外山滋比古著「思考の整理学」(ちくま文庫)を読んで、啓発されるところが多いんだなあ。
ちょっと気になる箇所を列挙。
「無手勝流の読書法」という
「 まず、テーマに関連のある参考文献を集める。
集められるだけ集まるまで読み始めないでおく。
これだけしかない、というところまで資料があつまったら、
これを机の脇に積み上げる。
これを片端から読んで行くのである。
よけいなことをしていては読み終えることができない。
メモ程度のことは書いても、ノートやカードはとらない。
それでは忘れてしまうではないか、と心配になる人は、
カード派であり、ノート派である。
そういう向きは、この当ってくだけろの方法はまねしないこと。
まねしてもうまく行くはずがない。
すべては頭の中へ記録する。もちろん、忘れる。
ただ、ノートにとったり、カードをつくったりするときのように、
きれいさっぱりとは忘れない。不思議である。
どうやら、記録したと思う安心が、忘却を促進するらしい。
・・・・・・
もうひとつは関心がものを言う。
メモやノートをとらなくても、
興味のあることはそんなに簡単に忘れるものではない。
忘れるのは、関心のないなによりの証拠である。
知りたいという気持ちが強ければ、
頭の中のノートへ書き込めば、なかなか消えない。
もっと頭を信用してやらなくては、
頭がかわいそうだ。
当ってくだけろ派はそういう風に考えるのである。 」
p(92~93)
「 はじめの一冊がもっとも時間を食う。
したがってまず標準的なものから読むようにする。
同じ問題についての本をたくさん読めば、
あとになるほど、
読まなくてもわかる部分が多くなる。
最初の一冊に三日かかったとしても、
十冊で三十日、などという計算にはならない。
一気に読み上げるのは、案外、効率的である。
読み終えたら、
なるべく早く、まとめの文章を書かなくてはいけない。
ほとぼりをさましてしまうと、急速に忘却が進むからである。
本当に大切なところは忘れないにしても、
細部のことは、そんなにいつまでも、
鮮明に記憶されているとはかぎらない。
たくさんの知識や事実が、頭の中に渦巻いているときに、
これをまとめるのは、思ったほど楽ではない。
まとめをきらう知見が多いからである。
・・・・・・ 」
(p94)
ちょっと気になる箇所を列挙。
「無手勝流の読書法」という
「 まず、テーマに関連のある参考文献を集める。
集められるだけ集まるまで読み始めないでおく。
これだけしかない、というところまで資料があつまったら、
これを机の脇に積み上げる。
これを片端から読んで行くのである。
よけいなことをしていては読み終えることができない。
メモ程度のことは書いても、ノートやカードはとらない。
それでは忘れてしまうではないか、と心配になる人は、
カード派であり、ノート派である。
そういう向きは、この当ってくだけろの方法はまねしないこと。
まねしてもうまく行くはずがない。
すべては頭の中へ記録する。もちろん、忘れる。
ただ、ノートにとったり、カードをつくったりするときのように、
きれいさっぱりとは忘れない。不思議である。
どうやら、記録したと思う安心が、忘却を促進するらしい。
・・・・・・
もうひとつは関心がものを言う。
メモやノートをとらなくても、
興味のあることはそんなに簡単に忘れるものではない。
忘れるのは、関心のないなによりの証拠である。
知りたいという気持ちが強ければ、
頭の中のノートへ書き込めば、なかなか消えない。
もっと頭を信用してやらなくては、
頭がかわいそうだ。
当ってくだけろ派はそういう風に考えるのである。 」
p(92~93)
「 はじめの一冊がもっとも時間を食う。
したがってまず標準的なものから読むようにする。
同じ問題についての本をたくさん読めば、
あとになるほど、
読まなくてもわかる部分が多くなる。
最初の一冊に三日かかったとしても、
十冊で三十日、などという計算にはならない。
一気に読み上げるのは、案外、効率的である。
読み終えたら、
なるべく早く、まとめの文章を書かなくてはいけない。
ほとぼりをさましてしまうと、急速に忘却が進むからである。
本当に大切なところは忘れないにしても、
細部のことは、そんなにいつまでも、
鮮明に記憶されているとはかぎらない。
たくさんの知識や事実が、頭の中に渦巻いているときに、
これをまとめるのは、思ったほど楽ではない。
まとめをきらう知見が多いからである。
・・・・・・ 」
(p94)