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育児サークル「わはは」

わははの仲間の「ちょっと聞いて!」

道しるべ(卒会特集)

2014-02-27 21:32:24 | Weblog
  

私がSの存在に気が付いたのは、2009年の終わり。
その頃、私たちは兵庫県西宮市に住んでいました。
親戚や友人はほとんどなく、主人も出張が多く留守がちだったため、私は1歳半の長女をほぼ一人で育てているような感じでした。
当初は、できるだけ長く子供を手元で育てたいと思い2年の育休をもらっていましたが、その子育ては試行錯誤、負の連鎖のような毎日でした。
食事も睡眠も排泄も、問題だらけ。解決の糸口さえ見つけられませんでした。

一方で、仕事復帰が3か月後に迫っており、私にとってようやく待ちに待った日がやってくると思っていました。
4月からは保育園という頼れる存在ができて、これで問題は解決されるはず、などと夢見ていました。
けれども、こんな私の計画にストップを言い渡すように、Sが私のお腹にやってきたのでした。

あのまま私が仕事に復帰していたら、どんな生活だったのか。
他力本願のような考え方をもっていた私がきちんと両立出来ていたのか、
仮にどうにか両立できたとしても、それが本当の両立なのか、今のようにちゃんと子供と向き合えていたかは甚だ疑問です。
そう考えると、Sは本当に人生の栞(道しるべ)なのかも、と思うことがあります。

Sがお腹の中にやってきてくれたことで、ひばりヶ丘に戻ってくることができました。
こうしてつぐちゃん家にもどっぷりお世話になることができました。
そして、つぐちゃんとわははのメンバーに囲まれて、どうにか2歳差育児を投げ出さずに、
時には子育てを楽しむ余裕さえ持つまでに成長することができました。

Sの妊娠には、正直驚きと不安がありましたが、ここまで私の人生を導いてくれたかと思うと今は感謝の気持ちがあふれてきます。
我が家にとって、本当に大きな存在となったS。
わははという場所で育ててもらったことを、何歳になっても忘れないように話してあげたいと思っています。
本当にありがとうございました。まだまだ遊びに行きたいと思います!(まき)

一年間大変お世話になりました(卒会特集)

2014-02-27 21:29:25 | Weblog
記録的な大雪の後、春の兆しも少しずつ感じられるようになり、また新しい季節が訪れようとしています。
まずは、今まで「わはは」に参加させていただいたお礼を皆様に申しあげたいと思います。
娘のEが一年間お世話になり、本当にありがとうございました。

昨年の四月から私の復職とともに、浜名家庭福祉員(以後“つぐちゃん”と書かせていただきます)のところに毎日通うことになったEは、
私の知る限り「ママとバイバイするのがイヤ!」、「ママ会社行かないで!」と泣いたことはあっても、
「つぐちゃんのところに行くのがヤダ!」と泣いたことはほとんどありませんでした。
一年前は、朝七時から夕方まで親子が離れていてどのような生活になるのか想像がつきませんでしたが、
何とか無事に卒会を迎えるところまできました。
そこに皆様の支えがあったことを改めて申し上げるとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。

預け始めたばかりの頃、私が心配したことは週一回「わはは」というサークルがあり、
たくさんのお母さんと子どもたちが集まる日があるということでした。
友達にはお母さんが一緒にいるのに、Eはいつもママがいないことをどう感じるのか、
そのことで寂しい思いをしていたらかわいそうだなと心配でした。
しかし、Eのオムツを○○ちゃんのお母さんが交換してくれたとか、
△△ちゃんのお母さんが工作を手伝ってくれたなどという話を聞くうちに、
皆さんにEが受け入れられていることを知り、心配は減っていきました。
そして、クリスマス会では友達と一緒に堂々と舞台の上に立ち、
友達に励ましの言葉をかけられるほどに成長した姿を見ることができ、心から嬉しく思いました。

自分の子供の世話をするだけでも大変なことなのに、他の子供のことも気にかけることができるということは本当に素晴らしいことで、
「わはは」に参加するすべてのお母さんが誇れることだと思います。
「わはは」を通じて周囲の人々は仲間であると感じた子供たちは、
将来、生きていくうえで必ず必要になる積極的に他人と関わろうとする力を持った子になってくれると思います。

Eはこの春から保育園に通う予定ですが、今まで「わはは」で培った力を使って新しい友達や先生と楽しく過ごし、
さらに成長していってくれると私は信じています。(よしこ)

ありがとうございました(卒会特集)

2014-02-27 21:28:07 | Weblog
長い間「あっちゃん」としてお世話になってきましたが、いよいよ2度目の卒会をすることにしました。

初めてつぐちゃんちにお世話になったのは、長女が2カ月の頃、
「泣く子寝ない子」の見本のような第1子を抱え、私も一緒に泣いていた時でした。
それからつぐちゃんや「赤ちゃんと遊ぶ会」(当時)の皆さんにお世話になり、第2子の長男の幼稚園入園で無事に1度目の卒会をしました。

それからずーっとご無沙汰していましたが、久しぶりにつぐちゃんから連絡をいただいた時、私は、乳癌の為病院のベッドの上でした。
その後無事に手術を終え、治療をしながらつぐちゃんちでお世話になる日々が始まりました。
術後で腕は上がらない、握力は弱いなど最初あまり役に立たない手伝いでしたが、
つぐちゃんに甘えさせていただき、気がつけば12年が過ぎていました。

4月からは、西東京市の子育て支援事業のファミリーサポートの依頼を受ける時間を増やすことにしています。
つぐちゃんちで経験したことをサポートの現場でも大いに生かしていきたいと思っています。
とは言え、趣味の裁縫はしていますし、クリスマス会には参加したいし、時々遊びに行かせてください。
長い間、皆さんととても楽しい時間を過ごしてきて、本当に幸せだったと思っています。
ありがとうございました。区切りとして2度目の卒会をしますが、まだまだどうぞよろしくお願いします。(あつこ)

日記

2014-02-27 21:26:33 | Weblog

私は7人家族の中で育ち、おじいちゃんおばあちゃんっ子でした。
祖父は家族で唯一のA型で(私も唯一のO型、他はB型)几帳面でいてとても温厚な性格で、大好きでした。
その祖父が10年日記を書いていて「去年は〇〇したね」「5年前の今日は〇〇していたんだよ」とよく話題にしていましたが、
子供の私にとって昔のことなんて全く興味がなくいつも話を聞き流していました。
祖父が亡くなり遺品を整理していた時に日記を発見したら、事故のため病床に着く前の日まで毎日欠かさずに丁寧な字で書いてありました。

そんな祖父の影響からか私も5年日記を書いています。
今年で3年目になります。ただ祖父のようにはいかず、空欄が多く走り書きです。
それでも昨年、一昨年の自分を見返せて面白くなってきています。
一昨年は割りと毎日、丁寧に書いていて内容も穏やかで、落ち着いて過ごしていたんだなあと。
昨年はかなり荒れていて空欄は多いし、×しか書いてない日もあったり。
子供の悪いところばかり書いている日が続いたと思ったら、
いいところを探そうと努力していてよかったことを箇条書きで『よく昼寝した』『よく食べた』『早く寝た』等、続く日もありました。
今読むと笑ってしまうのですが、その当時はもがいていた様子が分かります。
日記を見ると子供の様子や夫とのケンカ、お出かけしたことなど忘れていた記憶が
よみがえり、その時の風景まで思い出すことができるからちょっと楽しいです。

今年は?というとまとめ書きしている日もありますが、一応今のところ毎日埋まっています。
来年の自分に笑われないように内容が濃いといいのですが。
今年の目標の一つが日記を毎日丁寧に書く!達成できるかな。(まゆみ)