和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『茶花をいけなさい』

2021-04-04 | 京都
入江敦彦著「読む京都」(本の雑誌社・2018年)の
最後のほうに、『京都本の10冊』という箇所がある。
その始まりは、

「『本の雑誌』の名物コーナー『この作家この10冊』に
あやかって、京都本を10冊選んでみた。すなわち、これらを
読めばたちまち玉虫色の京都の魅力が理解できてしまうという
« 解放のテクニック »みたいな10冊である。けれど、これら
を読んでも決して『京都検定』には受からないが。・・・・」

はい。軽快なはじまりで紹介されている10冊のなかの一冊に、
堀宗凡著『茶花遊心』(マフィア・コーポレーション・1987年)。
これが古本でも、なかなか出ない一冊で。
こまめにネット検索していると、ある時、
古本でふらりと出ており。はい。買いました。
写真は、西山惣一。あとがきのはじまりは

「老 西山氏は近くの茶店での偶然の出会いの人である。
彼の手持ちのモノクロのネガはちょうどこの茶花遊心を
とるだけ残っていた。

何もない茶室で彼は『茶花をいけなさい、私がうつします』
といい出した。且つて雑誌『主婦の友』のいけ花専門のカメラマン
であったから、その後一年、彼とは活花をおいて
『イエス、ノー』の外にはいつも何も語っていない。
かくとり終って三月後他界された。すべては彼の胸中に
秘められていた人生仕上げであった。・・・・」

1ページに茶花の白黒写真一枚と、著者による一首と文。
私は、パラパラと読まずにめくるだけ。でも、楽しめる。
花を生けるのは、花瓶とはかぎらないことを知りました。
p331には一升徳利に花が活けてある。

添えられた文はこうはじまります。

「こんな一升徳利、まして寅とかいてある。
必ず呑みほせば管を巻かれてごてごてもつれるであろう。

好きなものは仕方がない。お茶室ではこまりもの、
お寺の本堂でのめば、あばれても大丈夫。
襖絵にも虎がよくかいてあり、堂々と酔う時は
男らしい、大人である。・・・」

ここには、徳利の豆知識もありました。

「この徳利は歳暮に酒屋がその得意先に
自分の商号を自筆でかいて送ったものである。」


そういえば、古い家には、陶器の火鉢があって、始末に困って、
そこへメダカをおよがせたりで、今も見かけることはあります。
そしてたまには、一升徳利を見かけたりしました。
ああ、あの徳利に書かれた文字は、自筆でかいた商号なんだ。
知らずにおりました。こんどは、その徳利に花でも活けましょう。

p309にも、『酒とくり』と題して、その下には
『造り酒 あるじはそれと かきつけて とくりくばりし 先の先代』
とある。
そのあとの文のはじまりはというと

「私の友人に相国寺御出入の酒屋がいた。
この徳利の字は先の先代が書いた字也と説明して、
徳利の来歴をしる。
今でも河原町仏光寺に古道具屋がある。・・」

このページの写真の徳利には
火の用心と書かれているようです。

「この火の用心は古丹波であり、
資料館に出品出来る位と聞いて常住としている。
何でも火事計りではない。熱心すぎると身をこがす。
『火廼要慎』つつしみが必要となるいのちあっての
もの種は身にうまく成長する也。・・・・」


はい。花を見ながら、お酒でも。



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2 コメント

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Unknown (kaminaribiko2)
2021-04-04 15:42:47
そういう実用的な地味な器に生けたほうが花瓶より花が引き立つことは多いですね。私の母は生花の師匠でした。
床の間。 (和田浦海岸)
2021-04-05 08:51:30
カミナリビコ2さん。
いつも、コメントありがとうございます。

そのコメントからの私なりの連想で、
つぎのブログのテーマが決まったりします。

生け花の師匠というのが
よいテーマになりそうです。
宗教でも教団があり、
生花にも流派がある。
とか思ったり。

昔は床の間に生け花を飾っていた。
そうだ、今は心のなかに床の間が
なくなってしまったのかもしれない。
そんなことを思ったり。

さて、今日のブログは
どんなことを書きましょう。

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