和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

はかなくて、あっけなくて。

2022-05-17 | 本棚並べ
俳諧と、座談との、結びつきを思ったりします。
俳諧と、それから座談・対談・閑談・インタビューといろいろあります。

そういえば、丸谷才一と大岡信と、お二人は歌仙のお仲間。
その二人の対談の運びは、どのようになるのかとの興味で、
丸谷才一対談集「古典それから現代」(構想社・1978年)を手にする。
そこに、「唱和と即興」と題して二人して対談が載っているのでした。


ここでは、最後の箇所からはじめます。

丸谷】・・近代日本文学における詩の実状を手っとり早く示しているのが、
   いいアンソロジーが、一つもなかったってことですね。つまり、
   文学と文明との間を結びつける靭帯がなかった。

   言うまでもなく、文学の中心は詩なんだし、
   その詩と普通の人間生活、あるいはそれをとりまく
   文明とを結びつけるのは、個人詩集じゃなくて詞華集、
   昔の話で言えば・・・勅撰集なわけですからね。
   
   ・・・・・・・
   眠られないときに、日本人がみんな読む、
   そういう詩のアンソロジーはないんですよ。
   詩人の仕事が今の社会の言葉づかいに対して
   貢献するというようなことはないし・・・・
   これではいけない。(笑)          ( p120 )


うん。『 詩のアンソロジー 』という視点が語られておりました。
はい。対談はこれだけじゃなくって、あれこれと豊富な内容でした。
せっかくなので、歌仙が話題にあがってる箇所も引用しちゃいます。

大岡】・・・・たとえば安東次男さんにしても、
   丸谷才一、大岡信みたいな、そういうのが連句などを
   やってるなんて話になると、すぐに文人趣味に走ってる
   ということになる。

丸谷】 それはそうでしょう。

大岡】 ほんとのところを言えば、
    連句にわれわれが固執しているわけじゃなくて、
    そういう形で、まったく異質の人間たちが出会ったときに
    見えてくるものに惹かれているのだということですよね。

丸谷】 そうですよ。             ( p100 )


うん。せっかくなのであと一箇所引用します。

丸谷】 結局、現代日本の俳人は、
    発句のはかなさね、それを知らなさ過ぎると思う。
    ・・・・・・・

    ことに明治以後は芭蕉の偉大さには、そういう
    はかなくて、あっけなくて、つまり
    吹けば飛ぶような一面があるってことを見逃してしまった。

    ところが立派なほうだけの芭蕉を捉えると、
    芭蕉の立派さがやはり痩せてきますね。

大岡】 それはありますね。           ( p98 )


対談は、歌仙のひろがりほどの、広範囲なのですが、
比べると、私の引用の、みみっちさが感じられます。
それはそうと、
『眠られないとき』と『はかなくて、あっけなくて』
の両方を引用したのでこのくらいでご勘弁ください。         
コメント (5)
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