝が必ず3つに分枝するから。
[4月のミツマタ]
花期は3〜4月。
[12月のミツマタ]
葉の間に次の年の花の準備をしている。
「ミツマタ」
ジンチョウゲ科ミツマタ属
中国〜ヒマラヤ原産
枝先に小さな花が30〜50個つくが花弁はなく、萼が目立つ
和紙の原料のうち、特にミツマタの樹皮の繊維は長く、何遍折りたたんでも破れないので、紙幣の原料として最適になっている
ミツマタは別名「さきくさ」ともいわれる。
春されば まづ三枝(さきぐさ)の幸(さき)くあらば 後(のち)にも逢はむな 恋ひそ吾妹(わぎも)
柿本人麻呂
大意は、春になると最初に咲く「みつまた」の花の名のように幸せならばまた逢えるでしょうから、そんなに恋い焦がれないでくれ、愛しい人よ。
といった感じかな。
柿本人麻呂に関して、ここからは独り言。
興味のある人だけの話。
先日、たまたま柿本人麻呂について研究しているという人の文章を目にした。
それは、柿本人麻呂と高市皇子の関係について書いてあり、二人は同一人物だったとか、そうでなければ同性愛関係だったとか、そういう話だった。
え~、ウソ~、まさか~、と思った。
なぜならば、自分は高市皇子が大好きだからというのがその理由。
でもよく考えてみると、そんな昔の人のことなど誰も知らないし見た人もいない。
であれば、その人のことは書き手によって善人に仕立てり、悪人に仕立てたりどうにでもできる。
今までに読んだ本や物語などから勝手に想像して「高市皇子像」というものを自分なりに作り上げてしまっていたのだった。
今風に言うと、背が高く、イケメンで、出自のせいでずっと日陰の身のため少し影のある男性といったところかな。
好きになったのは、その作られた人のことで、実像ではないのだ。
柿本人麻呂との関係に話を戻すと、柿本人麻呂作の高市皇子への壮大な挽歌は万葉集に残っている、これが本当のことだったら、同一人物という説は無いと思う。
でも、同性愛関係の方は分からない。
悲劇の宰相といわれる長屋王など数人の子どももいたのだし・・・
それでも、柿本人麻呂には、高市皇子について詠んだ和歌が多いのはなぜ???
緊急事態宣言で自粛中にとんでもない文章を目にしてしまって、外出できなくてモヤモヤしているのところに輪をかけてしまったような気がする。
それでも古代史はロマンがあって面白い。
大昔の人なのに、知っている人のようです。主様、憧れの
方なんですものね。
やっぱり歴史上の人のことは全て想像ですよね。
良くも書かれるし、悪くも書かれる。でも、今まで高市皇子についてあまり悪く書かれた本は目にしていません。だから自分なりの人物像を作り上げてしまった訳だけど、実際に会ってみたいですね。