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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

すっ飛んで。

2009-11-16 | 幸田文
ドナルド・キーンの新聞インタビュー記事で思い出したのですが
ドナルド・キーン著「声の残り」(朝日新聞社)に、
一度だけ訪問した永井荷風の家の様子を描いた箇所があります。

「とにかく家を見付けて、入って行った。私はそれまで、日本人の家に初めて入った時、家の人が、『きたないところですが』と、へりくだって言うのを、よく聞いたことがあった。しかし言葉どおり、本当にきたないことを実感させられたのは、実はこの荷風の家が、初めてであった。例えば私たちが畳の上に座った時、もうもうたる埃の煙が、たちのぼったものだ。」

と、ここまで引用していたら、橋本治の新刊「巡礼」(新潮社)が思い浮かびました。私は読んでいないし、読まないだろうけれども何でも「ひとりゴミ屋敷に暮らし、周囲の住人たちの非難の目にさらされる老いた男」を主人公にしてあるのだそうです。話がそれました。続きを引用。

「間もなく荷風が、姿を見せた。荷風という人は、まことに風采の上がらぬ人物だった。着ている服は、これといって特徴のない服で、ズボンの前ボタンが、全部外れていた。彼が話し出すと、上の前歯がほとんど抜けているのが分かった。しかし彼の話すのを聴いているうちに、そうしたマイナスの印象なぞ、いつの間にか、どこかへ、すっ飛んで行ってしまった。彼の話す日本語は、私がかつて聴いたことがないくらい、美しかったのだ。第一私は、日本語が、これほど美しく響き得ることさえ、知らなかった。その時彼が話したことの正確な内容、せめて発音の特徴だけでも、憶えておけたらよかったのに、と悔やまれる。ところがその日は、前の晩の飲みすぎで、私はひどい二日酔い、荷風がなにをしゃべったか、記憶がまったく定かではないのだ。それにしても、彼の話し言葉の美しさだけは、あまりにも印象深くて、忘れようにも忘れられない。」

う~ん。日本語の美しさ。どなたもある時、そんな経験をするかもしれませんね。
ちなみに、私が思い浮かぶのは、テレビのインタビュー番組でした。
青木玉さんがしゃべっていた。その語り方の抑揚というかテンポがステキだった。
内容はすっかり忘れてもその声というのは、残るものですね。
そうそう。岩波書店の「幸田文全集」の第二十二巻付録には幸田文の講演カセットがついておりました。その声を聞いていると、幸田文の文章と、息づかいが自然と地続きなことがよくわかる。
コメント
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