和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

老いた蓮月。若い鉄斎。

2022-07-10 | 京都
ここ数年、地元の神輿渡御がないので、
なんか、すっかりお祭りとは縁のない
生活が常態となってしまっております。

そんな中、京都の祇園祭が今年はあるそうで、
その祇園祭のことを、思い描いてみることに。
取り出したのは、杉本秀太郎著「洛中生息」。
そこから引用することに。

「 七月はいうまでもなく祇園のお社、
  八坂神社の祭礼月である。・・・・・・・

  八坂神社の氏子であれば、七月になると気もそぞろ、
  祇園囃子の楽の音に、胸がときめくのを常とする。 」
           ( 「梛(なぎ)の社」 )

「 七月一日は祇園祭の吉符(きつぷ)入りであり、
  二階囃子がはじまっていた。・・・・・・

  今年も二階囃子の時候になった。
  わたしは毎夜、鉾の立つ町(ちょう)、
  曳き山の出る町をめぐり歩いて、祇園囃子を聴く。

  鉾立てがおわり、京都の町がざわめく十日すぎには、
  こうまで存分に、心ゆくまで囃子を聴くことは、
  とてもできない相談である。

  わたしの信じる限り、モーツァルトのあの祈りのような
  音楽に比べてみるのも決して身勝手でないような曲がある。
  装飾がそのまま本質であり、本質が装飾に一致してしまった曲がある。
   ・・・・・

  山の飾り付けは、近年は十四日である。
  町内の会所にお飾り付けをする町(ちょう)では、
  その日から、会所は聖別された場所となる。
  
  普段はそうとは少しも見えない路地が
  会所に通じているとき・・・・・・

  霰天神山、占出山、鯉山、孟宗山、八幡山、油天神山の
  お飾りを見にきた人が、もしも普段の路地を知っているなら、
  われとわが目を疑うかもしれない。・・・・・    」
                ( 「会所」 )

うん。これで終わらせるのも勿体ない。
はい。杉本秀太郎著「洛中生息」をひらいたので、
最後に、こちらも引用しておくことに。

「職人」と題する3ページほどの文の最後でした。

「 手仕事というものは、もはや才気や器用では何とも仕様がなく、
  そんなものが何の役にも立たなくなったところから始まる。

  このあいだ、老いた蓮月が若い鉄斎にあてた手紙に

  『何ごとも気ながく、あまりせかぬがよろしく候』

  とあるのが目にとまった。
  手仕事には、開運ということがる。

  『 三十、四十で運のひらけるもあり、
    六十、七十でひらけるもあること故、
    ご機嫌よくご長寿あそばし 』云々と、

   蓮月は別の手紙に書いた。
   こういえるだけの蓮月は、埴(はに)の職人として、
   優に第二流の腕前を示した人であった。       」




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徒然草と神道と老荘。

2022-07-10 | 古典
徒然草連続読みは、ガイドさんまかせで終了したことにします。
ところで、何か読み忘れた箇所はなかったかと振り返ることに。

うん。神道と吉田兼好のつながりがボンヤリしてる。
ここは、ガイド・島内裕子さんが『兼好とは誰か』で
語っているのでした。そこを取り出してくることに。

「少年期における兼好の精神形成に重要な役割を果たしたのは、
 やはり神道の家柄に彼が生まれ育ったことであろう。

 兼好は後年出家しているので、ややもすれば
 仏教的な側面に力点が置かれがちであるが、
 
 『徒然草』を読むと、ある特定の思想や宗教や人物の
 決定的な影響というものは考え難い。・・・・

 『徒然草』の基盤が儒教・仏教・老荘思想の融合にあることは、
 すでに江戸時代から言われ続けていることであるが、彼の場合、
 老荘思想の背景に神道があることは今まで等閑視されてきた。

 ところが、当時の神道界の状況を見渡してみると、
 鎌倉仏教の隆盛への対抗上、神道思想の著作が盛んに行われ、
 
 その際に、抽象的な論理展開や表現の基盤として
 老荘思想を援用することが多かった。

 兼好の兄弟である慈遍が著した神道書
 『旧事本紀玄義(くじほんぎげんぎ)』でも、
 『老子』や『荘子』が引用されている。

 『徒然草』で老荘思想が随所に顔を出すのは、
 兼好が大人になってから自分の判断で学んだとも考えられるが、

 神道の家に生育した彼が、少年期から自然と老荘思想に
 親しんでいた知的環境も、見逃してはならない。・・    」

     ( p110~111 『西行と兼好』ウェッジ選書 )


うん。どうやら、『神道の書』というのは、
老荘思想とのむすびつきの中にあるらしい。

グッと、老荘思想が身近に感じられてくる。
これなら、『老子・荘子』が楽しめるかも。
  
コメント (2)
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