goo blog サービス終了のお知らせ 

育児サークル「わはは」

わははの仲間の「ちょっと聞いて!」

インフルエンザで・・・

2009-10-19 13:42:39 | Weblog
投稿者:えみ


周辺の小学校でインフルエンザによる学級閉鎖が相次いでいるようです。
今週のちょっと先行くエッセイを書いてくださっているMさんのお子さんや、わははの卒会生が多く通う小学校もその一校のようで、さらに運悪いことに、それが運動会と重なったようです・・・・。

私が20歳の成人式に参加するはずだったその日。
関東地区は記録的な大雪に見舞われました。
当時“山の近く”に住んでいた私は、都内とは比べ物にならないくらいの大雪を前に、楽しみにしていた着物を着る事もできず、もちろんバスに乗って式場に出向く事もあきらめ、20歳の門出が何だ!!成人式が何だ!!と大人になったことも忘れ、悔しさのあまり泣いた事を思い出します。
天候不良はどうしようもない事とはいえ、20歳だって楽しみにしていたその日が流れてしまえば泣くのです。
それがまだ10歳前後の子ども達が楽しみにしていたその日がやってこないとしたら・・・。
子どもだけではなく、その晴れ姿を楽しみにしていた人達の気持ちを想像しただけで、なんとも言えない残念な気持ちになります。

でも、“一生懸命頑張った!”その経験は、無駄にはなっていないはず☆10数年たてば、そんな悔しい思いをした事も、絶対に忘れる事の出来ないよい思い出にきっとなると思います。

朝晩はすっかり寒いくらいになり、日中も半袖にしようか?長袖にしようか?と迷う季節になりました。
新型のみならず、いつものインフルエンザの季節もすぐそこです。
大人も子どもも、風邪をひかないように気をつけて、元気に過ごしたいですね。


育児サークル「わはは」
投稿者:えみ

遅ばせながら・・・ご報告

2009-10-19 13:40:55 | Weblog
投稿者:せお


 約五ヶ月前、この紙面で私が親友の結婚式の司会を務める事のご報告と皆様からの体験談などを大募集させていただいた事を覚えてらっしゃいますか?
その節は数々のステキなお話しやアドバイスを戴けました♪
遅ればせながらお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

お陰様で無事、6月21日にセブ島の海が見える素敵なチャペルでウェディングパーティーの司会を務める事ができました。
前回も書きましたが、「友達期間」が長すぎたのか、この2人、喧嘩が多く、挙式を迎えるまで私は何度も胃が痛くなる思いをしました。
けれど、当日の新婦は心配していたのがアホらしくなる位に幸せいっぱいの笑顔。
そんなものです。
さて、かつて無いほど下書きを繰り返して作った台本に更にギリギリまで手入れし、迎えたオープニング。
早速、南国ならではのハプニングが待ち受けていました。

「・・・皆様入り口にご注目ください。」
と口火を切り、新郎新婦の入場BGMを担当したピアニストの叔父さんに目配せしたところ、数分前までいた彼の姿が無い!「うそ・・・」と思っている間に司会の合図も何も無視した現地スタッフが扉を開き、新郎新婦、無音の中で入場・・・直ぐに「温かい拍手を~」と添えたので盛大な拍手がBGMになったのが幸い。
ちなみに新郎新婦が着席した頃、彼は戻ってきましたが悪びれた風も無く、普通にしていたのにはたまげました。
ただ、2時間契約だったのに、3時間半にも及んだ式の間中ずっといてくれたのが彼なりの謝罪だったのかも知れません。
その後もケーキが打ち合わせ時とは違った登場だったり、ハプニングと共に始まったパーティーですが、新婦の最大の心配であった「間延び」なんてする間も無い位に幸せ濃度の高い時間でした。
新郎新婦からのご両親へ・司会が仕込んだ両家の母上からのレター・新婦から妹へのお手紙・新郎から新婦へのサプライズ(私の入れ知恵)・私も参加した余興組から2人への・そして新郎新婦から私へ、とサプライズも盛りだくさん。
心から2人の幸せを願う人だけしかいない海外挙式ならではの心温まるアットホームの雰囲気の中、新郎よりも準備に携わり、2人の大喧嘩の仲裁に努め、色々あった舞台裏の一部始終を見聞きしてきた私はセブの海に沈んだ夕日の様に熱い気持ちで司会として最後のお辞儀をしたのでした。

育児サークル「わはは」
投稿者:せお

800号!!

2009-10-19 13:39:32 | Weblog
投稿者:えみ

初めてウィークリーが発行されたとき、私は何歳だったんだろう??
パソコンが導入されたときは??
世の中に親子をめぐるサークルがあることなんてまだまだ知りもしない中学生でした。

それから約20年の月日の間に私は結婚し引越しをし、東久留米に住むようになり、そして母になり、たまたま知り合った友人から“つぐちゃんち”を教えて貰ったことをきっかけに、こうして編集長をさせていただいている。
22代目編集長ということを聞き、その長い歴史にただただびっくりしています。

先日、眠い目をこすりながら、2016年オリンピック開催地の投票中継を見ました。
そんなにオリンピック開催地関連のニュースに興味があったわけでもないのですが、7年後・・・夫は何歳になっているのだろう?子ども達は??
自分の姿はさておきながら、夫もだいぶおじさんになるなぁ~とか、子ども達は食べ盛りだ~なんて色々想像していたら見られずにいられなくなってしまったのです。
7年後のオリンピックを見ながら、こうして夜中に睡魔と闘いながら数年後を描いて微笑んでいた事をきっと懐かしく思いだすことでしょう。
そしてそして、一緒に思い出すのはきっと、子どもとともにに過ごす、大変だけれどかけがえのない今のこと。“つぐちゃんち”に出合っていたからこそ今を楽しいと思う事ができます。
“つぐちゃんち”に出合えたことに感謝しつつ、歴史長いわははの編集長をさせていただいている今を大切に過ごしたいです。

“つぐちゃんち”この素敵な場所がいつまでも続きますように。


育児サークル「わはは」
投稿者:えみ

祝!800号!

2009-10-19 13:38:02 | Weblog
投稿者:ゆかり

つぐちゃんから、わははウィークリーが今号で800号を迎えると聞いた。
800号といえばざっと換算しても20年は続いている計算になる。
20年も継続して発行されているなんて、単純にすごいなぁ~と感心しながら799号のウィークリーを手にした。
現編集長の西島恵美さんは22代目だそうだ。

私が初めて赤ちゃんと遊ぶ会(わははの旧名称)に参加したのは、今年19歳になる長男・大介が1歳になりたての頃だった。
その時、既にウィークリーは発行されていて、会に参加するのと同時にその機関紙を読むのがとても楽しみだった。
大介が3歳になった頃、編集長をやってみないかと声を掛けていただいた。
当時、編集長を引き受けると二人目を妊娠するというジンクスがあり(それまでの編集長が立て続けにご懐妊されていたらしい)、2人目希望!!と声高らかに公言していた私に白羽の矢が立ち、めでたく6代目編集長の座に着いたのである(見事ジンクスを破ってしまったのは私である)。ところが、編集長を引き受けたものの大きな悩みが生じていた。嵐を呼ぶ男・大介は、その当時から嵐を呼んでいて、周りのお友達から恐れられていた。
いわゆるやんちゃ坊主で、泣く子の横には必ず大介あり。
大介がいるから怖がって来れない子もいるらしいという噂も耳にし、あまりに心苦しいので、しばらく会をお休みした方が良いのでは・・・と悩んでいたのである。

しかし、つぐちゃんに相談すると明るくひと言。
『ウィークリーがあるから休まずにすんで良かったわね!!』
そのひと言に励まされ、めげずに通い続けることが出来たのはウィークリーのお陰であった。

しかも、編集長を交代する頃には、すっかり落ち着いた大介の姿を見る事が出来たのである。

10代目編集長を務めることになったのは、祐季が2歳の時。
手書きからパソコン編集に移行した紙面に進化した頃だった。
『無理です!全くパソコン出来ませ~ん!!』
と尻込みにしている私に、またまたつぐちゃんからの鶴の一声。
『あら~、パソコンを習得できる良いチャンスじゃない(^。^)』
そのひと言に奮起し、夫に一からパソコンの操作を教えてもらいながらの紙面作りだった。

教え方が悪いと逆切れされたり、夜中に画面がフリーズしたと大騒ぎでたたき起こされたりと、大変な被害を被りながらも、忍耐強く指導してくれた夫は影の功労者である(その当時の様子は夫がウィークリーで暴露している)。
ウィークリーの編集長を引き受ける機会がなかったら、多分、いまだにパソコンとは無縁の生活を送っていたに違いない。
パソコンが出来るお陰で役立っていることがとても多い毎日を考えると、つぐちゃんには感謝、感謝である。

800号はやはり凄い。
こんなに長く続いているサークル機関紙はそう多くはないだろう。
ウィークリーの歴史はわははの歴史。これからも900、1000と続いて欲しいと思う。

祝!800号である。


育児サークル「わはは」
投稿者:ゆかり