太宰治という作家は、パビナールという鎮痛剤やモルヒネという薬物の常習者で、酒も浴びるほど飲む退廃的な人物だったのですが
非常に女性にもてて、夫人のほかに愛人が何人もいたことは周知のことと思います。
彼の太田静子宛てに書かれた書簡も、女性には惹きつけられる名文だったに違いありません。
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拝復いつも思つてゐます。ナンテ、へんだけど、でも、いつも思つてゐました。正直に言はうと思ひます。
おかあさんが無くなつたさうで、お苦しい事と存じます。
いま日本で、仕合せな人は、誰もありませんが、でも、もう少し、何かなつかしい事が無いものかしら。私は二度罹災といふものを体験しました。三鷹はバクダンで、私は首までうまりました。それから甲府へ行つたら、こんどは焼けました。
青森は寒くて、それに、何だかイヤに窮屈で、困つてゐます。恋愛でも仕様かと思つて、或る人を、ひそかに思つてゐたら、十日ばかり経つうちに、ちつとも恋ひしくなくなつて困りました。
旅行の出来ないのは、いちばん困ります。
僕はタバコを一万円ちかく買つて、一文無しになりました。一ばんおいしいタバコを十個だけ、けふ、押入れの棚にかくしました。
一ばんいいひととして、ひつそり命がけで生きてゐて下さい。
(昭和21年1月11日)