わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

守護霊について

2012-03-29 11:50:24 | 癒し
 私共の祈りの中にある最後に、守護霊さん
守護神さんという呼びかけがありますが、その
守護霊さんというのはどういうものか。
 よく個人相談の時にでも、あるいは講話が
終わった後にでも、「先生、私の後ろに誰がついて
いるんでしょう?」と、こういうものは、皆聞きたい
ものなんですね、それで、「あなた、おじさんが
ついていますよ」とか、「おじいさんがついて
いますよ」とか。まあ見える限り、知らせて
いい限り、私は知らせて安心してもらう
ということを言ってるわけですが。

 守護霊さんというのは、これは先祖さんの
たとえば悟った霊がつくとか何とか・・・今まで
ずっと説明をして来ましたけれども、もっと言うと、
そのつながりというものを、人間のつながり
というものは、例えば、この世の中の肉体の生命の
何十年というそんなつながりの浅さではなくて、
守護霊さんと我々のつながりというのは、実は
この世の中に出てくる以前からずっとある
訳ですね、霊界の段階からある。

 だから、生まれる前から知っている。生まれる前
からというと、こういう世界に馴染みのない人は、
じゃあ記憶のない前からかということになります
けれども。

 記憶というのは、これはずっと前生、前々生と
さかのぼって行って、つまり、我々が肉体人間に
なって修行をずっと重ねて行って、あらゆる天命
そのもの光そのものの光明体になるまでのその修行、
その途中途中で、例えばこの世の中に50回
生まれてくる人、100回生まれてくる人、
いろいろある訳ですが、その中での記憶を全部
いちいち持ってたら、人間というものは
苦しくってですね、この世の中に生きて
いられないから、それを消してゆく訳ですね。
 だけども、その中で、それぞれのかかわりの中で、
この人がついた方がいいなあ、この人をこの一生を
貫かせる為には、こういう人が守護霊さんとして
ついた方がいいなというのを、霊界の方で決めて、
そして、それが例えば、教師であるなら、
子供たちと一緒に遊べるような無邪気な、そうして
霊性も高い、そういう人の守護霊さんというものを、
そうして、関わりのある人を連れてきてそこに
付かせる訳ですね。だから、よく私が申しますが、
天才の仕事というものは、あるいは天才でなくても
秀才でも鈍才でも構いませんけれども、我々の
仕事というものは、守護霊さんに助けられて
やっているんだと。

 例えば、音楽家の仕事であっても、その
音楽家ならずっと霊視してゆけば、バッハが
ついているとかベートーヴェンがついているとか
シューベルトがついてるとかね。あるいは
滝廉太郎がついているとかね。そういう何か、
その道ですごい仕事をした人の守護霊さんが
ついているという場合もありますし。

 その守護霊さんというのは何かというと、愛念
なんですね。あなたならあなたの一生、その人なら
その人の一生というものをよく知り抜いていて、
そしてしかも、愛し抜いていて、そうして
守り抜くと。

 それは、この世の中へあなた方が出てくる
前から、そして、今度死んで肉体がなくなって
向こうの世界へ移って、向こうの霊界修行でも、
その守護霊さんというのはずっとあなた達を
守ってついてゆく。守護霊さんというのは
休息がないわけです。肉体人間というものは、
ずっと眠らずに何日か起きてらっしゃいと言えば、
一週間もすれば、人間は死んじゃいますね。
 何故かというと、霊要素というものを
眠ってる間にこっちで(こっちでと言うのは
霊界でですよ)、霊界で補給しないことには、
人間というのは生きてゆけないから、そこで
眠らせて生命をつないでゆく訳ですけれども、
守護霊さんというのは、そういう休息がないから、
その人の一挙手一投足どころか、一秒一秒
一瞬一瞬のその人の想いに付き合って、その
想いの中に、すこしでもきついものね、つまり、
やりきれないもの悲しいもの─色んな想いが
出てきた時に、それをどんな風にして消すか、
軽くするか。つまり、この世の中をただ単に
肉体だけではなくて、霊の生命もですよ、全部
含めて、どうやったら生きやすくするか
という事を四六時中考えてる。

 それはやっぱり、守護霊さんというものが
神様の愛というものを知ってて、そうしてその
愛念をよく知り抜いて、あるいは体で
うつした人だから、それが出来るんですね。
 これはやっぱり、そういうことが
わからない人が守護霊さんにつくということは
ないんです。そうでなかったら、守護霊さんの方が
潰れちゃいます。人間というのは、業の世界の中で
こうやって息して生きてる訳ですから、この業の
世界というのは、この個人の業だけじゃなくて、
地球全体の業の現われの中の一つを人間が
受け持っちゃってる様なことになってますから、
その業を、魂の訓練というか、そういう神様の
本然の愛というものを知らないものが、もし
守護霊さんとしてついたら、そっちの方が、
守護霊さんの方が潰れ死んじゃいます。そうじゃ
なくって、その業にも負けない、あるいはその業を
光に変えてゆく、光明化してゆく。それだけの力と
覚悟と色んなものが備わってる人が守護霊さんに
なる訳です。

 でも、守護霊さんになるといっても、守護霊さん
というのは、おおむね肉体人間の経験のある人が
なることが多いですから。そうしますと、むこうへ
行って、霊界に行って、霊界には様々な修行場が
あります。その修行場で又修行して、そうして
自分を透き通らせて、想いを愛深くして、それだけ
じゃなくって、誰々の守護霊につくという場合は、
その人の色々な想いを受けとっても、その人と
一緒になって悲しむ、その人と一緒になって悩む、
それだけの大きさというか深さというか、そういう
ものがなければやはり守護霊さんというものは
務(つと)まらない。

 なぜかというと、人間というものの癖を本当に
知り抜いていないと、あるいはその人
というものを知り抜いていないと、守護霊さん
というものは、とても導けるものじゃない。
 あるいは、神様の愛というものを、エネルギー
というものを、光というものを、この地上に
送るというそんな大役は出来るもんじゃない訳
なんですね。だから、それ程守護霊さん
というものは、つまり魂の大きな人。単に幽体が
大きいという訳じゃなくて、愛の大きな人。その
愛というものは、神様から流れてくる愛。それを
受けとる力の大きい人。そして、その愛を
受けとって、その愛を注ぐことが深い人。

 人って言ってますのはね、人って言わない
ことには、これは皆さんに伝わりにくいから
人って言うわけでして。大きく言いますと、
流れですね。ひびきですね。

 我々の生命というものは、何によって生かされて
ゆくかと言うと、それは神様の愛によって
生かされてゆく訳ですけれども、それを
手助けしてるのが守護霊さんで、守護霊さん
というのは、守護神さんと一緒になって、その
神様の愛の根元、愛の根元なんていうと又
わかりにくいかもわからないけれども、
その愛の元であるひびきに我々をのせてく訳です。
 あるいは、愛という流れの中にのせてって
下さる訳ですね。で、私共の会では、その
ひびきとか、神様のひびきとか、神様の流れ、
愛の流れというものに、のりやすいって
いいますかしらね、一体化する為に何が
一番いいか。ずっと私が修行させられて、そこで
受けとらせていただいたのが、世界人類が平和で
ありますように、日本が平和でありますように
という、あの祈りなんですね。そして最後に、
“守護霊さん守護神さんありがとうございます“
と言った時に、守護霊さん守護神さんというのは、
ひょっとこう、私達の本心をあるいは
霊体をですね、さあっとそのひびきの中へ
つれてって下さる。のせて下さる。そうして、
その祈り言を肉体の私が、肉体の我が唱える
と同時に、天界の神界の私も同時に唱えると、
神我一体になってると、その時には、もう
肉体の自分だけじゃなくって、天地貫いて
私というものがあって、その私というものは、
愛のひびきの中で神様と一つになってるんだ
ということなんです。そして、そのひびきを
手伝うというか、そのひびきの流れにのせて、
その光明をパーッと振りまく、一番親しく、
最後の最後までお手伝いするのが
守護霊さんですね。

 だから、守護霊の愛というものは、これは
なまなかの愛じゃない。これはもう本当に
生命がけの、生命がけのと言ったって守護霊は
死にませんけれどね。死なないけれども、
その位の覚悟の愛なんですね。しかも、肉体を
経て来ているから、人間がどれ程悩んで祈って、
もうその想いがかなえられない、願いが
かなえられない、自分はどうやって生きてったら
いいのか、家族をどうやってみてったら
いいのか・・・とかね。あるいは、商売がうまく
いかないとかね。そういう現実のことだけじゃ
なしに、精神的な面でも、自分はどうしたら
いいのかとかね。色々つき当たって悩んで、
ぶち当たって、もうどうしようかという
行き詰まりのどん詰まりのどん底の想いを
知ってる訳ですよね。知っているから、よけいに
その光をどうやったらこの人に出しやすいか。
 ひびかせやすいか。その人のことを知り抜いて
いるからこそ、守護霊というものは守ることが
できる。

 そういう守り手に我々は守られている。そうして、
光のエレベーターにのって祈ってる。その幸せを
得ている訳ですね。

 守護霊さんのことを言ってこのまま終って
しまうと、じゃあ守護神さんはどうなんだ
ということに想いがいきますでしょ。ですから、
守護神さんのことも少し言いますと、守護神さん
というのはですね。守護霊さんというのは
人間の経験があるから、人間の、我々肉体人間の
色んな想いを手にとるようにというか、
それこそわかる訳ね。一心同体になってるからね。
 その一心同体になりすぎて、疲れて、そうして、
疲れた守護霊さんのそのまた悩み苦しみね、それを
又とってくれるというか、さらに高次元の愛と光を
注ぐというかしらね。そういうものですよね。
 そうして、守護霊さんを元気にさせて、又、
人間の為に一人一人の為に働かせる。

 守護霊も守護神もいよいよ困った時にはどうする
かというと、私のところに来て、私が柏手とか
何とかでもって、ここで浄めて、ついでに、
ついでにっちゃあ悪いけども、肉体の
人間の方まで、皆さんの方まで柏手で浄めてる。
 そういう今、日常なんですね。

 神界という所は、想いが浄まってるとか何とか
皆イメージで言うけれども、やっぱり色々な
高い魂の人達がより集まって何を相談しているか
といったら、人間の進化なんですね。人間の魂が
どれ程今高まってるか。どんな所で今
止まっちゃってるか。悩んでるか。それを
見ているんです。人類世界というものを
見ているんですね。だから、どうすればいいか。
 それをどんどん下に降ろしてゆく。下に
降ろしてゆくというのは、肉体人間の想いの中に
降ろしてゆく、その降ろしていって降ろして
いって降ろしていった先っていうのは、
肉体人間の子供から大人、老人に至るまで皆が
唱えられる祈りといったら、世界平和の祈り
だから、これを昇ってゆく時に何の苦もなく
といったらあれだけれども、多少の日常の
苦しみはあっても、魂そのものは非常に昇って
ゆける。高いところまでくることができる。
 スイッチを切りかえて、霊体そのものが、細胞
一つ一つまで喜びが満ちあふれることができる。
 そういう祈りでもって救済してゆく以外に
ない。そういう時代に今立ち至っている訳です。

 だから神界というのはね、非常に全部が調和
している世界であると同時に、まだ調和して
いない世界のことを見て、検討してですね、
そうして、そこに誰をもってったらいいか。
 平和が完全に完成する為には何が足りないか、
誰が行けばいいか、誰をどうすればいいか
ということを常に考えている。そういう
世界な訳です。そこで、守護霊さんも
守護神さんも、神界の高次元なそういうものを
想いをうけてですね、そうして、愛情という
ものね、愛というものと平和というものが
完成に向かってゆく為に、一歩でも二歩でも
ゆく為に、皆休みなく働いている訳ですね。

 だけども、そういうことを抜きにしても
というか、そういうことは忘れてもらっても
いいけれども、取り敢えずとも角も、
守護霊さんというものは、本当に人間よりも
人間らしくといったらあれだけれども、皆の
生命が生き生きする為にどうすればいいか
という事を休まずに働いている。いよいよ
駄目になったら、私の所にやってくるけれども。
 しかし、人間を愛する、心配する、その為に
悩む。その想いというものは本当に深い。その
祈りも深い。そういうことを心に留めて、
守護霊さん守護神さんありがとうございます、
というあの言葉を出して下さると、
倍にも二倍にも光が注がれてゆく訳です。
 その時に、自分の中の本体が輝いて
くるわけです。
            昭和63年5月5日
               五井昌久