長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」の単行本は読んでいたのですが、
文庫本が、古本として異様に高かった時期があって買わずにおりました。
その文庫が古本でも安く手にはいるようになったので、思い出し
買いました。文庫本には、単行本になかった文が追加されてます。
三女の洋子さんは、零細出版社を立ち上げたことまでが単行本にありました。
『それからの7年』というのが文庫本に追加されてます。
うん。晩年の洋子さんが登場しておりました。
「私は平成15年に、仕事に見切りをつけていた。
はじめから日本一小さい出版社と自覚はしていたが、
やはり一人では何かと手が回りかねた。
スタートの時から次女と二人三脚で始めたのは正解で、
いろいろの点で助かった。本を読むにしても私の三倍は早く・・・」
目と耳のことが記されています。
「70を越えた頃から本や原稿が読みにくくなり、
周囲の景色もぼやけてきた。病院で診てもらったら両眼とも白内障・・
手術を受けた。・・初歩的なミスがあり、以来、階段の上り下りにも
不自由するようになった。一年ほど、我慢した挙句、よその病院で
再手術をしてもらった。
左右の眼の違和感はなくなったが、期待したほど視力は出なかった。
本も読みにくいし、校正もはかどらない。
それからしばらくして突発性難聴におそわれた。
突然、頭の中がガーンと鳴り響いて、両耳が塞がれたように音が遠のいた。
耳鳴りもひどく、家族との会話も出来なくなった。
突発性難聴は時間との勝負と聞いていたので、
急いで病院に駆けつけた。ステロイドの大量投与で片耳だけは助かったが、
それでも補聴器が必要な生活になっている。 」
うん。最後の箇所も引用しておかなきゃ。
「仕事をやめるにあたって心残りはなかった。・・・
いろんな経験に出合う機会を与えられた。
家の中にこもっていては知らなかっただろう世間というものも、
少しだけ垣間見た気がする。
結論を言えば、面白く楽しかった!
という思いだけが残っている。儲からなかったけれど。
関わって下さった全ての方に、心からお礼を申し上げたい。 」
( ~p220 )
そのあとに「文庫版あとがき」。あとがきには2015年1月と日付。
そのあとの、解説は江國香織さん。
長女まり子さんの晩年のことも記されております。
「まり子姉は平成24年に94歳で亡くなった。
・・・・・・・
94歳か! と私は長寿に感嘆する思いがあった。
なぜなら姉は若い時から心臓に持病があり・・・
弁膜症だからなるべく安静にするようにと言われていたのだ。
・・・
負けん気の強い姉は、医者の注意も家族の心配も一蹴した。
毎日ウォーキングを欠かさず、仕事の合間にはデパート通いや
芝居見物を楽しみ、おいしいものには目がなかった。
肥ることは心臓の負担になると常々注意されていたが、
全く意に介さなかった。・・・・
また、癇癪持ちでもあって、気に入らないことがあると
火山の爆発のような荒々しさで足を踏みならし、
テーブルを叩いて怒鳴り散らした。・・・・
弁膜症と診断された名医も、
健康管理に常に親切な助言をして下さった女医さんも、
姉より年下でいらっしゃったが、先に鬼籍に入られた。
人の寿命は誰にも分からないものだということを、
自ら証明して、姉は反骨精神を貫いて幕を閉じた。 」(~p218)
はい。遠くから便りが届いたようにして、
短文「それからの七年」を、読みました。