和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

すらりと立つ麦よ

2022-05-13 | 産経新聞
今日一日雨模様。
最近は、新聞の切り抜きをせずじまい。
見かけるのは、古い新聞切り抜きです。

クリアファイルにはさんであり、何気に手にしました。
2017年1月3日の産経新聞正論欄で、『年頭にあたり』
というリレーエッセイのようなもののようです。
この回の筆者は、外山滋比古(1923~2020)。

いまから5年前の文。というと、外山氏は93歳。
うん。そのはじまりと、さいごとを引用します。

「 長い日本の歴史を振り返ってみても、ここ30年、
  戦後70年ほどいい時代はなかったのではないかと思われる。
 
  おかげで・・・緊張を欠いているのである。
  しかし、実際には、大変化が押し寄せている。
  それを無視するのは知的怠慢である。

  中高年の人に頼るわけにはいかない。
  ご苦労だが若い世代に出動していただくほかはない。 」


はい。これが外山氏の文のはじまり。
最後は、文章一番下の段の全文引用。

「 何かと言うと専門を持ち出す。
 しかしそれはひとりだけの知識である。
 知的個人主義が不毛でありやすいことを、
 現代はまだよく理解していないらしい。

 本を読むより、違ったことをしている仲間と
 語らい合う方がどれくらいためになるか、

 今の個人主義者、孤立派には分かっていないようだが、
 ひとりで考えることには限界がある。
 ほかの人と雑談をすると、ひとりでは
 思いつかないようなことが飛び出してくる。

 昔のヨーロッパの大学がカレッジ(学寮)で
 学生に生活と学問を一体化させた意義は大きい。

 独学、ひとりだけの修行の好きな日本人はついに、
 おしゃべり、雑談の面白さを知らずにきたが、
 いまからでも遅くない。

 知的会話のクラブをつくって、新しい文化を
 開発させることが望ましい。

 近づく大変動にしてやられるのではなく、
 それをきっかけに新しい人間になる、
 いまはチャンスである。

 若い人たちが新しいホモ・サピエンスになることが
 できるのは、すばらしいことである。 」

はい。
『ひとりでは思いつかないようなことが飛び出してくる』
ことを夢みて、このブログを更新してゆくことに。

そういえば思い浮かんできた詩がある。
竹中郁の詩「桃・麦・あなた」でした。
ここには、詩の最後の四行を取り出す。


 『 しゃべりましょうよ 生きましょうよ 』
  桃の花よ
  すらりと立つ麦よ
  あなたよ

 



コメント (2)
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