わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

無も空もない 自由自在身へ

2012-05-08 10:19:11 | 癒し
      114 無と空を越えるもの

 無になるための修行とか、空になるための修行
とか、よくそういう言葉をききます。

 では、何のために無になり空になるのか
といいますと、それは、神のみこころを、みこころ
として、この身に心に受けるためなのであります。
 受ける用意をするためなのであります。

 この世を現し世といい、人の身を現し身と
いいますのも、ひとつづきにつづいている
あの世(この世もあの世もないのですが)の
相(すがた)を映すということでしてね、あるいは
人間本来の真実の相を現す、肉の身にかがみ
のようにうつすというので、現し身というので
ありますが、これが、人間の業想念主導のように
なってしまっている、現世では中々大変な
ことなんです。

 まっすぐにみこころ、神様の愛をおろそう
とすると、とても肉体が苦しむ、悩む。業想念が
主人だと思っちゃってるから、それを払うのは
なかなか大変なわけなんです。

 で、そのままですと、いつまでたっても本当の
人間の相があらわれてこないし、あらわれても
あらわれ方が弱いので、どうしようかと神様が色々
お考えになってね、そこで、私が神様から
消えてゆく姿で世界平和の祈り言を受けたと
こういうわけなんです。

 そこで、この話をすすめてゆくために、
もう一度最初にいいました無とか、空とか、
そういうことを目ざすことについて考えて
みますとね、何とか我々の先達がですね、
自在身、法身、光そのもののからだを
目ざして、血のにじむような努力を
したわけなんです。

 お釈迦さまもそう。キリストもそう。法然さんも
親鸞さんもみんなそうなんです。

 その努力で、時代時代の人は救われていったし、
聖賢たちは、まさしく光そのものだったわけですが、
いつの間にか無になり空になるということが、
朗らかな自在身、法身、光そのもののからだを
目ざすという大目標を横においてしまってね、無が
大目標、空が大目標になってしまったもんだから、
さあ少しでも雑念が入ると、最初からやりなおし、
でまた、無になっているだろうかとか、ああ
これじゃ駄目だとか、想念に追いかけられましてね、
日常よりも修行をしている方が、もっと苦しい
という、何が何だかわからない状態になって
きたわけです。わかりますか。

 そういう時にはクークーといびきをかいて
ねちゃった方が、よっぽど神様の中に入ることに
なるんだけどね、いやホント。

 無とか空とかいいますのはね、いのちを
生き生きと充実させる、充実している状態を
いうんです。神様のいのちとね、我々肉体人間の
いのちですね、私でしたら、五井昌久という
人間のいのちと、神のいのちが出会ってね、
かたーく握手をしまして、神様あなたのいのちと
私のいのちは本来一つでしたかとよろこぶ、
それが無から空へ突き抜けた状態でね、
そっから先になると、もうあるがまま、なすがまま、
何しろ宇宙と宇宙ですからね、のんきな
もんなんですよ。わかりますかな?

 植芝先生がね、私に初めて会って下さった時に、
「私は宇宙です」といわれたのはここなんですよ。
 人間はみんな宇宙なんだから。

 私もあなたも宇宙なんですからね。

 さあ話があんまり一足飛びになると、目を
パチクリしてる人もあるかしら。

 でもねえ、真理を語りたいんですよ。

 無とか空はね、もう一度いいますよ、最後の
ものじゃないんです。

 我々は、神様のみこころのなかに朗らかに
入ってゆくいのちそのものなんです、光そのもの
なんです。いいですか、あなた方は光なんですよ。
 こんなしょぼくれた光があるもんかなんて
思っちゃ駄目、思っちゃいけないの。それは、
肉体人間の思い込みなんです。肉体はいくら
しょぼくれてても、我々の霊体は神体は、ゆたかな
神の光を受けているんですよ。そこで
この人間の本来身、自由自在身というものを
あらわすために、神様が考えに考えて、私が
いただいた祈りが、世界平和の祈りと、
消えてゆく姿のみ教えなんです。

 すーっと、これは誰が唱えても、光の柱がそこに
たっちゃうんです。なぜかというと、もう神様の
愛念とゆるしと慈愛、人間に対する人間よ立派に
なれという悲願が結集した祈りだからなんです。

 みんな自由自在になっちゃうそういう祈りです。
 そうして悪いおもい、不幸とみえる出来事が
でてきても、それは、自在なあなたじゃない。
 過去世の人間の業なんだから、どうぞ本来の
自分にもどして下さいと辛いまま、苦しいまま、
祈りのなかに放り込んで下さいとわたくしは
いうんです。あるいは、五井先生って
よんですがって、預けりゃいいんです。

 まだまだみんな預け方が足りないんですよ、
私に何の遠慮がいるんですか、何の遠慮も
いりません。一人一人が、心のすなおなやさしい、
人の気持ちのわかる人に、なるってことが
大事なんです。そのために、私がきたんです。
 こうして私がいるんです、本当にやさしく
なるためには、瞬間瞬間に味あわされる苦しさを
苦しいと思って、すぐ五井先生に預けて下さい。
 そうすると、無も空もない、自由自在身へと、
この肉体のままで、あなた方はかがやいて
ゆくんです。

 どうぞ毎日毎日私を呼んで下さい。いいですか。

 ではどうもありがとうございました。