丸谷才一著「思考のレッスン」(文芸春秋)が好きで、
本棚から思い出してはとりだすことがあります。
はい。今年取り出し、気になった箇所は
『 レッスン3 思考の準備 』でした。
レッスン3のはじまりで( p103・単行本 )
「考えるための準備と言われてまず思い浮かぶのは、『読書』でしょう。
ものを考えるには、本を読むことが最も大事なことだという気がします。」
とあるのですが、この章の最後はどうだったか。
「 ・・しかし一番大事なことがもう一つある。
それは、まとまった時間があったら本を読むなということです。
本は原則として忙しいときに読むべきものです。
まとまった時間があったらものを考えよう。
・・・・・・・とにかく手ぶらで、ものを考えよう。
きょうは暇だから本を読もうというのは、あれは間違いです。
きょう暇だったら、のんびりと考えなくちゃあ。
考えれば何かの方向が出てくる。
何かの方向が出てきたら、それにしたがってまた読めばいい。
そして、考えたあげく、これは読まなければならない本だとわかれば、
毛嫌いしていた〇〇でも、〇〇〇〇でも、
その必要のせいでおもしろく読めるんですよ。 」 (p141)
うん。本を読みなさい、といってみたり、本を読むな、といってみたり。
この振幅が、はじめて読んだ際にとても新鮮で面白かった。
なんでしょう。ちょっと本を読んでいる人には思いつかない広さがある。
そんなことを感じて、ウキウキしながらめくっておりました。
今年読み返していたら、この本の隠し味は、俳諧じゃないかと思いました。
たとえば、柳田国男は「女性と俳諧」のはじめの方で、
「 それが芭蕉の実作指導によって、天地はまだこの様に
広かったといふことを、教へられたのであります。」
と指摘されておりました。うん。如来の掌みたいな天地の広大さ。
ということで、岩波新書の「歌仙の愉しみ」(2008年)をひらくことに。
これは大岡信・岡野弘彦・丸谷才一の3人して、歌仙をたのしんでいる一冊。
そのはじまりに丸谷才一氏が「わたしたちの歌仙」と題して9ページの文を
載せておりました。そのなかに
「 とにかくこれがわたしたちの歌仙事始。
1960年代の半ばごろのことだから、40年も前の話です。」
とあります。うん。「思考のレッスン」の
広やかな楽しみの隠し味は、俳諧なのだと、
そう思うのですよわたしは。ということで、
この本の隠し味を探す楽しみがまたひとつ。