歌枕に対して、俳枕というのがあるらしい。
気になるので、そこを詳しく。
尾形仂著「俳句の可能性」(角川書店・平成8年)に、
「関東の風土と俳枕」と題する文がありました。
とりあえず、ここははじまりから引用。
「 関東は、行政的には東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城・
栃木・群馬の一都六県から成っている。
律令体制下、七世紀から八世紀にかけて成立した旧国名でいえば、
武蔵(むさし)・相模(さがみ)・安房(あわ)・
上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・
下野(しもつけ)・上野(こうずけ)の
坂東八か国にあたる。・・・・ 」(p54)
うん。はじまりからだと、あれこれ引用したくなるのですが、
まあ、いいや、前半をカットして俳諧の江戸時代へとゆきます。
「 近世の開幕とともに、文化のうえで長く後進的地位に立たされ
てきた関東も、新興都市江戸を中心に、新しい庶民詩として
登場した俳諧の花が咲く。
経済の中心地日本橋は江戸俳壇の中心となり、
新開地深川は蕉風俳諧の拠点となった。
芭蕉の『蕎麦切(そばきり)・俳諧は、都の土地に応ぜず』
(「風俗文選」)という遺語は、
京の貴族の伝統文芸である和歌に対し、
直截簡明な俳諧の、蕎麦の味がよく似合う、
江戸的・庶民的性格を道破したものといえる。・・」(p60)
「 『俳枕』の語を生んだのも、また江戸である。
それは芭蕉の先輩格にあたる高野幽山が、
諸国を遍歴して成った俳書に名づけたもの。・・・
『能因歌枕』にあやかったものではあるが、
空想の地誌歌枕に対し、実地の見聞に基づいたところが違う。
歌枕も、俳諧の目で実地にとらえ直されるとき、俳枕となる。
連歌師・・の『類字名所和歌集』(元和3年・1617)のあげる
関東の歌枕は、
武蔵野・玉川・霞が関(武蔵)、箱根・鎌倉・足柄(相模)、
葛飾・香取の浦・角田川(下総)、霞の浦・鹿島・筑波(常陸)、
伊香保沼・利根川・佐野(上野)、
室の八島・黒髪山・標茅(しめじ)が原(下野)など
49にとどまるが、
素外の『名所方角集』(安永4年・1775)に
俳枕としてあげるところは176に及ぶ。
圧倒的に増えたのは日本橋などの江戸の名所と、
江の島などの相模の名所。
それに日光・銚子というのも江戸時代らしい。
一茶は放浪の間、これらに漏れた両総・安房の
農漁村を俳枕に転生させた。・・・ 」(~p61)
はい。こうして地名を引用していると、いつのまにか、
旅をして、旅館にでも泊まって枕している気になります。
そうそう、忘れずにご当地蕎麦を食べ歩きたくなります。