僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

荻村伊智朗(おぎむらいちろう)

2009-11-25 16:23:07 | Weblog



荻村伊智朗氏は、
「卓球はチェスをしながら短距離走をするようなスポーツだ」と語りました。

目指すは最速最強の卓球。5秒間に7動作以上を自らに課し、3キロに及ぶうさぎ跳びが日課。食事する時間をも惜しみ、ポケットに入れたパンをかじりながら練習しました。

彼は、都立西高校の時から卓球を始め、世界チャンピオンとなったのです。
世界選手権で12回の優勝、アジア選手権で8回、日本選手権で11回の優勝を誇ります。
現役時代からコーチを兼任し、世界チャンピオンを10人以上も育て、優勝請負人としての手腕も発揮しました。

荻村は、当時の中国の首相・周恩来に請われ、中国各地で卓球を教えて回りました。選手だけでなく、指導者にも技術と練習法を教えました。やがて、中国は日本と並ぶほど力をつけていきました。その後もスウェーデン、ドイツ、サウジアラビアと世界中に卓球の素晴らしさ、技術の礎を広めていったのでした。

エピソード

海外での試合は完全なアウェー。第二次世界大戦の憎しみがぶつけられました。日本選手がミスをすれば、喜んで手を叩き、床を踏み鳴らす。レシーブのタイミングに合わせて爆竹を鳴らす等散々でした。

「スポーツは国と国を、人と人を結びつけるはず」

そんな思いが世界に通じるときが来ます。

1955年、オランダでの世界大会。会場は完全なアウェー状態。ラリーの途中、相手選手にアクシデントが起こったのです。フェンスに足を取られ日本ベンチに倒れ込んで来ました。

そのとき荻村はとっさに自分の体を投げ出し、相手選手の下へ。荻村の体がクッションとなり相手選手は無事でした。

そのとき、一瞬の静寂の後

会場から拍手が沸き起こりました。それは、荻村をはじめとする日本選手に送られたものでした。

その後、荻村は当時の首相鳩山一郎に呼ばれ、「素晴らしいことをやってくれました。大使館への投石がなくなったんだよ」と賞賛のことばをいただきました。

荻村の行動は素晴らしいスポーツマンシップとして世界から評価され、ひどかった反日感情はなくなっていきました。



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