和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

聴いても、唱えても。

2022-05-27 | 詩歌
尾形仂著「歌仙の世界」(講談社学術文庫)の
はじめの方に、気になる箇所がありました。

「・・・幸田弘子さん・・・朗読の名手の女優さんに、
NHKの仕事で『おくのほそ道』の朗読をしてもらったことがあるのですが、
そのとき幸田さんは、発句が出てくると、どうしても二度朗読しないと
納まりがつかない気がすると言うんですね。

これは、声に出して読むことによって、切れ字の効果をみごとに
言い止めたことばだといっていいでしょう。

切れ字の効果は、ちょうどこだまのように、
一句の言外に含まれた詩情を何度でも
反復して反響させてゆくところにある。
そうした反響音の中から、
次の句が生まれてくるわけです。    」( p26 )


何気なく、読み飛ばしておりましたが、あとになって印象に残りました。
歌仙を巻くというのは、どのように、その句を読み上げるのでしょうか。
門外漢は、活字をおっているだけで、そんな基本的なことが分からない。

それはそうと『歌会始め』をテレビで見たことがあります。
最初はおひとりの方が、読み上げてから、つぎに、歌われていたのでした。
うん。二回読まれておりました。

話はかわりますが、平川祐弘氏が月刊Hanadaの2022年6月号より
連載『詩を読んで史を語る』をはじめられております。有難い。

せっかくなので、はじまりを引用。

「詩を読むことで、日本の文化を語り、あわせて世界史の中の
 日本を眺めるよすがとしたい。・・・」(p332)

ということで、第一回目は『明治天皇』でした。
うん。ゴチャゴチャいわれないように、
平川氏は、まずは『露払い』よろしく語ります。

「明治の大歌人として明治天皇(睦仁、1852‐1912)を
 まずとりあげる。・・・・

 苦情が出ぬよう実証的に話をすすめると、
 明治天皇が60年の生涯に作られた和歌は9万3032首。
 明治の大歌人与謝野晶子が64年の生涯に作った和歌が5万というから、
 睦仁陛下が数の上で大歌人であることは明らかだろう。

 だとすると、平川の選択を頭から拒もうとするアレルギー的反応は、
 惰性的左翼にありがちな、精神の怠惰でしかないことがわかる。
 
 ただし御製であるからといって、保守的右翼にありがちな、
 ただただ有難がることはしない。・・・・

 天皇のお歌であるからといって構えることなく、
 自然体で吟味させていただく。          」


こうして、まず最初に引用されているお歌は

「  さしのぼる朝日のごとくさはやかに
        もたまほしきはこころなりけり   」(p333)

はい。こうしてはじまる14頁なのでした。
ここには、横着にも最後の箇所から引用。

「明治天皇は御自分の歌が世に発表されるのを好まれなかった。
 しかし小学校教科書に載る以前にも、東京の府立六中などでは
 生徒たちは朝礼の時間、校庭で大きな声で御製を朗唱していた。

 朝の空気の中でこういう歌を大きな声で唱えることは、
 長たらしい校長訓示を聞くよりよほど気持がよい。・・・・ 」

はい。この府立六中の箇所をもうすこし

「六中とはいまの新宿高校で、自由な校風で知られた。・・・・

 昭和の初め、この名門の中学校では毎朝、
 明治天皇の御製を生徒が一緒に朗唱した。

 天皇の歌を暗誦させるとは忠君愛国教育か、
 さては『毛沢東語録』の暗誦のたぐいか、
 と批判する読者もいるかもしれない。

 だが『百人一首』を読み上げるのと同じで、
 聴いても、唱えても、気持ちがよい。

 それは歌にこめられた気持ちがしみじみと
 若者の心に浸みこむからだろう。

 後に歴史学者となる林健太郎(1912‐2004)も
 六中の生徒で毎朝、御製を三唱した。・・・・・

 『朝の空気の中でこういう歌を大きな声で唱える
  ことはなかなか気持ちのよいものであった』
 
    と回想している。          」(p345)


90歳を過ぎた平川祐弘氏が、あたらしく連載をはじめられた。
連載『詩を読んで史を語る』を、読めるめぐりあわせの慶び。


コメント
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