中谷宇吉郎氏が昭和12年3月に「漱石全集月報」へ書いた文があります。
題は「冬彦夜話 漱石先生に関する事ども」。
はじまりは
「『猫』の寒月君『三四郎』の野々宮さんの話の素材が吉村冬彦(寺田寅彦)先生から供給されたものである・・・漱石先生と冬彦との関係は、冬彦先生自身が書かれた『夏目漱石先生の追憶』の中に詳しく述べられている。私は丁度大正十二年の暮から四年余りの間冬彦先生の下で働いていたことがあって、その頃度々、曙町の応接間で色々の話を伺ったのであるが、その中で冬彦先生自身が語られた漱石先生の話を次に書き抜いてみることとする。もっともその話の中の一部は、前述の『追憶』の中に書かれてあるが、同じ話でも書かれたものと話されたものとではかなり表現が違うし、話されたものの方が、余計に両先生の私的な交情が現われているように思われるので、多少の重複をかまわず書き止めておくこととする。」
さて、そこに寺田寅彦の漱石作品評価というか感想が述べられているのでした。
「君なんか若い人達は夏目先生のものの中でどれが一番面白いかな。僕なんか『猫』や『草枕』のような初期のものの方が好きだ。あの頃の先生は書くのがとても楽しみだったらしいが、晩年になられてからは、もう小説を書くのが厭で耐らなかったように思われた。僕には何といっても楽しみに書いたものが一番性に合うようだ。」
う~ん。寅彦氏も漱石の「初期のものの方が好きだ」という確認が、あらためて出来ました。
題は「冬彦夜話 漱石先生に関する事ども」。
はじまりは
「『猫』の寒月君『三四郎』の野々宮さんの話の素材が吉村冬彦(寺田寅彦)先生から供給されたものである・・・漱石先生と冬彦との関係は、冬彦先生自身が書かれた『夏目漱石先生の追憶』の中に詳しく述べられている。私は丁度大正十二年の暮から四年余りの間冬彦先生の下で働いていたことがあって、その頃度々、曙町の応接間で色々の話を伺ったのであるが、その中で冬彦先生自身が語られた漱石先生の話を次に書き抜いてみることとする。もっともその話の中の一部は、前述の『追憶』の中に書かれてあるが、同じ話でも書かれたものと話されたものとではかなり表現が違うし、話されたものの方が、余計に両先生の私的な交情が現われているように思われるので、多少の重複をかまわず書き止めておくこととする。」
さて、そこに寺田寅彦の漱石作品評価というか感想が述べられているのでした。
「君なんか若い人達は夏目先生のものの中でどれが一番面白いかな。僕なんか『猫』や『草枕』のような初期のものの方が好きだ。あの頃の先生は書くのがとても楽しみだったらしいが、晩年になられてからは、もう小説を書くのが厭で耐らなかったように思われた。僕には何といっても楽しみに書いたものが一番性に合うようだ。」
う~ん。寅彦氏も漱石の「初期のものの方が好きだ」という確認が、あらためて出来ました。