クール・ジャパンは日本の競争力にー資源に乏しい日本が国際ビジネスで勝ち抜くために
.かつてクローズアップされた特殊性は陰をひそめ、我々日本人の想像を超えて、世界を席巻しつつある我々の日本文化。台頭するアジア諸国の文化政策と一線を画し、資源に乏しい日本が国際ビジネスで勝ち抜くための答えとは? 総合文化政策学研究科の青木保特任教授に伺いました。
..国境を越えて訴えかける日本文化の力とは
<strong>クール・ジャパンは日本の競争力に</strong>文化政策のスペシャリストの育成に期待 読売オンライン
「<strong>クール・ジャパン</strong>(あるいはジャパン・クール)」という言葉が頻繁に使われるようになったきっかけは、アメリカのジャーナリスト、ダグラス・マグレイが02年に発表した『Japan’s Gross National Cool』と題する論文です。『日本の国民総文化力(GNC)』とでも訳すべきこの文章の中で彼は、<strong><font color="blue">現代日本の文化が世界中で高く評価されている現象を取り上げ、それは日本文化が「クール(カッコいい)」と受けとめられているからだと指摘しました</font>。</strong>そして、<strong>日本の価値は、GNPで表される経済力だけでなく、彼の造語であるGNCで表される文化的魅力によってこそはかられなければならないと主張したのです。 </strong>
マグレイが言うとおり、マンガ、アニメ、ゲームはもちろん、ファッション、料理、工業デザインにいたるまで、<strong>日本発のさまざまな文化が、いまや世界を席巻しているといっても過言ではありません。</strong>かつて日本文化は、その特殊性のほうが強調されがちでしたが、「クール・ジャパン」と呼ばれる<font color="blue">現代の文化は、むしろきわめて高い普遍性を備えていることは明らかです。 </font>
その理由は、たとえばスタジオ・ジブリのアニメ作品を見るとわかってきます。ご存じのように、物語のベースはときにヨーロッパの神話や童話であり、舞台も日本とはかぎりません。つまり、「日本的なるもの」は一見たいへん希薄なのです。この点、ハリウッド映画はもちろん、フランス映画も中国映画も、諸外国の映像作品が、それぞれの国の文化を色濃く主張しているのとは、実に対照的です。
ところがそれでいて、ジブリ作品には<strong>日本人ならではのヒューマニズム、自然との共生といったテーマが描かれている。日本の作品としてのオリジナリティは、きちんと持っています。それだからこそ、国境も宗教の違いも壁とはならず、身分や階層とも無関係に、多くの人々の心に訴えかけるのです。 </strong>
Haruki Murakamiの小説を抱えたドイツの女子学生に、彼のどこが好きなのかと尋ねたことがあります。史上類を見ないほど多くの言語に翻訳され、愛読されている<strong>村上春樹の作品が、「クール・ジャパン」の典型例であることはいうまでもありません</strong>。彼女の答えはこうでした。 「<font color="blue">彼は、日本人の問題だけではなく、私たちの問題も共通したものとして描いてくれているから</font>。」
..かつてクローズアップされた特殊性は陰をひそめ、我々日本人の想像を超えて、世界を席巻しつつある我々の日本文化。台頭するアジア諸国の文化政策と一線を画し、資源に乏しい日本が国際ビジネスで勝ち抜くための答えとは? 総合文化政策学研究科の青木保特任教授に伺いました。
..国境を越えて訴えかける日本文化の力とは
クール・ジャパンは日本の競争力に
文化政策のスペシャリストの育成に期待
では、どうしてこのような文化が、現代の日本に生まれたのでしょう。
もともと日本人は、一方で伝統文化を保持しながら、外来文化を柔軟に受け入れ、複数の宗教をも共存させてしまうような独特の「混成文化」をつくってきました。その傾向は、アメリカをはじめとして、各国の文化が一気に流入するようになった戦後、さらに強まります。<strong>食事ひとつをとってみても、朝食はトーストとコーヒー、昼食はうどん、夕食は中華料理と、各国・各種の料理を人々がこんなに手軽に選べる、また偏見なく選んで楽しんでいる国は、ほかにありません。</strong>
また、戦後復興から高度成長の過程で、日本人は私が「中間社会」と呼ぶ均質性の高い社会を、なかば無意識的に作り上げました。身分・階級はほとんどなく、貧富の格差も非常に小さい。ほとんどの国民が同じような服装で、カラオケでは首相も学生も同じ歌を歌うような国も、やはりほかに例がないのです。
先ほど述べた「クール・ジャパン」の特徴は、このような社会を背景としたものだといえるでしょう。
国際競争が激化する中、<strong><font color="blue">資源に乏しい日本にとって、文化こそが勝負のカギを握ると</font></strong>、私は考えています。それは、たとえばアニメやゲームのソフトのように、文化そのものが重要な商品になるというだけではありません。
従来のように、ビジネス一辺倒で海外進出をはかれば、当然反発や摩擦が起こります。しかし、文化をうまくビジネスと組み合わせて提供することにより、それがよいクッションになってくれるのです。とりわけ、「クール・ジャパン」の場合は、相手国でも評価が高く、待望されていることがわかっている。その有効性は疑いありません。
また国内においては、たとえば絵巻物から手塚治虫までのマンガ・アニメの歴史をはじめ、さまざまなソフトを一堂に集め展示する、メディア芸術・メディア文化のセンターをつくれば、<strong>有力な観光文化資源となる</strong>。アジアをはじめ世界の子供たちをひきつけることができるはずです。
<strong><font color="blue"><font size="4">わが国は、いま大きなチャンスを迎えているのです</font></font></strong>。
さて問題は、こうした「クール・ジャパン」の価値を最も認識できていないのが、ほかならぬ私たち日本人だということです。とくに、政治・行政・ビジネスの中枢にいる人たちの自覚が、あまりにも足りません。
これからは、文化そのものの分野でも、競争は激しくなっていきます。中国は国策としてアニメの人材養成に取り組み始めましたし、韓国やシンガポールなどを取材しても、「クール・ジャパン」を貪欲に吸収し、そのお株を奪おうという動きは顕著に見てとれます。日本にとってチャンスだと述べましたが、既にあまり余裕はないようです。
とすれば、文化・アートに関する知識と製作・行政に関する知識を、バランスよく備えた人材、文化政策・行政のスペシャリストの養成が急務です。そしてこれは、わが国のみならず、アジア各国の課題でもあります。
ここ青山学院大学の総合文化政策学部は、まさにそうした人材を育成することを目指す、全国でもユニークな学部です。総合大学として、政策・行政に関する知的・人的資源が充実しているだけでなく、「クール・ジャパン」のメッカともいうべき青山・表参道地域に立地していることも、本学部の大きなメリットといえるでしょう。
今後この場所で、「クール・ジャパン」が学術的にもきちんと整理されるとともに、その価値を正しく把握し、それを戦略的に活用する発想を身に着けた学生達が育ってくれること、そして彼らが行政やビジネスの現場へと巣立ち、日本のために、アジアのために活躍してくれることを、大いに期待したいと思います。
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