わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

短 信(12)

2013-07-09 23:09:58 | 癒し
 拝復
 人間界に呼びかけるのに、人間の
心のこもった言葉以外で何が出来る
というのかという点について、私は
今一度かいてみたいのだ。

 ただいたずらに自分を高みにおく者を
僕は信じない。人間というものの真性を、
等しくみんなが理解するためにも、言葉
というもののやさしさ、深さを極めることは
大事だと思っている。やさしさというものは
極めてゆけば強さにつながる。しかも、
その強さは、人間の心の内奥をつつむもの
であると僕は思っている。
 このつよさを獲得するために、人は
さまざまな道のりを経てゆかなければ
ならない。どこをどう点検しても、つよさに
つながらない道を歩かせられる場合も
あるのだ。しかし、その道を歩く時間も、
永遠という神の眼からみれば瞬間に
すぎない。君の道筋も、永遠につながって
ゆくものだ。

 人間界は、神界に到るまで顕われの
世界だ。そのあらわれは、人の心が
つくってゆくものだということを理解
できれば、この世の争いもなくなって
ゆくのだがと思う。おもいだけでは
この世はよくならない。おもいを祈りに
高め、祈りを光にかえて、僕等の本心の
なかに光体をかがやかすことこそ、今、
つとめるべきではないか。今この時期
だからこそ、一人一人の光をつよめて
ゆこうではないか。祈りのなかに僕は
いる。世界人類が平和でありますように
という祈(の)り言のなかに、僕は
いるのだ。五井先生は遠くにいるのでは
ない。ここにいるんだよ。一人一人の
なかに、君達のなかにいるんだよ。

 自在身のよろこびと、それゆえの切なさとを、
今、僕はしみじみと味わっている。しかし、
真理の光─神の愛はこんなことでいささかも
ゆらぐことはないのだよ。僕は白光を
愛している。白光につながっている同志の
一人一人を愛している。しかし、僕の念願は、
その君達の祈りを結集して、真の人間の
進化にむけてのそなえを一日も早く
成し遂げたいということだ。

 神界の光を、今地上に放射して、肉体を
持ったまま霊人になってゆくという、今は
そのはじまりの時なのだよ。人間という
ものの奥深さ、光の朗らかさを、祈りの
なかで覚えて欲しい。それは元々、我々
人間のなかにあるものだ。君のなかにも
あるのだよ。(疑ってはいけない)
 人のおもいを澄ませていれば、その時、
人は自然に光になってゆく。光という
ものは、闇を照らして心と心を結ぶものだ。
 そしてその心は、僕にも通じているのだよ。

 この頃僕は、人生の真実ということを
考えている。真実に人生(天命)を走り抜く
ということは、人の力だけではできること
ではない。その背後に、守護霊、守護神が
あり、神の愛があり、ゆるしとみちびきが
あって、はじめて走りとおせるのだ。
 けれど、ここで僕は、へんに宗教の話を
したくはない。人生の真実を完うしよう
とおもえば、やはりやさしさなのだよ。
 どれだけのやさしさを人から受け、
より以上に人に返してゆくかという
ことなのだ。宗教などという面倒な言葉より、
ただ、あたたかい、やさしい雰囲気を持った人
として生きてくれる方が、僕ははるかに
うれしい。宗教にもとらわれずにいてくれ給え。
 世界平和の祈りは、そして僕は、そうした
君の助けをしてゆくわけだけれども。

 やさしさというものは、人の痛みを
覚えているとやさしくできるものだよ。
 相手に身をおくということだ。僕は
それをずっとやってきた。地上での六十余年は
その連続だった。そして、今もそうしている。
 やさしさの極みは神の愛だ。しかし、
神の愛を仰ぐ僕らのやさしさを目ざす旅は、
これでいいということがない。お互いに、
自己の本心をかがやかそうではないか。

 僕が今、寂しさの中にいることを、君は
承知してくれていることとおもう。この
寂しさも、真理の前に一瞬にすぎるもの
だとはおもう。しかし、寂しい。それは
僕が認められないからではなく、人が
神の愛のなかに素直に溶け入るため
には、どれほどの時をついやさなければ
ならないのかということを観じ切った上での
寂しさだ。こんなことを書くと、君は
困るだろうか?

 僕が神界に帰って、より人間らしく、
生き生きと、人のこころを持って生きて
いることを、僕は伝えたくて
たまらないのだよ。僕だけではない。
 人はみな、こんな風に生きているものだ
ということを伝えてゆきたいのだ。そうする
ことで、みんな本当の意味での安心を
得られるのではないか。五井先生だから
できているのではないのだよ。君も僕と
おなじなのだよ。すなおであって欲しい。
 よろこびにも悲しみにもすなおであって
欲しい。僕に遠慮する必要はない。背のびを
する必要もない。神様にかっこうをつける
必要はないのだからね。

 言葉は言霊だ。光がとびかっているのだ。
 言葉に光をやどすのではなく、元々光が
言葉になっているのだよ。又追伸をかくかも
知れないが、とりあえず、この短信を
おくることにする。ほがらかに生きて
くれ給え。
            昌 久