和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

われら。おれたちゃ。

2020-01-16 | 詩歌
雪山讃歌の名で知られている、「三高山岳部歌」。

梅棹忠夫「西堀さんにおける技術と冒険」に
『雪よ岩よ』という小見出しがありました。
そこから引用。

「三高山岳部員たちは山へゆくと、
夜は豪快なたき火をして、大声で歌をうたった。
その歌のなかでかならず登場するのが、
三高山岳部歌である。
その第一は、

  吹雪のする日はほんとにつらい
  アイゼンつけるに手がこごえるよ

ではじまる。第二節は、

  雪よ岩よわれらがやどり
  おれたちゃ町にはすめないからに

歌詞はえんえんとつづくが、一節ごとに
この第二節がくりかえしはさまれてゆく。
曲はアメリカの民謡『いとしのクレメンタイン』である。
この歌詞の作詞者が西堀(栄三郎)さんであることは、
わたしたち三高山岳部員たちはよくしっていた。
これをうたうたびに、西堀さんに対する
敬愛の念をふかめたのである。・・・」

これは、西堀栄三郎選集別巻
「人生にロマンを求めて 西堀栄三郎追悼」の
序章(p3~4)に出てきておりました。

追悼のエピソードでは、
失敗談は印象に残りますね。
ということで、そこを引用。

今西武奈太郎の「エテ叔父さん」という文に
それはありました。

「その西堀叔父には失敗談があってーーー
これは西堀夫人の妹、四手井千鶴子叔母から
聞いた話なのですがーーーある日のこと、
この三人で比叡山に行くのです。
てっぺんで何をしていたことやら、いざ帰らんと
ケーブルの駅に下りて来たところ、アラアラ、
最終のケーブルカーが出ちゃったではありませんか。

仕方なしに急坂の夜道を高度にして800メートルも下り、
さらに(ブツブツ言う)二人の女性を励ましながら
修学院、北白川とタンボ道(当時は)をつたって、
ようやく吉田山の家にたどり着いたのは夜半過ぎ・・・。
やれやれと家の中に入ってみれば重なる御難、
空巣に箪笥の中を引っ掻きまわされていた。
・・・」(p28)

うん。こういうエピソードを読むと、
なんとなく、思い浮かぶのは
「おれたちゃ町にはすめないからに」
だったりします(笑)。

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