ここ数年、地元の神輿渡御がないので、
なんか、すっかりお祭りとは縁のない
生活が常態となってしまっております。
そんな中、京都の祇園祭が今年はあるそうで、
その祇園祭のことを、思い描いてみることに。
取り出したのは、杉本秀太郎著「洛中生息」。
そこから引用することに。
「 七月はいうまでもなく祇園のお社、
八坂神社の祭礼月である。・・・・・・・
八坂神社の氏子であれば、七月になると気もそぞろ、
祇園囃子の楽の音に、胸がときめくのを常とする。 」
( 「梛(なぎ)の社」 )
「 七月一日は祇園祭の吉符(きつぷ)入りであり、
二階囃子がはじまっていた。・・・・・・
今年も二階囃子の時候になった。
わたしは毎夜、鉾の立つ町(ちょう)、
曳き山の出る町をめぐり歩いて、祇園囃子を聴く。
鉾立てがおわり、京都の町がざわめく十日すぎには、
こうまで存分に、心ゆくまで囃子を聴くことは、
とてもできない相談である。
わたしの信じる限り、モーツァルトのあの祈りのような
音楽に比べてみるのも決して身勝手でないような曲がある。
装飾がそのまま本質であり、本質が装飾に一致してしまった曲がある。
・・・・・
山の飾り付けは、近年は十四日である。
町内の会所にお飾り付けをする町(ちょう)では、
その日から、会所は聖別された場所となる。
普段はそうとは少しも見えない路地が
会所に通じているとき・・・・・・
霰天神山、占出山、鯉山、孟宗山、八幡山、油天神山の
お飾りを見にきた人が、もしも普段の路地を知っているなら、
われとわが目を疑うかもしれない。・・・・・ 」
( 「会所」 )
うん。これで終わらせるのも勿体ない。
はい。杉本秀太郎著「洛中生息」をひらいたので、
最後に、こちらも引用しておくことに。
「職人」と題する3ページほどの文の最後でした。
「 手仕事というものは、もはや才気や器用では何とも仕様がなく、
そんなものが何の役にも立たなくなったところから始まる。
このあいだ、老いた蓮月が若い鉄斎にあてた手紙に
『何ごとも気ながく、あまりせかぬがよろしく候』
とあるのが目にとまった。
手仕事には、開運ということがる。
『 三十、四十で運のひらけるもあり、
六十、七十でひらけるもあること故、
ご機嫌よくご長寿あそばし 』云々と、
蓮月は別の手紙に書いた。
こういえるだけの蓮月は、埴(はに)の職人として、
優に第二流の腕前を示した人であった。 」