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占守島の戦いー小学校教諭の教材から

2010-08-09 20:36:43 | 意見発表
浅田次郎さんが占守島の戦争を題材に、3年間温めてきた小説を書き上げて7月に出版した。占守島については小学校の先生の教材がインターネットにありましたのでこれで勉強したいと思います。ここに転記します。

平成19年度自由主義史観研究会全国大会レポート/授業案
占守島の戦い

高橋智之(岩手県公立小学校教諭・自由主義史観研究会会員)
1.めあて

・占守島での戦いは、ソ連の北海道占領を阻止する重要な戦いであったことを理解する。
・占守島での戦いで命を失った人々へを敬う気持ちを持つことができる。
・ソ連は、国際法違反の戦争を仕掛けてきた事実を知る。
・明白な国際法違反の行為でありながら、戦勝国であるために非難されていないという国際社会におけるパワーゲーム的な側面について理解する。

2.授業展開案

(●は教師の発問 ○は予想される児童の反応 □囲みは説明 ※は留意事項)

(1)世界情勢について

●昭和16年(1941年)12月8日時点で(正式に)日本と戦争状態になった次のうちどこの国ですか。

・アメリカ ・イギリス ・中国 ・ドイツ ・イタリア ・ソ連(現在のロシア)

○アメリカ、イギリス、中国です。
中国とは昭和12年(1937年)から、戦争状態にありました。さらに、アメリカとイギリスに宣戦布告をして戦争状態になりました。ドイツとイタリアとは、日独伊三国同盟を結んで同盟関係にありましたので、戦争状態ではありません。
●ソ連とはどのような関係にあったのでしょうか。
※意見が出ない場合は、教師が説明。
ソ連とは、昭和16年(1941年)4月に日ソ中立条約を結んでいます。日ソ中立条約とはどのような条約なのかを説明します。(資料1)
ソ連とは戦争状態にはありませんでした。

資料1 日ソ中立条約のポイント

1.お互いの領土に侵攻しないこと。
2.一方が、日本とソ連以外国と戦争状態になっても
  他方は中立を守ること。
3.条約有効期限は5年とし、延長しない場合は有効期限が
  切れる1年前に通告すること。
●昭和20年(1945年)8月15日、つまり、ポツダム宣言を受諾する直前まで戦争状態にあった国はどこですか。

○アメリカ、イギリス、中国です。

●ソ連とは戦争状態になっていたと思いますか。

○日ソ中立条約の期限内なので戦争状態にはなっていないと思います。
※昭和20年8月8日に日ソ中利条約を破って、ソ連が攻めてきたことを知っている児童がいれば評価して進める。
ソ連は、昭和20年(1945年)4月に条約を延期しないことを通告してきましたが、1945年8月は、まだ期限内でした。なので、皆さんの意見とおりになりそうなんですが、実は違います。1945年8月8日に条約を破って、日本に宣戦を布告してきました。どのような場所から攻めてきたのでしょうか。資料2を見ましょう。

資料2 ソ連の日本への侵攻ルート

●ソ連との戦争はいつまで続いたのでしょうか。3つの中から選びなさい。

1.日本がポツダム宣言を受け入れて降伏した8月15日まで。
2.戦場が東京から遠くはなれた北方のため、現地軍隊は、日本がポツダム宣言を受け入れたことを知らず、8月15日以降も戦争が続いた。    
3.ソ連が火事場泥棒的に弱った日本から領土を奪うために、日本がポツダム宣言を受け入れたことを知りながら、それを無視して戦いを続けた。
正解は3です。北方の日本軍は、8月15日の夕方には日本が降伏したことを知りました。それにもかかわらずソ連は攻めてきたのです。
(2)占守島での戦いの様子について

●その時の様子について、千島列島の最北端の島である占守(しゅむしゅ)島、つまりに日本領土の最前線を中心にもう少し詳しく見ていきましょう。資料3
資料3 占守島での出来事(1945年)パート1
日時 出来事
8月 8日 ソ連が日本に宣戦布告
8月15日 日本がポツダム宣言を受諾して降伏
8月15日
夕刻 占守(しゅむしゅ)島の日本軍が、日本国のポツダム宣言の受諾を知り武装解除を始める。
8月17日 第5方面軍から、「一切の戦闘行動の禁止。但し、やむを得ない自衛行動は妨げず、その完全徹底の時期を18日午後4時とする。」とう命令が下る。
8月18日
午前2時頃 ソ連軍による占守島の竹田浜への上陸作戦が始まる。それを受けて竹田浜を守る村上大隊と交戦状態となる。


●この時、占守島で指揮を執っていた堤中将は、戦闘命令を出すべきかどうかを迷います。みなさんはどうするべきだと思いますか。

1.戦闘命令を出すべきである。
   日本はポツダム宣言を受諾し戦争は終わっている。
   これ以上戦って戦死者を出すべきでない。
   部下かから戦死者を出すことなく復員させたい。

2.戦闘命令を出すべきではない。
   すでに竹田浜では、戦いが始まっている。
   不法に攻めてきた相手に負けるわけにはいかない。戦うべきだ。

※いろいろな意見を出させたい。    

●堤中将は戦うことを決断し命令を下します。その後どうなったか資料4・5を見てください。
資料4 占守島での出来事(1945年)パート2
日時 出来事
8月 18日 ソ連軍は四嶺山まで進出したが、第十一戦車部隊の投入などによって、竹田浜方面に向かって敗退し、戦線は膠着状態となった。
8月18日
午後4時 日本のから戦闘行動停止の軍使を送るが、ソ連には停戦の意思は無く、軍使が攻撃される。
8月19日 一触即発の状態で対峙していたが、再び日本が軍使を送り、ソ連軍も受け入れ交渉に入る。
8月21日 第5方面軍からの「戦闘を停止すべし、武器引渡しも了解す。」という命令により、局地停戦協定が締結される。
8月23、24日 日本軍の武装解除が行われる。
第5方面軍・・・北海道・南樺太・千島列島を作戦地域として軍隊。
資料5 占守島での戦いについての比較
  日本 ソ連
戦果 占守島の防衛に成功 占守島の占領に失敗
死傷者(日本側の発表) 約600名 約3000名
死傷者(ソ連側の発表) 約1000名 約1500名
停戦協定 武装解除  
占守島での戦いでは優勢だったものの、日本国の敗戦により一方的に武装解除させられ負けた形となった。(武装解除…降伏者・捕虜に対してその兵器を強制的に取り上げること。手を上げて敵の前に出ることと同義である。)
●占守島での戦いでは優勢だったものの、日本国の敗戦により一方的に武装解除させられ負けた形になりました。このような結果になったわけですが、戦闘命令を出すべきだったと思いますか。   

(3)占守島での戦いの意義    

●停戦協定後、千島列島はどのようになったのでしょうか。資料6を見てください。
資料6 占守島での出来事(1945年)パート1
日時 出来事
8月 25日
~31日 25日に松輪島、31日にウルップ島という順に、守備隊の降伏を受け入れながら、各島を順次占領していった。
8月29日 北千島占領部隊とは別の部隊が、択捉島を占領
9月2日 ミズーリ号上で、日本国が降伏文書に調印
9月1日
~5日 北千島占領部隊とは別の部隊が、国後島、色丹島、歯舞諸島を占領
※択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島について、ソ連軍はアメリカ軍が来ると考え上陸し なかった。しかし、来ないことを知ると占領を開始した。その後、北方4島は不法に占 拠されたまま今日に至る。
資料7 千島列島の地図


このように降伏をしているにもかかわらず、不法に占領され今日至っています。
●もう北海道まで目と鼻の先まで来たソ連軍です。実は、北海道も占領しようと考えていました。資料8を見ましょう。
資料8 ソ連の北海道占領の企て

8月16日にソ連の指導者スターリンは、米大統領トルーマンに対して北海道の北半分 の占領を認めるように要求を送りましたが、拒否されました。
ソ連は、北海道を占領するためにアメリカより先に占領しようと考えていましたが、 22日スターリンは、トルーマンあてに北海道占領を断念する旨の解答を送りました。
22日は、占守島で停戦協定が行われた翌日です。それ以南の諸島はほとんど手つかずの状態にありました。占守島を一日で占領し、一気に北海道に攻め込むつもりでいたソ連軍は、初めの一歩で大きくつまずいたのが原因です。また、樺太では、真岡近郊での戦闘の最中でした。
日本軍の頑強な抵抗により、ソ連としては、樺太千島列島の占領を優先するため、もはや、北海道を諦めざるを得ない状況に追い込まれました。
●最後にもう一度聞きます。戦闘命令を出すべきだったと思いますか。最後に、も う一度考えて見ましょう。
今の北方領土見れば分かりますが、一度占領されてしまうとその国土を取り戻すのは大変困難なことです。北海道の占領を免れたことを考えると、占守島の戦いは大きな意義がありました。


第15回全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園)ー積極的安楽死について論議される

2010-08-08 15:21:24 | 意見発表
今日の讀賣新聞に「ディベート甲子園開幕」と言う記事があった。

私は日本人は国際外交をして行く上から、馬を鹿と言い切る如き訓練をすべきと考えています。
 
 実際馬を鹿という人が政治家の中でも見受けられます。小沢前幹事長はその内の一人である。国民には馬と見えているのに鹿と言い張ってそれをまかり通している。さすがに国民も馬鹿ではない。おかしいと指摘し内閣支持率を下げ、小鳩は退陣したが、小沢前幹事長は、明らかに不正資金の取得をしているが、その不正取得を現行犯で逮捕できないので、起訴もできないでいるのです。しかし、その不正資金は形を変えて証拠として残っているのです。マンションや土地という資産15億円で残っているのです。しっぽは隠したが頭は隠れていないのです。それでもやましい金ではないと言っています。
ではその金は何処から来たのか、説明すべきではないか。収支報告書の偽造、3人の秘書は起訴されて、「わしは何もしらん」は馬を鹿と言っているのです。

小沢氏は国民は犯罪者だと確信しているのです。しかし、その小沢氏は大物と言われています。
というように間違ったことを言い切ることも国際外交では堂々と行われそれをおかしいと論破できなかったら負けになるのです。

外交とはそう言う騙し合いの世界なのです。そう言うことは正義ではないし儒教の世界ではそう言うことは有ってはならないことですが、しかし、正義論だけでは通用しないのが外交と心得るべきです。勝てば官軍、間違っていることも正しいとされてしまうのです。

そう言う点で儒教の日本は相手に弱点をつくようなことは戒められていたので出来ないのです。そこで儒教日本は世界に負けるのです。外交が下手なのです、特に外務省は頭を下げるか金を出すかしかできないのです。そう言う点で日本は国益を損なっているのです。
「(読売新聞)
 政府は5日、今月で日韓併合から100年になることに合わせ、菅首相の「談話」を発表する方針を固めた。 首相自身や、弁護士として在日韓国人の権利保護訴訟などを手がけた経験のある仙谷官房長官を中心に検討してきたもので、15日にも公表する方向で調整している。」

こういう談話も決して出してはいけないのです。簡単に謝罪してはいけないのです。賠償は済んでいますが、ずるい韓国人はもっと取ろうとしています。金賢姫が3000万円貰ったというのも驚きですが、借金日本をどうしてくれるのだ民主党はと言いたい。

例えば韓国と北朝鮮問題、拉致が500人程いる。その返還交渉で「拉致被害者らの帰還は韓国の歴代政権が北朝鮮に求めてきた。韓国軍捕虜に関して北朝鮮は「解決済み」とし、拉致被害者は「自らの意志で北朝鮮に来た」と帰還を拒否してきた。」という北朝鮮の外交です。日本もこの北朝鮮を見習い、韓国への謝罪、賠償は解決済みとつっぱるのが正しいのです。

「「必要あるか大きな疑問」 谷垣氏、日韓併合100年談話批判 2010年8月6日
自民党の谷垣禎一総裁は5日の記者会見で、政府が29日の日韓併合100年に関する首相談話の発表を予定していることに対し「出す必要があるのかどうか、大きな疑問だ」と述べた。」というように国内で疑問があることをやってはいけないのです。

そう言うようなこともあり、日本人も外国の要求には論破する技術を磨かないといけないのです。道義的にはいけないことですがディベートは国益に関することで推奨すべき事と思っています。

今回のテーマを見てびっくりしたことは、「積極的安楽死」と言うことがテーマになっているのです。

「今年の論題発表
【第15回全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園)論題】
•論題
中学: 「日本はペットの売買を禁止すべきである。是か非か」
*ペットとは、愛玩用の動物(哺乳類、鳥類または爬虫類)とする。
*売買とは、有償による取引(レンタルを含む)とする。

高校: 「日本は積極的安楽死を法的に認めるべきである。是か非か
*積極的安楽死とは、延命治療の中止以外の手段により、意図的に患者の死期を早める行為とする。」
という論題です。

私はペットの安楽死なのかと思いました。
が違うように思うのです。これは人間の安楽死のことだ、自殺にことを積極的安楽死と言っているのだと気づきました。

実は私、どこかのブログの中で「自殺を認めて欲しい」と一度書きました。
(私は今71歳、まだ元気ですが、生きるのが辛くなるとき来ると思うのです。

今、日本人の自殺が35000人くらい、この働き盛りの若い人の自殺は問題ですが、高齢者は肉体的、精神的に生きているのが辛くなるときが有るのです。その状態は誰でも毎日のように経験できます。
それは夜眠たくなって寝床に入りますが、これは一日の死だと考えられます。
一日の終わりの眠りと一生の終わりの眠りがあるのです。人生を終えて永い眠りにつきたくなることは出てくるのです。

もう人生に思い残すことはない、体は動かない、節々が痛む、がんが神経を冒している、この苦しみから逃れたい、・・・そう言うときが来るのです。
苦しみの中で、痛くなったらモルヒネを打たれ、幸せだと思ったのもつかの間、前身をペンチでつまんだような傷みが走る。神様と祈ってもどうにも出来ない、地獄の中に入っている、辛抱してといわれても、辛抱できない、もう快方に向かう目当てはない。

 終末医療と言うのがあります。父は瞼の皮膚がんでしたが、皮膚がんで死なないと聞いていましたが、がんが大きくなって出血が止まらなくなる、痛がる・・・更に肝臓も悪くなる・・・そこで一般病院から終末医療の病院が紹介され入院しましたが、あれは安楽死の方法だったと思っています。常に眠らせているのです。寝ている間は傷みはありません。始終モルヒネ付けでしょう。

入院して1か月もしない内に無くなりました。100歳を2カ月超えていましたので大往生ですが、一種の合法的な安楽死だったと思っています。苦しみをあまり感ぜずに死ぬことができて良かったと思っています。この終末医療簡単には入院できないのです。順番待ちなのですが、幸い空きがあったと言うことで入院できましたが、もし入院できなかったら、がんからの出血は止められない、痛がるし、文句は言うし・・ということで家族は大変なことになるところでした。

悲惨になるところ助けて貰ったという感じですが、がんで、見込みが無く、傷みや出血
で大変になりなったとき、生きるのが辛くなったとき、安楽死を選べるように、そう言う道を作って欲しいと思っていたのです。

そのテーマでディベートされるのです。
どういう議論になったのか整理して発表して欲しいところですが、ともあれそう言うことが議論され始めたことを歓迎したいと思います。

多分安楽死を認めると安楽死に名を借りた殺人がおこなわれる。命は尊い、明日病気に効く薬が開発されるかも分からない、と言うのが反対派の論拠でしょう。
容認派は終末医療の実態からその苦痛を逃れる方法としてのモルヒネ、そう言う状態で延命は本人のためであるのか、本人に成り代わって苦痛を無くす観点から論を進めるのでしょう。

どういう議論が展開されたか聞きたいものです。

浅田次郎占守島の戦いを小説にー「終わらざる夏」

2010-08-08 11:46:30 | 意見発表
8月7日の「ウエークアップ!プラス」を見ていたら、「8月15日は終戦の日ですがその3日後に始まった戦争がある。」というのです。

「千島列島の北の端占守島(しゅむしゅとう)、当時の日本領で昭和20年8月18日に始まった戦いがあった。この知られざる戦争を題材に浅田次郎さんが新たな作品を発表されました。

浅田さんが伝えたかった思いとは・・・、
1951(s26)年東京に生まれた浅田次郎、自衛隊に入隊後婦人服販売会社など様々な職業をへて小説家となった。
その浅田がこの夏出版したのが、「終わらざる夏」(上下)(集英社)
着想から30年7月出版
1945年8月15日この日誰もが戦争は終わったと思っていた。所がその3日後、場所は千島列島の先端の占守島、アメリカとの戦闘に備え2万を超える日本軍が駐留していた島にソ連軍が上陸、激しい戦闘が始まった。

つまり戦争が終わって始まった戦争、この知らぜらる戦争が作品の軸だ。
「“占守島の戦い”はいろんな戦争の中で私が一番理不尽だナーと感じる戦争
「10万人の戦死者がいたら10万人の命、10万人の人生と思い至らないこれが戦争の怖さと思います」
一つひとつの命は一つひとつの人生である。といことを自分自身に言い聞かせながら書こうと思いました。」
「(戦争体験者には取材しなかった)取材したら負けちゃうと思いました。客観的な資料だけで自分で想像して物語を作った」
なぜ戦後65年この作品を世に出したのか。
インタビュー
戦争が終わって3日後の戦争を知ったのは何時か
自衛隊には行って占守島の戦いを知った。
自衛隊に入ったのはなぜ三島由紀夫が自殺をしたのかを知りたくて
65年も経って体験者の方も少なくなって、歴史になってしまうタイミング
小説家だったら書くのが正しいと思った。
・・・

インターネットで{終わらざる夏」を検索
(編集Nさん)

「第二次世界大戦はいつ終わったのでしょう?
こう質問されたら、ほとんどの日本人は
「1945年8月15日」と答えると思います。
そうです、日本の敗戦が、玉音放送で全国に伝えられました。
ところが、その玉音放送後に、始まった戦闘があったのです。
北のさいはての島で、日本軍の超精鋭部隊とソ連軍が、壮絶な戦車戦を繰り広げていた。
恥ずかしながら、編集Nもこのことを知りませんでした。
本作は、この「終わったはずの戦争」を題材に、戦争という大きな理不尽に巻き込まれ、懸命に生きた人びとの姿を描いた長編小説です。
兵役年限ぎりぎりの老齢で召集された、アメリカ文化に憧れる翻訳書編集者・片岡。
歴戦の軍神とまつりあげられ、ありえない4度目の召集を受けた盛岡のタクシー運転手・鬼熊。
周囲の人望厚く、志高い帝大医学生・菊地。
終戦間際に召集された彼らは、ある使命を帯びて北千島の孤島・占守島に向かいます。
かつてはクリル・アイヌたちが暮らし、海の幸豊かで夏には花々の咲き乱れる美しい島、占守島。
そこには、日本軍の精鋭部隊が、奇跡的に残されていたのでした……。
東京、信州、盛岡、北千島を主な舞台に、様々な立場の人々が、戦争に巻き込まれていく。
大本営で召集のおおもとを決めるエリートも、赤紙を届ける役場の担当も、それを受け取る一般市民も、最前線の兵士も、女子挺身隊の少女たちも、疎開先の先生(訓導)も、ロシア人の兵士も、皆、いまの私たちと変わらない、夢をもった人間だった。
そんな当たり前のことが、改めて胸に迫ってきます。
編集Nは、何度も何度も、涙で文字が読めなくなりました。
戦争、といって思い浮かべがちな通りいっぺんのイメージを、本作は根底から覆します。
そうしなくては、あの戦争の本質、そしてもっと大切なことは見えてこないと、浅田先生は仰っています。
人間が生きていくうえで、これだけは譲ってはいけない大切なこととは何か。
終戦65周年のこの年に、この作品を通じて浅田先生が世に問うているのは、このことなのだと思います。
ぜひともぜひとも、世代を超えてたくさんの人に読んでいただきたい、素晴らしい作品です!!
終わらざる夏』特設サイトはこちら」

占守島については次稿小学生の教材がインターネットにありましたので転記しています。
占守島の戦いー小学校教諭の教材から」を見て下さい。

韓国は金賢姫の日本観光を依頼をしたー中井大臣が国会で証言ー韓国に厳重抗議しよう

2010-08-07 15:40:54 | 意見発表
金賢姫は大した情報もないのになぜ日本に来たのでしょう。
これが不思議に思えていたのですが、元死刑囚なので韓国では旅行もできないと言うことで日本への旅行を日本の資金でするように韓国側から依頼されていたことが、中井拉致担当大臣の国会答弁で分かった。

「金賢姫元死刑囚の上空案内「韓国側が観光依頼」 担当相2010年8月3日asahi

 中井洽拉致問題担当相は3日の衆院予算委員会で、来日した金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚をヘリコプターに乗せて東京上空などを案内したことについて、「韓国側が『彼女は永久にどこにも出られない。1カ所でいいから観光旅行させてやってほしい』と。私はどこかでかなえてやりたいと考えた」と説明した。平沢勝栄氏(自民)の質問に答えた。 」

親韓国民主党、菅首相も、仙石氏も、岡田氏も何かと言えば韓国のために日本を利用しようとしている。

「日韓併合100年、首相「談話」15日にも発表」と言うことまでやろうとしている。これは謝罪談話である。民主党の中でも多くの人は反対するので、国会決議は出来ないし、閣議決定もできないし、「首相談話」にも出来ないので、単に「談話」を発表するという。
なぜそこまでして韓国におべっかを使うのか。謝罪せよと韓国に言われたら何よりも重視し、菅・仙石は謝罪の談話を発表したいのです。
もう嫌だ韓国は、何度も何度も謝罪させれれて、それを率先して受け入れる民主党党首、民主党はこんな党と走らなかった。党の代表は日本を代表しているのです。軽々しく謝罪して貰っては困ります。

韓国から、金賢姫の気晴らし旅行を日本で受け入れてくれないかと相談を受けた民主党、法相もぐるになって、元死刑囚に超法規的に扱って、別荘や、遊覧飛行を行わせ、拉致家族とは形式的に会談させ、3000万円というお小遣いを握らせて帰っていった。総額1億円近い出費になっているのではないでしょうか。

なぜそこまで韓国の言いなりになるのか民主党は
そんな調子では竹島も・・・これは日教組が教育の現場で韓国のものと言っていると言うことです。

謝罪で頭を下げ、領土は侵略され、金は要求され・・・何処まで韓国に身売りするつもりでしょう民主党は
そればかりじゃない。代表選に向けた内乱振りはなんだ。派閥争いなのか。

「菅もダメばい、ばってん誰がおると、首相になれそうな人、原口も腹グロばい、・・・って」と言っていた人もいた。

韓国も日本に元死刑囚の旅行を頼んでくるなんて、厚かましいものです。本当に韓国は頼んだのでしょうか。

頼んだけれど、国会で発表するとは思っていません。しかし中井法相の答弁は国会の中で行われたもの、嘘は言いません。間違いなく韓国は日本に要求したのです。

日本にそう言うことを依頼した韓国、国の品位が悪いと思っていたが、日本人は韓国の様なことはしては決してしないようにしましょう。

韓国に金賢姫海外旅行を日本の押しつけた韓国に抗議したい。

日韓併合100年、首相「談話」ー絶対反対

2010-08-06 06:30:43 | 意見発表
2010年8月5日(木)(読売新聞)

「日韓併合100年、首相「談話」15日にも発表
 政府は5日、今月で日韓併合から100年になることに合わせ、菅首相の「談話」を発表する方針を固めた。
 首相自身や、弁護士として在日韓国人の権利保護訴訟などを手がけた経験のある仙谷官房長官を中心に検討してきたもので、15日にも公表する方向で調整している。

 首相は5日の参院予算委員会で、「日韓併合100年にあたって、どのような形をとるか慎重に検討している」と答弁し、「談話」の内容や発表形式を調整していることを認めた。

 政府関係者によると、アジア諸国への植民地支配に対する「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した村山首相談話と同様、韓国国民に反省やおわびの気持ちを伝えることが主眼で、新たな戦後補償には応じないとする立場にも変更はない。未来志向の日韓関係の構築に向けた努力を継続する決意も盛り込む。

 具体的にどのような表現とするかについては、民主党が政権獲得後、初めて示す歴史認識問題に関する公式見解と位置づけられることから、首相が「自らの言葉で語る」ことにこだわっているという。

 発表の形式などに関しては、民主党内の保守系議員を中心に「談話」を出すこと自体への慎重論もあるため、閣議決定が必要な「首相談話」とはせず、閣議決定が不要な首相の「談話」や「メッセージ」とすることも含め、検討している。 発表の時期は、日韓併合条約が調印された「22日」や同条約発効の「29日」を避け、韓国が植民地支配からの解放を祝う「光復節」の15日とすることが有力視されている。

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植民地支配の実態直視を=日韓併合100年で官房長官(時事通」


>「菅首相の「談話」を発表」
は絶対反対です。

「政府関係者によると、アジア諸国への植民地支配に対する「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した村山首相談話」とありますあが、これは国会議員をだまし討ちにして決めたもので、現在でも反対の意見が多いのです。これによって村山富市氏は「そこまで言って委員会」で日本をダメにした最低の首相と言われています。

「発表の形式などに関しては、民主党内の保守系議員を中心に「談話」を出すこと自体への慎重論もあるため、閣議決定が必要な「首相談話」とはせず、閣議決定が不要な首相の「談話」や「メッセージ」とすることも含め、検討している」
と言うことは、このことが民主党の独走でなくて何だ、といいたい。
民主党内でも反対者がいるので、閣議決定が出来ないので、「談話」とするのです。そんなことをして日本を、日本の子どもを含めて土下座外交をするのは止めて欲しい。

戦争で迷惑をかけた国には補償、ODAで協力でお詫びを表明してきました。
日本が占領した国、ミャンマーラオス、カンボジア、マレーシア、シンガポールベトナムフイリッピンインドネシアの国々があります。
太文字は賠償をした国、青文字は「賠償しなくてもいいですよ」と賠償を放棄した国です。

なぜ韓国に何度も何度も土下座するのでしょう。

政府が土下座すればするほど、国民は民主党が嫌いになり、韓国が嫌いになります。
民主党菅首相と仙石しは日本人に「反カン」(反感、反菅、反韓)思想を起こさせようとしているのか、日本人にも自尊心はある。お詫びは何度も繰り返すものではない。
中国・韓国の現代の発展は日本の援助のたまものである。韓国はそのことを勉強すべきです。

韓国は日本が支払った賠償金で驚異の経済発展をしているのです。
池上さんが放送で「日本から韓国に支払われた資金は無償3億ドル、有償2億ドル、パク大統領はその多くを製鉄所、ダム、高速道路などの社会資本建設に投入した。10年間で国民総生産を13倍に引き上げハンガン(漢江)の奇跡と言われる経済発展を成し遂げた。しかし日本からの資金は植民地時代の個人補償には使われなかった。

ということで、日本は戦争中迷惑をかけたところの補償は完了している。と言うことは謝罪は終わっているのです。

しかし、韓国は「個人補償には使われなかった」と言うことで、当初韓国人は政府に抗議していましたが、その矛先を日本に向け何度も何度も金を出すまで言い続ける気です。多額に資金を社会資産に使う方が韓国の為になると考えられたのです。

そして経済が飛躍的発展したのです。韓国人はその効果を享受しているのです。それが償い・謝罪です。個人に払うか、社会全体で生かすかは韓国政府の問題です。

韓国だけだ何度も謝罪を求めるのは、反対です。
民主党は、菅氏仙石氏はこれを強行したら、国民は衆院選挙で答えるでしょう。

土下座外交民主党ー何時までお詫びを続けるのかー首相談話等に反対ー今後も落ち込む日本人で良いのか

2010-08-05 06:51:51 | 意見発表
「土下座外交民主党ー何時までお詫びを続けるのかー首相談話等に反対ー今後も落ち込む日本人で良いのか」

(2010年8月4日21時26分 読売新聞から)
「日韓併合100年、政府見解は慎重に…官房長官
 仙谷官房長官は4日夕の記者会見で、今月で日韓併合100年になることに関し、「韓国併合の植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪う実態もあったということだから、そこは直視して考えていかなければならない。韓国の方は文化的に誇り高い民族で、宗教的儀式を強制したのも相当誇りを傷つけたと聞かされている」と述べた。

 「歴史的な和解の話は100年かかる。傷つけられた方は3代にわたって語り継いでいる部分もあるし、現実の被害感情を持つ方もいる」とも語った。
 一方、首相談話などの政府見解については、「未来志向の日韓関係を作るために、出す必要があるかないかを含めて慎重に検討している」とだけ述べた。
 日韓の歴史認識に関しては、1998年に来日した金大中韓国大統領に小渕首相が植民地支配への「反省」と「おわび」を表明し、日韓共同宣言に「わが国が過去の一時期、韓国国民に対し、植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省と心からのおわびを述べた」と明記した。」
と言う記事がありました。

ものの考え方として、「後50日しかない」と考えるのか「まだ50日ある」と考えるのかと言う考え方の違いがあります。

韓国は日本に向かって、日本にだけ、敵国視するかのような態度をとっています。というより儒教の国とは思えない考え方をします。100歳以上の方死亡確認報道も「日本に長寿国というのは誤魔化しだった」等というのは、非難、見下し、罵倒、・・・のようなものです。何という言い方をするのか、韓国の国民の品位の無さを感じる。そう言うことが実感できるのが北朝鮮の言動です。よくまあそう言う屁理屈を言うものだと思えるようなことを言う。

 朝鮮人の考え方、中国人もそうであるが、過去のあらをほじくり出してぐたぐたいう。
例えて言えば夫婦喧嘩で「浮気がばれた」状態、平身低頭で謝っても、何か事が有れば「あの時貴方は」と持ち出す。
旦那さんとしては早く解決済みにしたいが、あの時は、この時はと女というものはそう言う記憶は何時までも残るものらしい。

テレビで浮気に画面が出てきたらそこでも言い出す。
そんな夫婦関係では、離婚してしまいたいと思います。謝ったら白紙に戻し、そこから再出発すべきではないでしょうか。
例えば再婚同志の場合、過去はいろいろあるでしょう。それを乗り越えて行くべきでしょう。どうしたらこれから幸せに生きて行けるかを重視すべきです。そこでは過去は不問にすべきです。「見ざる、聞かざる、言わざる」です、「みんこと(見ないと)清し」(裏方を見ていない人はその汚いことを知らないので綺麗だと思うという法則)です。

なのに韓国は浮気の歴史、浮気者は罰せよと教育しているのです。
これでは、いつまでたっても幸せな夫婦関係は築けません。

「小渕首相が植民地支配への「反省」と「おわび」を表明し、日韓共同宣言に「わが国が過去の一時期、韓国国民に対し、植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省と心からのおわびを述べた」
と言うことですが、インターネット上では、村山富市首相の抜き打ち談話が問題になっています。謝罪の談話に初めです。これに河野洋平・・と続いているのです。

この問題は国と国との関係では安易に謝罪をしてはいけないのです。十分に国内で調査して歴史事実に基づいて十分に格にした上で謝罪するべきです。日本人は簡単に謝罪していますが国際的には簡単に謝ってはいけないのです。

村山、河野、小渕、小泉・・・多くに人が謝っているじゃないですか。国民は納得していません。村山・河野談話を白紙に戻せと言う要求もあります。

いつまでもいつまでも謝罪させられて、もう「韓国とは絶交したい」と日本人が思うようになるのは当然である。
(その中で日本の”おんな”はイケ面かどうか分かりませんが、韓国若い男性にうつつを抜かしています。悪人と教えられている日本人のおばさん、どう転んでも過酷人の恋人になるわけはない。「日本のおばさん」貴方は化石者です。若き男性の恋の対象は問題外で見苦しい姿を海外にまき散らしています。日本の恥です。「己自身を見よ、己自身を知れ」と言いたい)

韓国は日本の植民地支配を非難するのなら、竹島に不法占拠すべきではない。言行一致をやって貰いたい。「ます隗より始めよ」竹島不法占拠を謝罪してから、日本に言うべきです。

朝鮮戦争って何でしたっけ、朝鮮を南北に分割し、民族同士の戦争をし、国語が焦土と化した、その原因に矛先を向けるべきです。

どんな遺産もこの時破壊されたのです。

馬鹿な民主党、政府が韓国での「日韓併合」でコメントをする事に反対です。

2010.8.4「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」で、「国の借金860兆円、借金大国日本がなぜ援助するのか」と言う中で、今年約6000億円をODAに使っている。何故ODAをしているのかの説明で、日本が占領した国、ミャンマーラオス、カンボジア、マレーシア、シンガポールベトナムフイリッピンインドネシアの国々があります。
太文字は賠償をした国、青文字は「賠償しなくてもいいですよ」と賠償を放棄した国です。理由は「日本は戦争で負けて困っているのでしょう。そんな国からお金は頂けません」ということです。日本としては損害賠償はしないが援助はします、と言っても日本にはそんなお金はありません。そんな中1951年「サンフランシスコ平和条約が結ばれます。連合国の日本に対する平和条約が調印され、これによって日本は主権を回復した。その後お金ではなく 役務と生産物で支払う方法の援助が決められた。

中国も賠償を放棄している。それは中国国民党の主席、蒋介石が「既往をとがめず、徳をもって怨みに報いる」(いろいろあったが損害賠償請求はしない)これによって中華民国への援助はしなかった。

1972年に日中共同声明に田中角栄首相と中国の周恩来首相とが調印、周恩来首相が「賠償の請求はしない」と言った。日本はこれに対してODAで応えているのです。

韓国との間は1965年日韓基本条約に調印、戦後20年目に日韓の関係が正常化した。
この条約で「日本の植民地支配下の被害補償における請求権のの問題が完全かつ最終的に解決」されたこととなりました。日本から韓国に支払われた資金は無償3億ドル、有償2億ドル、パク大統領はその多くを製鉄所、ダム、高速道路などの社会資本建設に投入した。10年間で国民総生産を13倍に引き上げハンガン(漢江)の奇跡と言われる経済発展を成し遂げた。しかし日本からの資金は植民地時代の個人補償には使われなかった。

ということで、日本は戦争中迷惑をかけたところの補償は完了している。と言うことは謝罪は終わっているのです。

それなのに何度も何度もしつこいったらありゃしない。韓国は、世界の常識が通用しない国と言える、そう言う国はうてあわない方がいい。韓国とは口を利くな!


豚骨ラーメンごはん(TRG)とソーメンだしごはん(SDG)ー簡単で美味しいごはん

2010-08-04 18:57:20 | 意見発表
テレビを見ていたら「豚骨ラーメンごはん(TRG)」というものを紹介していました。

トッピングはもやし、紅ショウガ、ネギ、メンマ、キクラゲ、チャーシュウ、ゆで卵の半分、高菜の8種類で525円

作り方
豚骨ラーメンのスープは通常のように作って、そのスープをごはんを炊くときの水の代わりに入れて炊きあげて、丼にごはんをついでトッピングして、出来上がりというもの。

私はラーメンを食べたあと、豚骨スープにごはんを入れて茶漬けにようにして食べるラーメンスープごはんは提唱したことはありますが、この豚骨ラーメンのスープでごはんを炊くことは思いつきませんでした。

これは良い案と思います。これに近い料理は、例えばかしわごはん、鯛めし、炊き込みごはん・・・がありますが、これらは具材を混ぜて炊き込むのですが、豚骨ラーメンのスープだけとは思いつきませんでした。

お米の消費拡大の良いアイデアと考えます。

これを応用して家庭で手軽に作る方法はインスタントラーメンのスープを溶いてごはん炊くときの水代わりに入れて炊くという方法はどうでしょう。

これからさらに連想して、ソーメンのつゆを入れるという方法も考えられます。
この方法はすぐにでも実行可能で、さっそく実験してみました。
名付けてソーメンだしごはん(SDG)です。

最初はソーメンだしを出てどれくらい薄めたらいいのか分かりませんので、まず1合の米を研いで10倍に薄めただしで炊いてみました。

美味しくできました。
簡単にだしごはんが炊けました。ごはんに塩分が入っているだけで美味しくなるのにカツオだしなのでまずかろうはずがありません。

つぎにややだしを多くしてこれにかしわ(鶏肉)を入れて1合炊いて見ました。
このかしわ、成鶏のもも肉でしたので、肉が固かった。しかし油がおおくて美味しいかしわごはんになりました。

つぎに、若鶏の肉を使ってソーメンだしはやや多くしてしめじを入れてみました。
米は2合、これは更に美味しく炊けました。

つぎに、キーマ(牛と豚のひき肉)を入れて、いんげんを1cm長さに切って入れて炊いてみました。これもなかなかの美味しさです。

ということで、簡単で美味しいごはんの炊き方は、ソーメンだしを使って、若鶏肉、或いは牛でも豚でもひき肉を適当に入れて、ごぼうとかにんとかしめじとか・・・適当に入れて炊くと、ごはんと肉と野菜が一度に摂れて、PFCバランスは良くて、あとはビタミン・ミネラルをどう補うかです。

そのためにみそ汁と野菜をとればいいのです。

これは独身者の食事におすすめです。
一度実験してみて下さい。

そーメンを食べてアメリカ小麦の消費に協力するより、メンの代わりにごはんにしてごはんの消費拡大をはかりましょう。

石破先生の予算委員会質問にー意見

2010-08-04 06:38:11 | 意見発表
石破衆議院議員にメールをしました。お忙しい先生、呼んでくれるでしょうか。
以前「みんなの党」に消費税を上げることを考えるべきだと書きました。直接声を聞いて貰える方法があるのです。どんどん意見を言うべきです。

メールの内容です。
「石破先生へ

○○と申します。これで2回目のメールです。
第一回は: 2010年6月1日 件名 : 「自民党は反省したことの表示をすべきです。」とメールしましたが、自民党の反省・総括はまだ出来ていないと思います。反省をすると言うことはもう省言うことはしませんと決意することだと思います。

しかし、私は石破先生が予算委員会でおっしゃったように民主党の暴走阻止の役目を自民党に担って欲しいと思って自民党に投票しました。

8月2日の予算委員会の先生の質問というか、菅首相をいさめているのを見ましたが、なかなか立派でした。

しかし、私は政治は素人ですが意見ががいくつかあります。
その内の一つ、次のようなブログを書きました。

「2010.8.2衆院予算委員会の質疑のNHK国会中継で前の防衛庁長官だった石破茂氏が、『昭和16年夏の敗戦』という本を掲げて「なぜ『昭和20年夏の敗戦』ではなくて『昭和16年夏の敗戦』なのか」とはなしておられました。

この本の内容は、出版社/著者からの内容紹介では
「若手エリートたちによって構成された「模擬内閣」は、あらゆるデータを基に日米開戦を分析、昭和16年8月の段階で「日本必敗」の結論を導き出していた。数少ない資料・当事者の取材を通して机上演習をも再現する。
  昭和16年、「内閣総力戦研究所」に軍部・官庁・民間から選りすぐった将来の指導者たちが集められた。それぞれの出身母体に応じて「模擬内閣」を組織し、戦局の展開を予想したのだ。単なる精神論ではなく、兵器増産の見通し、食糧や燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携などについて科学的に分析、「奇襲作戦が成功し緒戦の勝利は見込まれるが、長期戦になって物資不足は決定的となり、ソ連の参戦もあって敗れる」という結論を導き出した。この報告は昭和16年8月に、当時の近衛内閣にも報告され、後の首相となる東條陸将も真剣に受け止めていたはずだった。」



読者の感想
「戦争を始める前に「日本必敗」の結論が出されていたことにも驚いたが、その結論を出したのが、官僚や民間人の若いエリートたちだったことが最大の驚きであり、感動だった。
本の中身は、実際の登場人物の声や資料が出てくるので、具体的で非常におもしろい。
著者は、彼らが今日評価されるとしたら「彼らが事態を曇りない眼で見抜き予測した点」であり、「その予測を可能にしたのはタテ割り行政の閉鎖性をとりはらって集められた各種のデータであり彼らの真摯な討議」だという。今の政治にも言えることだろうと思う。」

以上この『昭和16年夏の敗戦』読み方として、
(1)日本は戦前に敗戦を予測して、実戦もその通りになった。
(2)プロジェクトを結成し、省益・族益等を考えないで純粋に日本のことを考えたら正しい結論が出るのだ。
(3)それでも日本は戦争をした、それは何故。
と言うことになります。

ここで、このブログを見ている皆さんは、(3)について理解して貰っていると思います。
例えば下記のブログで書いてきています。
「ルーズベルトは何故戦争をしたかったのか、そのために何をしたのか」
「日本人は太平洋戦争の責任があるーといわれたら何と答えますかー責任はアメリカにあるのです。」
「太平洋戦争ー感謝されている日本ー日本は武士道の国である」
「日本との戦争をつくったルーズベルト大統領ー罠にはめられた日本」
「A級戦犯は戦犯ではないールーズベルトこそ戦犯である」
「ルーズベルトは何故戦争をしたかったのか、そのために何をしたのか」
等で書いています。

 つまり、日本は負ける戦争に何故つっこんだのでしょう。猪瀬さんはそこをどう考えられたのでしょうか。

この本は、シビリアンコントロールと軍部独走と言う見方、シビリアンは正しい結論を出したが、軍部は独走した、シビリアンコントロールをすべし、という結論と昨日の石破氏の質問では聞き取れました。

確かに大東亜戦争の反省としてシビリアンコントロールが重視されています。
しかし、そこにも危険があります。

例えば千葉法相みたいな人が、首相になったとします。
その人が死刑反対、戦争反対を信条としていたら、竹島の韓国不法占拠に「平和が大切、欲しいというのならあげましょう。」なんという事になりかねないのです。一定の武力を持ち、おかしいことにはおかしいと抗議する力が必要です。

本題に戻って
猪瀬さんは日本開戦について真の原因を勉強されたのかどうか、そのことは石破さんについても言えます。

もうすぐ終戦記念日を迎えますが、戦後の歴史史観を書き直さなければならないのです。
アメリカはアメリカが悪かったことを隠すために日本人に反省文を書かせたのです。そして自虐史観を植え込んだのです。

猪瀬さんの本はその範疇に入ります。猪瀬さんがやるべき事は、アメリカの戦争犯罪を追求することであると思います。石破さんもそこにこそ力を入れてほしいのです。

日本人の自虐史観で、卑屈になっている日本人、世界から卑怯者と言われている日本人、その汚名をを取り消して、武士道の日本人を打ち出すべきです。」

と言うブログです。
私の意見

石破先生は本を紹介するのなら、「操られたルーズベルト」(馬野周二訳)(著者ルーズベルトの長女の夫であるカーチス・B・ドールが身内から告発した書)を紹介すべきです。そしてアメリカの戦争責任を追及し、そして東京裁判は誤りだったと追求すべきなのです。

アメリカのルーズベルト大統領が仕組んだ戦争であるなら、靖国神社の祭ってある「A級戦犯」は無罪だったと言うことになります。裁判のやり直しをすべきです。裁判にかけなければいけないのはアメリカルーズベルト大統領です。真珠湾の戦闘での3000人を超えるアメリカ兵はルーズベルト大統領が殺したのです。


 石破先生が終戦の話を出されようとされたとき、私は菅首相の靖国参拝の問題を取り上げられると予想したのですが、猪瀬氏の本の紹介でした。それはそれでいい本ですが、A級戦犯は間違っている、中国・韓国の批判は間違っている。A級戦犯は無罪でやり直しが必要である、菅首相は靖国には参拝すべき・・といわれると思ったのです。

大東亜戦争はアメリカルーズベルト大統領によって引き起こされた戦争です。この点を日本中に広めることが大切ではないでしょうか。

大東亜戦争の責任問題が明らかになった今日、首相が堂々と靖国に参拝すべきです。

これが私の提案で、そのように石破先生も主張して欲しいと思います。私は今後これを事有る毎に訴え続けます。


次は、普天間基地問題ですが、辺野古移転に変わりはないのかという念押しをされました。
私は、民意優先すべきとおもいます。先生が言われたように議会と等が決議が行われる前に、決断をすべきだったのですが、鳩山さんにはそれが分からなかった、そして、反対集会、県・市議会の県外の決議・・・とういう反対態勢が出来上がった今となっては、国外しかないと思ったのです。

辺野古につくると言うことは民意を無視すると言うことです。それがどうして出来るのでしょうか。議会の決議も、選挙での民意も、県外一辺倒になっています。ここに至っては強制撤収(そう言う方法があるのか分かりませんが)、しかないでしょう。銃をかざして、威圧して強制徴収するしかない、そう言うことは出来るわけはないと考えました。

そう言う状況の中でどの様な手法で辺野古移転をするのかを菅首相に追求すべきでした。県外の民意に対してどの様な手法で辺野古移転を達成するのかその手法を追及すべきでした。

しかし、石破先生は優しかった。回答を先に言ったのです。菅首相が沖縄に何度も足を運び、県民を説得し、坊主になって、沖縄県民の前に土下座して、県民に草の根運動で説得する、金も出し、あらゆる事をして進めるという方法もあるでしょう。それを最初に言ってはいけません。

民意は県外です。その民意を8月中に覆すためには説得の時間はないのでは、沖縄県民を説得せずにアメリカとだけ話を付けて良い物でしょうか。

どう進めるべきか、・・・やはり民主党には腹を切って貰うべきでしょう。
私はそれで基地は国外のテニヤンに持って行くべきと思います。

土下座して沖縄県民は協力してくれるでしょうか。

「国防というのは国全体に係わる話だから、地方自治体が、基地反対等決議してそれに従わなければならないと言うことになると、外国人が基地の市町村に移転して基地反対の候補者を立て、基地反対を決議する、と言うようなことになるとそれはその地域の住民には良いことですので、それが日本弱体化の本国からの指令で動いて、日本から基地を泣くし日本の弱体化を図ると言うことが可能になる」という記事を読んだことがありますが、確かに国防では日本全体を考えた観点から決定をすべきです。

と言うことになると、沖縄県民がどう反対しても、国会決議をすれば強制執行出来ると言うことがあるのでしょうか、そこにところはわかりません。辺野古移転の可能性があるのでしょうか。

野党は全面的に協力するという先生の言葉、先生も辺野古しかないと考えられているのでしょう。

私は、前記アメリカの戦争責任論から海外移転しかないと考えました。沖縄に基地が75%も集中しているのは、若泉敬先生の失敗です。その責任を取って若泉先生は自殺をも考えたのです。

先生の海兵隊必要論にも異論あります。アメリカに頼っていたら日本の国防の力は何時までも自立出来ないではありませんか。アメリカは守ってくれるとは思いません。尖閣列島についても、アメリカは中国に気兼ねしていますし、北方4島にしても何も言っていません。

国防は日本人が自身で守る、その方向に持って行くべきです。日本の近海は不法侵入のし放題になっているのではないでしょうか。魚介類・アワビを狙って高速艇で進入し見つかったら高速逃亡をしています。


日本はどこかと小競り合いをすべきです。薩摩が薩英戦争をしたように、そして薩摩は「負けを知り負けを生かして勝ちを知る」事を成し遂げ倒幕の先頭に立ったのです。
日本も負けないと日本人は目覚めないと思います。日本人が目覚めたとき日本は国力をますのです。

そのために職にあふれた若者は一時、自衛隊に入れ、国で預かれば雇用拡大になるし、若ものの叩き直しになるし、釈迦で必要な能力に育成になるし、国が栄える元となると考えます。一時避難的自衛隊員ですが職歴に自衛隊勤務とはいると需要は多いと思います。気迫とか国を守る精神と、戦略とかを身につけるはずです。

食料も外国に頼っていては良くないでしょう。自給率の向上は企業戦士の向上を行うことと同じです。

若泉敬氏が騙されて沖縄基地が現状に至っていること、そう言うことから沖縄から基地をはがすべきです。

アメリカに頼ると言うことは隷属することになります。


日韓併合100年の首相談話について、何かを言おうとすれば「さきの大戦に於いて多大なるご迷惑をかけた・・・・」という謝罪、日韓併合も「植民地化した」、と言いかねません。先の大戦は、アメリカはドイツとの戦争を望んでいたがドイツも戦争を避け戦争にならないのです。そこで、どうしても戦争をしたいルーズベルト大統領は先ず日本と戦争をして、そうすると日本の同盟国ドイツとの戦争にはいれると考えたのです。そこで日本に戦争を仕掛けてくるようにしたのです。日本は戦争を避けたのです。日本は戦争を仕掛けたのではありません。先に公海で日本の潜水艦がアメリカによって沈められています。

首相談話に謝罪を続ける談話は絶対反対です。先生のそこの所の押しが弱かったように思います。(常時テレビを見られていたわけでないので見落としているかもしれませんが)


沖縄が県内移転をあくまでも拒否し続けるならば、普天間基地はそのまま残る可能性があります。そのことだけは避けなければならない。普天間問題の原点はそこにあったはずです。基地の国外移転は理想ですが、順序があります。そこは自民党が説得する場合沖縄の人に理解を求めるところでしょう。


思いやり予算について、他の方が質問されていました。日本は世界一借金国です。日本が潰れたらアメリカも困るはずです。思いやり予算は仕分けすべきです。

以上思いついたままを述べました。石破先生が一番頼りになると思っています。

国民に声の一つとして聞いて下さい。

                      2010年8月4日

                           ○○


中国人が生活保護申請、高額医療も無料にー行政は悪徳中国人を排除すべきである

2010-08-01 08:33:42 | 意見発表
中国人が日本の生活保護制度を狙って、悪用・不正受給をしているいう記事があります。
日本は財政赤字、国の借金も900兆に近い。その中で国民の生活が苦しい人に対し生活保護を出しているのですが、これは裏から見ると働かなくても給料が貰え、ただで医者にもかかれる仕組みです。
中国人からそこを狙って、そこの所を専門的に指導して仕事にしている人もいて、中国から来た人が直ぐに生活保護の申請をしてうまくやって受給しているのです。
生活保護者はお金だ支給されるばかりでなく、医療費はただとなり、その他恩恵があるのです。

記事を見ましょう。

「来日直後に生活保護…中国人、医療扶助目当て?2010年7月31日

(読売新聞)
 埼玉県内に住む中国残留孤児の親族として来日した中国人3世帯が、来日直後に生活保護を申請し、うち1人が、自己負担なしで治療を受けられる「医療扶助」を利用して、来日前から悪化していたとみられる 腫瘍 (しゅよう)の治療を受けようとしていたことが30日、埼玉県の調査でわかった。 
中国人が生活保護目当てに来日するケースは、大阪市などで多発。国内で発行される中国人向けの新聞では、生活保護申請の特集まで組まれている。同様のケースが続発すれば、自治体の財政を圧迫しかねず、各自治体は頭を悩ませている

 県の調査などによると、保護を申請したのは、県西部に住む中国残留孤児2世を身元引受人として来日した3世帯9人。60歳代の男性は5月8日、この中国残留孤児2世の親族として家族3人で来日。同月24日に地元自治体に生活保護を申請、受理された。別の2世帯も5月末~6月上旬に来日し、ともに6月末に生活保護を申請した。
 生活保護受給者の医療費は、「医療扶助」として全額が公的負担されるが、最初に来日した男性は、保護申請が受理された直後の6月初旬、県西部の病院に悪性腫瘍とみられる症状で入院。家族は地元自治体に、「来日後に急に体調が悪くなった」と説明したが、関係者は「かなり以前から悪化していたはず」と話す。
 生活保護法では、外国人でも「定住者」などの在留資格が認められると生活保護を申請できる。中国残留孤児は日本国籍を持っており、日本国籍のない親族も、「定住者」などの在留資格を取得することができる。


日本人への思いやるの仕組みを、悪用する中国人、このまま許していたら、どんどん広がり、日本は中国人に無料で生活さて、高額な医療費も支払うなんて、お人好しすぎます。友愛もいい加減にせよです。

行政はこのような、中国人が来日して直ぐに生活保護を受けられ、自動的に医療費が無料になるなんて、年金生活者よりも優遇されているような仕組みはおかしい。まして外国人は区別すすべきでしょう。日本には生活苦で自殺する人もいるのに、行政はしっかり悪徳中国人を排除すべきである。

我々は税金も保険料も払っているのに、何にも払わずに、行政サービスを受けるのは
一種のドロボー行為です。

行政は生活保護の資格審査を厳重にすべし。