徒然草の第127段は、とくに短い。
改めて益無き事は、改めぬを、良しとするなり。
はい。これだけ。ついでに、この段の『評』も短い。
「簡潔の極みとも言うべき、忘れがたい名言である。」
これが、島内裕子さんの『評』でした。
この段で私にすぐ思い浮かんできたのは
名言が書き込まれた日めくりカレンダー。
それはそうと、黒澤明の言葉が思い浮かんだ段もあります。
第150段には『譏(そし)り笑はるるにも恥じず』とある。
そういえば、黒澤明著「蝦蟇の油」の、まえがきにあった。
「 面白く読んでもらえる自信はないが、
人間恥をかくのを恐れてはいけない、
と常日頃後輩に云っている言葉を
自分自身に云いきかせて、書き始める事にする。」
はい。これだけじゃ、チンプンカンプンで終わっちゃう。
ここは、徒然草第150段の、島内裕子訳を引用してみます。
「 何かの芸能を身に付けようとする人は、
『上手にならないうちは、なまじっか他人に知られないようにしよう。
こっそり、よく習っておいて、そのうえで、人前に出たならば、
たいそう奥床しいだろう』
と、世間ではよく言うようだが、
このように言う人は、一芸も上達しない。
まだ、まるっきり下手で未熟なうちから、上手な人たちに交じって、
馬鹿にされ笑われても恥と思わず、平気で過ごしてさらに努力する人は、
生まれつきの天才的な才能はなくとも、
たゆまず、ないがしろにせず年月を送ってゆけば、
生まれつき才能があっても一生懸命に練習しない人よりは、
ついには上手になり、人徳も付き、世間からも許されて、
並ぶ者なき名声を博することになるのだ。
天下の名人と言われる人でも、
最初は下手であるという評判があったり、
ひどい欠点があったりしたのである。
けれども、その人が、その道の教えを大切にし、よく守って、
気まま勝手にしなければ、世間の人からお手本と仰がれ、
万人の師匠となることは、どの道でも変わりはないはずである。」
( p300 ちくま学芸文庫「徒然草」 )
島内裕子さんは、この段を『評』して
「 これは、名人論である。
徒然草で、ここまで正面切った名人論はこれまでなかった。
名人になるための心理的な側面に注目して、
練習をする際の『他者の眼』の重要性と、
地道な努力こそが大切であると、明確に述べている。・・・」
ここまできたら、兼好の肉声というか、原文を引用しておかなきゃ。
不親切になるかもしれない。『謦咳に接する』ということでもある。
「 能(のう)付かんとする人、
『よくせざらん程は、憖(なま)じひに人に知られじ。
内々良く習ひ得て、差し出でたらんこそ、いと心憎からめ』
と、常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得る事無し。
いまだ堅固、片帆(かたほ)なるより、上手の中に交じりて、
譏(そし)り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、
天性、その骨(こつ)無けれど、道に泥(なづ)まず、
妄(みだ)りにせずして年を送れば、
堪能の嗜(たしな)まざるよりは、終(つい)に上手の位に至り、
徳長(た)け、人に許され、双無(ならびな)き名を得る事なり。
天下の物の上手と雖(いへど)も、
初めは不勘(ふかん)の聞こえも有り、
無下の瑕瑾(かきん)も有りき。
然(さ)れども、その人、道の掟正しく、これを重くして、
放埓せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、
諸道、変はるべからず。 」 ( p299 文庫 )
はい。調子にのって原文を引用しましたが、
徒然草の魅力はここで終わらないのでした。
お次の第151段は、論語が基にあるだろう言葉からはじまります。
「 或る人の云はく、
『年、五十になるまで、上手に至らざらん芸をば、
捨つべきなり。励み習ふべき行末も無し、
老人の事をば、人も、え笑はず。
衆に交はりたるも、あいなく、見苦し』。・・・」
ここを、島内裕子さんは『評』して
「前の段に引き続き、名人論であるが、
ここでは、名人になれなかった場合の
身の処し方を述べている点で、単なる
名人論を超えて、人生の生き方を問う論になっている。
人は、誰でもが名人になれるわけではない。しかし、
人は誰しも、自分の人生を生きてゆくのであるから、
この段は、普遍性を帯びた言説と言えよう。・・・・・」
( p302 文庫 )
こうして、「日めくりカレンダー」読みから、
徒然草連続読みへ、と踏み込んでゆくことに。