先日成人式の話題をニュ-スで聞き、私自身あれから18年も経過してしまったのかと感慨深く感じてた折に、ちょうどこの掲載を頼まれました。
私にとって成人から今日まで、子育て程人生に置いても、自分の成長に置いても貴重な経験は無いのではないかと感じます。それは子供が産まれるまでは自分の事だけで良かったのが一転し、子供中心の生活に変わったからでした。突然表れた小さな赤ちゃんは、私にとって実に神秘と未知との世界でした。なぜ泣いてるのか?だし、俺の子供なのに私が抱き上げると泣き、妻が抱くとなぜ泣き止むのか?とにかくどうしていいか解らないのです。そんな私自身も子育ての辛さを垣間見ました。特に2時間起きの夜泣きや夫婦共に風邪を引いて起きるのが辛い時などは、妻ばかりにも授乳を任せっぱなしにはいかず、ミルクを作った記憶があります。それで寝たと思っても、私の咳が原因で起きてしまったり・・・・・。
そのころ、新聞紙上で男女平等の育児参加等のコラムが多数見受けられ、私にもそんな事ができるのか不安な気持ちが募ったのを覚えています。私自身微力ながらも子育てを経験し、ひとつ疑問に思った事があります。それは、なぜ男にも出産機能がなかったのか?と言う点でした。もし私にも出産能力があれば、妻に「今年は俺が生んで産休1年取るから、2人目は君が産んでよ 」そんな具合になったかもしれないし、そうなれば女性も会社を辞めずに済むのかもしれません。それに、男にも世の中の母親の気持ちが理解でき、産休・学校関係の用事などで休みが取りやすくなるかもしれないし、ひょっとしたら少子化や男女雇用機会均等などの問題も無かったかもしれません。
せめて、男にも乳首があるのだから母乳さえ出てくれたら、寝かしつけるのにも「俺が今度オッパイあげるよ」なんて言えたかもしれない。そんなくだらない事ばかり真剣に考えたりもしました。
しかし現実は女性にしか子供を産むことができません。そして人が進化した動物なら非常に体力が必要な子育てをする女性にこそ男並みの体力が備えられても良かったのではないかと思えます。泣く子の2人ぐらいは片手で抱っこしながら、もう片手でチャ-ハンぐらいは作れたかもしれません。しかし女性は男性に比べて非力にできている。それが現実です。
最終的には子育ても人生も良い意味での諦めを極めるとでも言うでしょうか、自分の置かれた状況でとにかく頑張って行くしかないのだと、そんな単純な結論に至ってしまいました。苦労して子供を育てれば育てる程愛情も比例すると最近思います。だからこそ私の両親も同じ思いをして私を育ててくれたかと思うと、子育てをして両親、祖父母の有難味がヒシヒシと感じられます。
そして母親は偉大なんだとつくづく感じるのです。母星、母国、母船などなど望郷の念のある言葉には必ず母が付くし、戦争で亡くなる兵士の最後の言葉は「おかあさん」との話もあります。ある意味男と女とは平等だと考える方が難しい事なのではないか?そこで平等と考えれば考えるほど無理が出る気がしてならないのでは?と考えるようになりました。誤解して欲しくないのですが、男が家事等を手伝わない方が良いと言ってるのではなく、お互い肩肘張らず思いやる事が一番なのかな、と。ただ、「思いやり」とはあるいみ一番難しく、きっとこれから先も永遠のテーマなのかもしれないのですが。
考えてみれば生きることは「?」の連続な気がします。子育ても人生も本当に「?」が尽きない。だからこそわははのようなオアシスがいろんな地域に沢山できる事が重要な気がします。そして、このオアシスに出会えた事を嬉しく思います。
今思えば私の成人式は二十歳ではなかったのです。大人になった自覚など全く無かったあの頃ではなく、長女が生まれた日からじゃないか、そんな気がします。とすると今は長女が生まれて5年が過ぎたので25歳と言ったところでしょうか?まだまだ大人として未熟でもあるし、羽目を外す事も多々ありますが日々反省しながら男の「お家芸でもある忍耐力?」でこれからも家族、仕事、そしてすばらしい機会を設けてくれるわははに対しても向き合っていきたいと思います。
育児サークル「わはは」
投稿者:かずひろ
私にとって成人から今日まで、子育て程人生に置いても、自分の成長に置いても貴重な経験は無いのではないかと感じます。それは子供が産まれるまでは自分の事だけで良かったのが一転し、子供中心の生活に変わったからでした。突然表れた小さな赤ちゃんは、私にとって実に神秘と未知との世界でした。なぜ泣いてるのか?だし、俺の子供なのに私が抱き上げると泣き、妻が抱くとなぜ泣き止むのか?とにかくどうしていいか解らないのです。そんな私自身も子育ての辛さを垣間見ました。特に2時間起きの夜泣きや夫婦共に風邪を引いて起きるのが辛い時などは、妻ばかりにも授乳を任せっぱなしにはいかず、ミルクを作った記憶があります。それで寝たと思っても、私の咳が原因で起きてしまったり・・・・・。
そのころ、新聞紙上で男女平等の育児参加等のコラムが多数見受けられ、私にもそんな事ができるのか不安な気持ちが募ったのを覚えています。私自身微力ながらも子育てを経験し、ひとつ疑問に思った事があります。それは、なぜ男にも出産機能がなかったのか?と言う点でした。もし私にも出産能力があれば、妻に「今年は俺が生んで産休1年取るから、2人目は君が産んでよ 」そんな具合になったかもしれないし、そうなれば女性も会社を辞めずに済むのかもしれません。それに、男にも世の中の母親の気持ちが理解でき、産休・学校関係の用事などで休みが取りやすくなるかもしれないし、ひょっとしたら少子化や男女雇用機会均等などの問題も無かったかもしれません。
せめて、男にも乳首があるのだから母乳さえ出てくれたら、寝かしつけるのにも「俺が今度オッパイあげるよ」なんて言えたかもしれない。そんなくだらない事ばかり真剣に考えたりもしました。
しかし現実は女性にしか子供を産むことができません。そして人が進化した動物なら非常に体力が必要な子育てをする女性にこそ男並みの体力が備えられても良かったのではないかと思えます。泣く子の2人ぐらいは片手で抱っこしながら、もう片手でチャ-ハンぐらいは作れたかもしれません。しかし女性は男性に比べて非力にできている。それが現実です。
最終的には子育ても人生も良い意味での諦めを極めるとでも言うでしょうか、自分の置かれた状況でとにかく頑張って行くしかないのだと、そんな単純な結論に至ってしまいました。苦労して子供を育てれば育てる程愛情も比例すると最近思います。だからこそ私の両親も同じ思いをして私を育ててくれたかと思うと、子育てをして両親、祖父母の有難味がヒシヒシと感じられます。
そして母親は偉大なんだとつくづく感じるのです。母星、母国、母船などなど望郷の念のある言葉には必ず母が付くし、戦争で亡くなる兵士の最後の言葉は「おかあさん」との話もあります。ある意味男と女とは平等だと考える方が難しい事なのではないか?そこで平等と考えれば考えるほど無理が出る気がしてならないのでは?と考えるようになりました。誤解して欲しくないのですが、男が家事等を手伝わない方が良いと言ってるのではなく、お互い肩肘張らず思いやる事が一番なのかな、と。ただ、「思いやり」とはあるいみ一番難しく、きっとこれから先も永遠のテーマなのかもしれないのですが。
考えてみれば生きることは「?」の連続な気がします。子育ても人生も本当に「?」が尽きない。だからこそわははのようなオアシスがいろんな地域に沢山できる事が重要な気がします。そして、このオアシスに出会えた事を嬉しく思います。
今思えば私の成人式は二十歳ではなかったのです。大人になった自覚など全く無かったあの頃ではなく、長女が生まれた日からじゃないか、そんな気がします。とすると今は長女が生まれて5年が過ぎたので25歳と言ったところでしょうか?まだまだ大人として未熟でもあるし、羽目を外す事も多々ありますが日々反省しながら男の「お家芸でもある忍耐力?」でこれからも家族、仕事、そしてすばらしい機会を設けてくれるわははに対しても向き合っていきたいと思います。
育児サークル「わはは」
投稿者:かずひろ