「司馬遼太郎が考えたこと」全15巻(新潮社・文庫も)。
私見によりますと、この本には、味わい方があります。
それは、各巻の巻末の作品譜。1巻目の最後には、
「資料提供および『作品譜』作成協力 -- 山野博史」
と小さくあるのでした。
「司馬遼太郎が考えたこと」を読む楽しみの隠し味はここ。
うん。その隠され部分を知ると、さらに楽しみが深まります。
ということで、取り出したのは、
谷沢永一著「運を引き寄せる十の心得」(ベスト新書・2008年)の
P188~190で、以下に引用。
「・・新潮社から出ている『司馬遼太郎が考えたこと』・・・
あれの60パーセントは山野博史が自腹を切って発掘した成果です。
ほんとに草の根を分けるようにして、要するに、
司馬さんは書きたかったわけですよ、まだ無名の頃から。
山野さんはあらゆることを考えまして、
司馬さんは産経の京都支局に配属されていました。
そうすると、向かいにお花の未生流の建物があって、
そこが山野さんの特色ですが、ひょっとしたら、それと
関係があったかもしれないというので、そこへ飛び込んでいって、
おたくのお花の師匠が雑誌を出していますが、
その雑誌に司馬さんが書いていませんかと。
無名時代に書いているわけです。それを発掘した。
もっと傑作なのは、司馬さんのお宅は近鉄奈良線の
八戸(やえ)ノ里という駅から歩いて数分のところにありますが、
司馬さんは『街道をゆく』などで全国を回りますが、
全部タクシーを利用しているわけです。
八戸ノ里の駅前にタクシー会社があって、そこへ出かけていって、
おたくの宣伝文かパンフレットに司馬遼太郎さんが
書いていませんかと聞くと、書いているんですね。
それから、司馬さんは弔辞の名人です。
藤沢恒夫(たけお)さんが亡くなったときに、
その弔辞は東京版には出さなかった。
司馬遼太郎のエッセイで産経、読売、朝日に出ている
にもかかわらず、関西版にしか載らずに、東京版には載っていない。
ということは、縮刷版に入っていない。
その新聞を保存している近畿一帯の図書館を全部調べ上げて、
大津の図書館にあるとトコトコ出かけていって、
それを全部点検する。
あれは12巻に1000本のエッセイが入っています。
そのうち600本は全部、山野博史が自腹を切って発掘しました。」
はい。私が「司馬遼太郎が考えたこと」を楽しく読めたのは、
理由があったのだと合点できます(笑)。
ちなみに、司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」(文芸春秋)
の巻末解説は題して『書くこと大好き人間ここにあり』でした。
この巻末解説も山野博史。
「司馬遼太郎の跫音(あしおと)」(中央公論)巻末の
年譜「司馬遼太郎の72年」も山野博史。
きわめつけは、
山野博史著「発掘司馬遼太郎」(文芸春秋・平成13年)。
とつづくのでした。
うん。わたしは司馬遼太郎の小説も「街道をゆく」も
数冊しか読んでいないのですが、司馬さんのエッセイは
好きです。そのエッセイを探して下さっている山野博史さん。
山野博史さんのおかげで司馬さんのエッセイの醍醐味が
じっくりと味わえた気がします。
もうすっかり内容は忘れてしまっていますが、
その印象は鮮やかに残ってます。
ということで、またパラパラ読み返すための
備忘録がてら記しておきます。