わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

さやけき生命(続き 2)

2011-09-21 12:38:20 | 癒し
 光というものは、どんなにでも
働くんですね。神様は光の元の元です。
 神様というのは、どんなふうにでも人に
現われて来る。その現われて来る時は、
いい現われかたばかりではないんです。
 非常に手の込んだ、もって廻った現われ
かたもあるのです。悪役も一人や二人
置いといて、喧嘩をさせたり、色んなこと
させたりして、神様が何故こんなことまで
されるのか?というような体験をさせて、
人間の出来をもっと上にあげようとする。
 だから光によって全部ワーッと良くなる
かというと、そうでもないんですよね。
 それは御利益信仰と同じことになる。

 ですから、ごほうび上げますよと言わ
れたら、その通りのものがポンと来ると
皆思ってしまうでしょうが、その人は
何十生何百生何千生かけてやって来た、
いろんなことがあるわけですね。
 いいこともあるし、悪いこともあるし、
過(あやま)ちもある。それらが混合
されて、生命の糸をつむぐように、今
色んなことに現われて来ている訳でしょう。
 その中で人間が、消えてゆく姿の中で、
ただ一つの光の自分を見つけていく
ためには、ものすごい苦労が要るわけ
ですよね。だから、要らないものはもう
けっこうですと、もう辛いことはけっこう
ですと言いたくなる。みんな言いたくなる。

 ところが、その人の前生に借金がまだ
払っていないものは残っているんですね。
 四次元の光が降ろされ、世界的にも個々人
にもいい方向へ行くんですが、ただその人が
固有に自分で消さないといけないものは、
やはり皆、それぞれに持っているわけで、
その分だけはなんか苦労がまだあるなぁー
という感じなんですね。
 
 しかし、神様は平等だから、絶対に
皆んなを幸せにするんです。だからそこに
信を置けば、どんなものが来ようと、たとえ
自分が八つ裂きにされようと、そこで
「ありがとうございます。」と言って
死ねるんですが、そういうわけにはゆかない
のが人間ですね。何でこんなものが自分の
ところへ来るんだろうと、御神水も飲んでるし、
富士にも行ってるし、いっぱい愛行やっている
のに、色んな活動もやっているのに何故なんだ
と。これは、御利益信仰になってきたら、
うちの信仰はだめだ。