わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

短 信(三十)

2011-09-18 09:13:59 | 癒し
 祈りの生活のなかでどういうことに
気をつければよいかという、御手紙の
御趣旨かとおもいます。
 祈りというものは、私達を自由に
するものであります。本来、肉体ではなく、
光そのものである人間の自由自在身である
ことをしらせてくれるもの、それが祈り
であります。つまりは、すべての
とらわれから離れ、また放たれる
のであります。
 祈っている私達は、実は祈らせて
いただいているのであります。
 神様が、守護霊守護神が、私達が
眠っている間にも、一瞬もやすむことなく
守りつづけて下さっているように、
私どもの本心本体は、ずっとずっと
祈っている。祈らずにはいられない。
 祈りを生命としているもの、それが、
人間であります。私ども一人一人
なのであります。
 ところで、先程申しましたように、
祈りは、私どもを自在身にいたらせる
すこやかな光そのものでありますので、
祈って参りますうちに、祈っている
ことをも意識しない、朗らかな自分自身に
出合うことになるのであります。
 朝の九時と午後の三時、それに夜の九時が
お祈りの時間だからと申しましても、日常の
なかで、どうしても出かけなければならない
とか、人がたずねてきて、統一のテープが
かけられなかったとか、さまざまなことが
起きるのが当然でありまして、そうした時に、
祈りの時間が守れなかったと思ってイライラ
したり、クヨクヨしたりするのは間違い
なのであります。
 実際、あなたが祈れない時には、守護霊
守護神が祈っているのでありますし、
守護霊守護神が辛い時には、これまで
申して参りましたように、私が祈っている
のであります。
 現実生活というものを、馬鹿にしては
なりません。大切なその場にその人が
いなければみんなが困るという場を
放たらかしにして、統一会に
かけつけるなどは、本末転倒であります。
 こういうかたよった、人の立場、また
自分の立場をかえりみないやり方で、
祈りに没入し、宗教に没入することは、
断じて間違っているのであります。人を
犠牲にした上での祈りは、光を放つ筈が
ありません。
 祈りは、神のみこころであります。人間を
愛し、人類の進化と、宇宙の大調和とを
実現させるという深い神のみこころが、
世界平和の祈りのなかにはこめられて
おります。否、このみこころそのもの
なのであります。
 どうぞ、寛やかな、ゆたかな心で、祈りを
なさって下さいますように、神の愛、神の
こころは、森羅万象のなかにみちみちている
のであります。
 素直に、のびやかに広く広く、いのちを
生きて下さいますように。
               合 掌
                 昌 久