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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一番目の読者。

2020-06-04 | 手紙
司馬遼太郎の小説を、読んだのは数冊です(笑)。
長いとついつい、目移りして、読み続けられない。
そのかわり、司馬遼太郎の短文なら、だいじょうぶかなあ。
そんな司馬さんの短文に、「風塵抄」がありました。
短かい文は、時がたって、なんどでも甦ることがあります。

中公文庫の『風塵抄二』には、その最後に
福島靖夫の「司馬さんの手紙」(p287~329)が載っている。
はい。その福島さんの文に、こんな箇所がありました。
あらためて反芻してみようと引用。

「『風塵抄』の連載は昭和61年5月からスタートしている。
・・・・『風塵抄』の原稿が入ると、ワープロ打ちといっしょに
感想を書いて送るのが、一番目の読者としての私の義務だと
思っていた。司馬さんはその感想にいちいちていねいな返事を
書いてくれた。・・・その手紙を読むのはじつに楽しく、その手紙を
私はひそかに『もうひとつの風塵抄』と呼んでいた。

いま、原稿用紙に書かれたこの手紙を積み上げたら、
20センチ以上になっているのに、改めて驚いている。
そのなかの一つで、文章についての私の疑問に、
司馬さんはこう書いている。

『われわれはニューヨークを歩いていても、パリにいても、
日本文化があるからごく自然にふるまうことができます。
もし世阿弥ももたず、光悦・光琳ももたず、西鶴をもたず、
桂離宮をもたず、姫路城をもたず、法隆寺をもたず、
幕藩体制をもたなかったら、われわれは
おちおち世界を歩けないでしょう」

そして、『文章は自分で書いているというよりも、
日本の文化や伝統が書かせていると考えるべきでしょう』
と続けている。この手紙を読んで、私はみるみる元気になった。」
(p288~289)

この文庫本「風塵抄二」は2000年1月に出版されておりました。
2000年2月になって司馬遼太郎・福島靖夫往復手紙
「もうひとつの『風塵抄』」(中央公論新社)が出ます。
さっそく購入して、気になったので、
この『ニューヨークを歩いていても、パリにいても』
という手紙が登場する箇所を探してみました。
それは、p278~279にあったのですが、不思議なことに
引用された前後の雰囲気がちがうのでした。
うん。それはまた別の話となるから、ここまでにします(笑)。

コメント (2)
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