今日一日雨模様。
最近は、新聞の切り抜きをせずじまい。
見かけるのは、古い新聞切り抜きです。
クリアファイルにはさんであり、何気に手にしました。
2017年1月3日の産経新聞正論欄で、『年頭にあたり』
というリレーエッセイのようなもののようです。
この回の筆者は、外山滋比古(1923~2020)。
いまから5年前の文。というと、外山氏は93歳。
うん。そのはじまりと、さいごとを引用します。
「 長い日本の歴史を振り返ってみても、ここ30年、
戦後70年ほどいい時代はなかったのではないかと思われる。
おかげで・・・緊張を欠いているのである。
しかし、実際には、大変化が押し寄せている。
それを無視するのは知的怠慢である。
中高年の人に頼るわけにはいかない。
ご苦労だが若い世代に出動していただくほかはない。 」
はい。これが外山氏の文のはじまり。
最後は、文章一番下の段の全文引用。
「 何かと言うと専門を持ち出す。
しかしそれはひとりだけの知識である。
知的個人主義が不毛でありやすいことを、
現代はまだよく理解していないらしい。
本を読むより、違ったことをしている仲間と
語らい合う方がどれくらいためになるか、
今の個人主義者、孤立派には分かっていないようだが、
ひとりで考えることには限界がある。
ほかの人と雑談をすると、ひとりでは
思いつかないようなことが飛び出してくる。
昔のヨーロッパの大学がカレッジ(学寮)で
学生に生活と学問を一体化させた意義は大きい。
独学、ひとりだけの修行の好きな日本人はついに、
おしゃべり、雑談の面白さを知らずにきたが、
いまからでも遅くない。
知的会話のクラブをつくって、新しい文化を
開発させることが望ましい。
近づく大変動にしてやられるのではなく、
それをきっかけに新しい人間になる、
いまはチャンスである。
若い人たちが新しいホモ・サピエンスになることが
できるのは、すばらしいことである。 」
はい。
『ひとりでは思いつかないようなことが飛び出してくる』
ことを夢みて、このブログを更新してゆくことに。
そういえば思い浮かんできた詩がある。
竹中郁の詩「桃・麦・あなた」でした。
ここには、詩の最後の四行を取り出す。
『 しゃべりましょうよ 生きましょうよ 』
桃の花よ
すらりと立つ麦よ
あなたよ