台所の掃き口のすり戸のそばまで、
ガラス越しにビワの枝が見えます。
いまでは枇杷の実が色づいている。
尾形仂著「歌仙の世界」(講談社学術文庫)に
枇杷が出てくる箇所がありました。
季節柄、時期を得ておりますので引用。
「『本朝食鑑』(元禄8年)によれば、
枇杷は実生でも移植によってもつきやすいため、
全国各地にあり、庭園にも植えられていたようです。
木の高さは丈余。常緑で冬に花を開き、春に実をつけ、
ちょうど梅雨期の仲夏のころに熟します。
黄緑色の実が次第にかすかな赤みを帯びた黄金色に変化するとともに、
味も微酸から豊かな水気を含んだ純甘に変わる。
それは、果実といったらほかには酸っぱい青梅や小さな山桜桃(ゆすら)
の実ぐらいしかないこの季節にあっては、まことに楽しく頼もしい
ながめということができるでしょう。 」(p183)
うんうん。まるで枇杷の実の自己紹介を聴いているようで、
その色づくお便りを読むようで、つい引用をたのしみます。
さて、歌仙のなかでは、どうなっていたか
「 ひと雨ごとに枇杷つはる也 枝
・・・『枇杷』を持ち出したのは、
疫病のはやりやすい季節として、梅雨期を連想したからでしょう。
『枇杷』は、『花火草』(寛永13年)、『毛吹草』(正保2年)以来、
俳諧の季語として取りあげられており、
したがって季は雑から夏に転じたことになります。 」(p183)
「『つはる』は、変化のきざしが見えはじめることで、
植物が芽ぐむことや、果実が熟しはじめること、
動物が発情することなどに言い、
妊娠した女性に起きる症状にいう悪阻(つわり)という
ことばもここから出たものにほかなりません。
『一雨ごとに枇杷つはる』とは、
天候に左右されて気分もけだるい陽気の中で、
果実の次第に黄熟しはじめる季節の動きをとらえ、
まことに言い得て妙という気がいたします。 」(p183~184)
このあとには、斧正(ふせい)される句の姿が語られているのですが、
引用はここまでにしておきます。
うん。この尾形仂氏による、歌仙の記述でもって、
部屋から見える枇杷も、何か腰が据わったような、
そんな気がしてきました。
追記:そばにある枇杷の木は、高さが5メートルくらい。