和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ふたつの美術館。

2022-07-14 | 本棚並べ
安野光雅美術館と、ちひろ美術館。
そこに登場するお二人の方を思う。

① 竹迫祐子(たけさこ・ゆうこ)さんの略歴を見ると

「1956年、広島県生まれ。安曇野ちひろ美術館副館長。
 1984年より、いわさきちひろ絵本美術館に勤務・・」

② 大矢鞆音(おおや・ともね)の略歴
 
 「1938年東京に生まれる。・・・・
  ・・NHK 出版編集顧問。
  2001年3月開館の津和野町立『安野光雅美術館』館長。」

え~と。略歴は、本にあるものでした。
大矢鞆音著「画家たちの夏」(講談社・2001年)
竹迫祐子編「初山滋 永遠のモダニスト」(河出書房新社・2007年)

二冊同時に紹介すると煩雑になるので
今回は、竹迫祐子さんの本をとりあげます。

じつは、初山滋を最近になってしりました。
うん。知らずに通り過ぎていたのですが、
たとえば、柳田国男の「こども風土記」に
描かれていた絵は、初山滋でした。
それに、教科書の表紙も描いておりました。
この本には、光村図書の
『小学新国語六年上』表紙(1961年)
『小学新国語三年上』表紙などが載っていて、
その脇には紹介文があります。

「子どものためにこそ本当の芸術を届けたい。
 画家は、自分の装飾美の集大成ともいえる作品を描いた。
 1957年(昭和32)4月から1979年(昭和54)3月までの
 22年間・・・いつも子どもたちとともにあった。 」(p82)


本の「おわりに」は、竹迫祐子さんが書いております。
そこから引用しておくことに。

「1972年(昭和48)2月、初山滋の訃報を受けて
 いわさきちひろは、顔面蒼白となり、とるものもとりあえず、
 向山の家を訪ねたといいます。

  ・・・・・・・

 日本では、そして、世界でも、絵本のイラストレーションが
 美術として扱われることなく、長い年月がすぎ、
 多くのすぐれた作品が破損し、散逸してきた現実のなかで・・・

 生前の初山滋は、子どもの本のイラストレーションを
 美術として真摯に取り組み、また、その画家の立場を
 守ることに力を尽した人ではありました。  」

このあとに、竹迫さんは、エピソードを添えることを忘れません。

「けれど、それに反して、こと自分のこととなると、
 惜しげもなくその作品を人にあげた、

 とくに女性に希望されると断れなかったといった
 エピソードは有名です。

 そんな人間くささも、この人の限りない魅力のひとつでした。
 粋でいなせで、そのくせ、無頓着ともいえる格好を好み、

 もののない時代にタバコ欲しさに
 空襲のなかでも版木を彫りつづけるくせに、
 戦争のために絵を描くことはしなかった。

 初山滋という画家の、本質を見極めていく目の鋭さと、
 真実をみつめる目の確かさや感覚のまっとうさは、
 今の時代に多くのことを教えてくれるように思います。
 ・・・                      」
     ( p157 「初山滋 永遠のモダニスト」らんぷの本 )


はい。最近の収穫でした。
古本で見て読める楽しみ。

コメント (4)
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