和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ぜいたくな、京ことば。

2020-01-15 | 京都
雑誌「言語生活」第55号(昭和31年4月)の
特集は「動物のことば・人間のことば」。
座談会『動物のことば・ニホンザルを中心に』は
司会・梅棹忠夫で、
今西錦司・上山春平・伊谷純一郎・川村俊蔵の各氏。

この座談で、つかわれている、京ことばで
印象深い箇所を引用することに。
途中からですが、サルの音声と言語に
一線をひくのを、「逃げはったんや」という
箇所から以降を引用してゆきます。

梅棹】 ありますな。そういうものは世界中
どこでも似た発声になる可能性がある。
ほんでに、比較言語学では擬声語やら擬態語は
比較材料には取りあつかわんことにしてますのやろ。
それでも、字びき見たら、『あっ』とか
『ゴロゴロ』とかいうのまで、ちゃんと
単語として書いてある。

上山】 ・・・・・・

今西】 『逃げている』と言うけれど、
逃げているのとちごうて、じつは野外での
研究ではそう単純には割り切れまへんのや。
だいたい、動物に言語があるかないかなどと言うても、
サルとサル以外の動物とでは、雲泥のちがいがあります。
鳥はまあともかくとして、ネズミやらウサギやら、
ほとんど音声を欠除してますわ。
ところが、サルはね、とにかくしょっちゅう
音声をはたらかしている。そしてそのサルと
人間とをくらべると、音声のはたらかせ方に、
また一段と開きがある、とまあ、
こういうふうに考えてもらいたいものですな。

梅棹】 言語学の方では、言語の起源について
論ずることは、ずっとタブーになっていた、
ということを聞いていますが、それは、
言語だけをとり出して議論していたら、
あかんのはあたりまえですわ。

社会生活の中における言語ないしは音声の
果している機能というような点から見て行ったら、
ずっと動物までさかのぼって、言語生活の進化史と
いうようなものをあとづけることができますやろ。

そういう、生活における言語の機能の
比較研究というようなものは、言語学の方で
やられていますか。

上山】 ・・・本来の言語学者には
そういう観点は薄かったでしょうな。

梅棹】 いま、ここでこうして議論しているときの
われわれのことばみたいなものと、サルのことばとを、
いきなり比較すると、いかにもひどく差があるようですけれども、
ふつうの日常生活の実際の場面では、
案外似ているのとちがいますか。

まえに、国語研究所でやられた白河での
言語生活の調査がありますな、あれ見ると、
家庭の主婦なんか、ずいぶん使う語いが少ないな。
どんなときでも、大てい『ハイ』の一言で
すんでしまいますのやがな。

今西】 シーリアスな状況におかれると、
ことばはかえって抑制されるということもありますな。
サルなんかは、とくに必要なことだけを音声で
やっているので、そのほかのこまごましたことは、
大てい黙ってやってしまうのやな。

梅棹】 われわれの豊富なことばなんて、
むしろ一種のぜいたくというものかもしれまへんな。

上山】 都会人ほど、言語化を行うことが多いでしょう。
いなかでは、ことばで表わさないですますことが多いですね。
東京の人なんか、道を教えるのが実にうまい。
非常にうまくことばで説明する。それが、いなかの人だと、
道をおしえるのに、そこまで一緒について行っちゃうんです。


はい。これは座談のとっかかりの場面を引用しました。
これから、座談はもりあがってゆきます(笑)。

ちなみに、田舎におります私は、近所が、
道路に面してマキの木が植えてある家が並び、
道を聞かれても、目印になる場所を特定するのが
めんどうで、誤解を生みやすいことしばしば、
どうしても、その近所で聞いてみてくださいと
ついつい、道を教えるのが下手くそになります(笑)。

まあ、それはそれ。
座談でもって議論を深堀してゆくための、
『ぜいたくな、京ことば』の一端を味わう。


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