「徒然草」のガイド・島内裕子さんの
通読コースを、うしろからついて読みすすんでみると、
いままでの「徒然草」観が払拭された気分となります。
そうすると、今までのことはもうすっかり忘れてしまっている。
今までの、先入観で私はどう『徒然草』を思い描いていたのか。
それを、ふりかえってみることは、まんざら無駄じゃなさそう。
ということで、ひろげたのが、
谷沢永一・渡部昇一「平成徒然草談義」(PHP研究所)。
はじめの方に、芥川龍之介によって突っ込まれる「徒然草」が、
紹介されているので。そうだ。そうだった。と思い当たります。
谷沢】 ・・・・文学史上、有名な人物のうちで、
芥川龍之介は『徒然草』をこてんぱんに言っています。
『わたしはたびたび、こう言われている、
≪ 徒然草などさだめしお好きでしょう ≫。
しかし、不幸にも徒然草などはいまだかつて愛読したことはない。
正直なところを白状すれば、徒然草が名高いというのも、
またほとんどわたしには不可解である。
中学程度の教科書に便利であることは認めるにしろ・・・ 』
なぜ、芥川がこういうことを書いたのか。
『徒然草』の各段を分類すると、教訓性の強い話が圧倒的に多く、
次が物語性の濃い面白い話、それから叙情詩的なものです。
つまり、教訓癖の強さがある。
それに芥川がカチンときたのではないか。
また、芥川が全編を読んで言ったのかどうかはわかりませんが、
もし読んでいたとすれば、『鼻』のようにちょっと変わった人の話など、
自分ならもっと上手に書いてみせる、せっかくの材料を兼好は
生のままで放りだしている、と考えたに違いないとも思います。
渡部】 芥川龍之介にはずいぶんと嫌われたものですな。
・・・・・
やはり芥川は若い。全然わかっていません。
( p7~8 )
はい。これと関連するもう一箇所を引用しておわります。
谷沢】 芥川龍之介に関して付け加えると、芥川にしてみれば、
自分が材料として使っている日本の説話文学について
『徒然草』には発見がない。
しかも、説話を兼好は面白くなく書いている。
そういう軽蔑があったのではないかと思います。
ただ、平安、鎌倉は説話文学の全盛期です。・・・
『今昔物語』もここら辺です。
ところが、たくさんある説話文学のほとんどを兼好が
引用していない。知っていたはずなのに、それを一切退け、
そこに書いてないことを書いてやろうという独創性を意識している。
今回、調べて、そこまで徹底していたかと感心しました。
兼好の作家魂といいますか、表現意欲といいますか、
それは並々ならぬものがあったと思います。
( p12 )
はい。どうやらですが年齢を加えるにつけ、だんだんと、
芥川龍之介バイアスを脱ぎ捨てることが出来てきました。
これは『先達はあらまほし』ガイドさんのおかげでした。