以前に古本で買ってあったのですが、
未読のままだった本が、読み頃をむかえたようです。
大岡信編『五音と七音の詩学』(福武書店・1988年)。
これはシリーズ「日本語で生きる」全5巻の、第4巻目。
詩にまつわる短い随筆が37も集めてある楽しい一冊で、
4章にわけてあります。題分けされた各章が楽しめます。
お気軽な体裁の癖して、堂々たる詩歌関連の随筆アンソロジー
といった結構なのです。まあ、それはそれとして最後の随筆は、
堀口大學さん「『月下の一群』白水社版あとがき」なのでした。
そこから引用。
「僕が訳詩集『月下の一群』の初版を世に問うたのは1925年9月・・
この集に収められたフランス近代詩人66家の作品340篇の訳詩は、
すべて文字どほり、つれづれの筆のすさびになったものだったのだ。
求められて訳したもの、目的があって訳したものは、
只の一篇もないのである。何のあてもなく、ただ訳して
これを国語に移しかへる快楽の故にのみなされたものだった。
後日、集大成して一巻の書にまとめなぞといふ考へは毛頭なかった。
ましてや秩序あるフランス近代詩の詞華集(アンソロジー)を
作り上げようなぞといふ野心をやである。・・・ 」 ( p261 )
ここから、わたしに思い浮かんできたのは、詩の守備範囲
ということでした。アンソロジーを編むというと、
まずは、おのおの思い浮かぶ詩を、集めることになるのでしょうが、
探す守備範囲となると、なかなか思い至らない、そんな気がします。
そこで、ここに登場してもらうのは、意外な3点。
① 月下の一群
② 謡曲
③ 芭蕉七部集
はい。この3つの守備範囲は、どうでしょうか?
読んでいない私が指摘しても信憑性はないので、
ここは、3つにわけて語ってもらうことに。
① 月刊『新潮』2000年新年特別号でした。
河盛好蔵氏が「20世紀の一冊」として、この本をとりあげておりました。
はじまりは
「堀口大学さんの訳詩集『月下の一群』に出合ったときの驚きは、
97歳の今も忘れない。・・・・
たとえば、アポリネールのこういう詩である。
『 働く事は金持をつくる
貧乏な詩人よ働かう!
毛蟲は休なく苦労して
豊麗な蝶になる 』。
たった四行の詩なのに、機知があって、
新鮮で、感覚がまったく新しい。
原詩を取り寄せて対照すればするほど、
それが19世紀的なものから完全に脱した、
真の現代詩であることに驚きを深め、
ついに新しい時代が到来したと、
胸が高鳴るのを抑えきれなかった。 」
あとは、短文の最後を引用。
「 文学の底に流れているのは詩である。
これはごく当り前なことなのに、
わが国の近・現代文学は、いつの頃からか
詩と小説が分離してしまい。その傾向は今に続いている。
私は大学さんのあの仕事にかえることが、
今もっとも大切なのではないかと思っている。 」( p275 )
② ドナルド・キーン著「日本文学のなかへ」(文芸春秋・昭和54年)
「 私は何度も『松風』を講じ、劇詩としての美しさもさることながら、
その演劇的な美に搏(う)たれることが多い。それのみならず
『松風』を文学として最高のものと信じている。
こんなことを書けば奇異に感じる人もいるだろうが、
私は日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、
連歌、俳句、新体詩でもなく、謡曲だと思っている。
謡曲は、日本語の機能を存分に発揮した詩である。
そして、謡曲二百何十番の中で、『松風』はもっとも優れている。
私は読むたびに感激する。
私ひとりがそう思うのではない。コロンビア大学で教え
始めてから少なくとも七回か八回、学生とともに『松風』を読んだが、
感激しない学生は、いままでに一人もいない。
異口同音に『日本語を習っておいて、よかった』と言う。
実際、どんなに上手に翻訳しても、『松風』のよさを
十分に伝えることは、おそらく不可能であろう。
月はひとつ、影はふたつ、満つ潮(しお)の、
夜の車に月を載せて、憂しとも思はぬ、潮路かなや。
・・・音のひびきが、なんとも言えないのである。 」( p57 )
③ 柳田國男著「木綿以前の事」の自序に
「 そうして私がこの意外なる知識を掲げて、
人を新たなる好奇心へ誘い込む計略も、
白状すればまた俳諧からこれを学びました。
七部集は三十何年来の私の愛読書であります。・・・ 」
はい。河盛好蔵さんは、指摘します。
『 私は大学さんのあの仕事にかえることが、
今もっとも大切なのではないかと思っている。 』
ドナルド・キーンさんは、指摘します。
『 私は日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、
連歌、俳句、新体詩でもなく、謡曲だと思っている。 』
ちょっと、柳田国男の『三十何年来の私の愛読書であります』だけじゃ
弱いかなあ。たとえば、桑原武夫さんなら、どうするか。杉本秀太郎氏は、
桑原さんへの追悼文のなかで、こんな一場面を、切り取っておりました。
「 1982年の9月、私はパリに出かける用があり、たまたま
パリ滞在中の桑原さんと何度かお会いした。10月に入ったのち、
帰国直前の桑原さんをホテルにたずねていくと、
トランクのうえに一冊の岩波文庫が投げ出してあった。
『この文庫、ほしかったら君にあげるよ』
と言われて手にとると、それは『芭蕉七部集』だった。
『あれ。ぼくもこれを持ってきています』と答えると、
驚いたような、咎めるような、しかしまた安堵したような、
照れたような、微妙な表情が、桑原さんの顔にしばらく浮かんでいた。」
( p199 杉本秀太郎著「洛中通信」岩波書店1993年 )