乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『Karako・鍵考古学ミュージアム』【Karako・鍵遺跡の記号土器】 (写真7枚) 奈良

2009-11-24 | 美術・文様・展示物





 龍の記号の土器。龍記号はS字が基本だという。



 文様へ変化した龍の土器



 竹の管を切って押し付けた◯の記号のついた土器



 横線に縦線をつけた記号の土器



 連続の記号の描かれた土器



 連続の記号の描かれた土器



 曲線の記号が描かれた土器




 

 先日奈良のTawaramotoにある『Karako・鍵考古学ミュージアム』に行った。

 きれいだ。理屈抜きで、きれいだ!

 まじかで見ることのできるKarako・鍵遺跡(Tawaramoto町、紀元前3世紀~紀元4世紀)から出土した土器約130点は迫力があり、圧倒される。

 秋の企画展『弥生グ◯フティー』のことである。

 いわゆる【Karako・鍵遺跡の記号土器】


 うむ?記号?


 フィールドワークの先生の説明の説明を受けるほどに、その期待は確かなものになった。

 直線や曲線などの記号が刻まれた壷を展示されたこれらを『記号土器』というらしい。

 複数の記号を横に並べたり、複雑に組み合わせ、繰り返したり,◯(まる)のかずによって文字のように使われていた可能性がある通し得ていただいた。


 弥生時代の記号の話が鹿から始まった。

 元は鹿の文様を描き、後に簡略化されてL字方のように変化した。


 記号は鹿だけではなく、わたくしの好きな竜もあった。

 竜の記号は基本的にはS字で表したという。

 こちらは鹿とは逆に竜を描いた複雑な絵画を省略したとみられる記号の土器から文様へ変化した竜の壷があった。

 これは三段階の変化を遂げたことになるのだろうか。

 S字を考えると龍よりも古い字の竜がふさわしいと思い、今回はあえてこちらを使うことにした。


 先生は記号のついた壷について、次のようにおっしゃった。

     1、 制作者がわかるように記号をつけた

     2、 呪い的要素。これは祭や呪術などに使われたのだと考えるが、確信は持てない。

 1の【制作者がわかるように記号をつけた】においては後の城づくりの石垣の各石につけた記号などにもみられる事を思い出す。

 2の祭り事は水にかかわる一環として壷が添えられた。

 先日講演で拝聴したK上先生のお話によると、飛鳥京の苑地から出土したという土馬は雨乞いの生け贄の身代わり簡略化だったという。

 ではこういった壷はどのように使用されたのだろうか?

 そこまでの説明は無かったのでわたくしにはわからないが、弥生時代といい飛鳥時代といい歌舞伎の『鳴神』といい、昔は今以上に雨水は大切であったのだろう。


 記号のついた土器の話に戻ろう。

 記号のつけられた壷は美しいものが多く、私は夢中になった。

 だが,生憎団体行動で存分には見ることができない。

 後日みたいと思ってはいたが、秋期企画展は11月23日までであった。

 口惜しい。

 奈良でこのような美しい壷が観られることとは知らなかった。

 もう一度記号のついた土器を見たいと思い、写真を整理し,ミュージアムで頂戴したパンフレットの記号の壷を写された写真の数々を見て楽しむことにした。

 
 いただいたパンフレットには多くの壷が記載され、見ていて飽きない編集。

 このような非常に質の良いガイドブックをいただきながら、実は団体料金250円のみであったことに驚くばかりである。

 
 館内は撮影可能。だが、一応念のため係員に許可を得る。

 これといった注意は無かったが、常識的にフラッシュなしで撮影させていただいた。

 ぼやけたり蛍光灯が壷に反射したものもあるが、写真の初心者にも至らないわたしですので、お許しいただければ幸いです。


 みなさま、最後までお読みいただきましてありがとうございました。

 名詞などに使用しておりますローマ字などは、後日漢字に変更する場合があります。

  


 『Karako・鍵考古学ミュージアム』

      午前9時~午後5時。月曜休館。

      常設展との共通券は大人300円、高校大学生は150円、中学生以下は無料。
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歌舞伎ですか。『傾城反魂香』の「おとく」ですか。

2009-11-23 | 舞台・音楽 雑感メモ
   

 何気なくテレビニュースをつけていると、鳩山由起夫総理大臣。

『傾城反魂香』に行かれたという。

 画面には、歌舞伎の舞台も写る。

『傾城反魂香』といえばわたしの好きな演目のひとつ。


 総理大臣は
「女房はおとくで、私は浮世又平です。女房はしっかりもので、私は・・・。」(要約)
などとおっしゃっていらした。


 おとくファンはここにもいるからね。言っときますけど政治云々の話じゃないんだよ。

 でもね・・・。

『おとく、ねぇ。』
と、わたくしの内心は複雑。

『おとく。おとく、ねぇ。』

『おとく、浮世又平、ねぇ・・・。』


 私は中村芝翫丈や秀太郎丈のおとくが好きだが、今宵のわたくしは藤十郎丈×吉右衛門丈で観てみたい!!

 歌舞伎、歌舞伎かぇ。庶民だって歌舞伎が観とぅごじゃりまする!!

   

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「行ってきます。」

2009-11-23 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

(写真はネムルートの朝日で。息子とトルコ人のガイド。)


 別れとは寂しいもの。

 連休を利用して帰宅していた子どもが、家を去った。

 卒業後自立した彼は、社宅へと帰っていったのだ。


「行ってきます。」
と去る息子。

「また帰っておいで。」
と言う夫。

 駅まで送るを口実に、子と別れの間際まで たわいない話を続けていた。


「行ってきます。」
か・・・。

 親離れした息子と、子離れできないわたしたち夫婦。

 親孝行な子を思うと、寂寥感がこみ上げてくる。



 
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140; 『お能の見方』 白洲正子 著  吉越立雄 写真  新潮社 とんぼの本

2009-11-23 | 観世流(続)百番集、日本古典文学大系(謡曲)、能楽関係本



(写真は『東北』   2008年)




記録だけ  


2009年度 140冊目  



  『お能の見方』 

 

 白洲 正子 著

 吉越 立雄 写真

 新潮社

 とんぼの本

 1993年7月20日 第1版

 2008年8月25日 改正版 

 P.127 1400円(+税)



 先日から能楽関係の本二册と忠臣蔵関係本と民族学関係の本2册とイラン旅行の手引きを同時進行で楽しんでいた。

 そして、『お能の見方』を本日読了。

 能楽関係本は『お能の見方』と村上湛(たたう)著の『能の見どころ』を併読していたが、この二冊は一見、面白いくらいに正反対の要素を示している。

 だが、読み進むうちに『お能の見方』も多々厳しい口調渡河する部分あり。

 両本ともに能楽に関してプロ中のプロの目で書かれた秀作。



 能面を仮面,能楽を仮面劇としてとらえた上で 能楽が芸術性をもって発展した部分から始まる本書は、民族学に少し興味のあるわたしにはたまらなく面白く感じる。



『お能の見方』はなによりも写真が幻想的で美しい。

 能楽そのものが好きになるような本。

 白洲正子さんの能楽を楽しむにあたっての心構えなどは初心者にはたいへんありがたい。

 能楽が好きと思う気持ちのチェックに、わたしはほとんど当てはまっていた。


 曲の説明も初心者に対しての思いやりがあり、わかりやすい。

 読み進むほどに、聴きたくなるものが多い。



 室町時代の観衆が能に求めたナルシズムの話(P.108)や故・武智鉄二さんのスト◯ップ能『羽衣』から仮面劇の芸術性まで発展させて記され(P.117)、当時の能楽本来の姿を垣間みることができた。



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言うもおろかな・・・。

2009-11-22 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 (写真はヤズドの沈黙の塔。 イラン)



 昨日、下の子が帰ってきた。

 二日間の夕食メニューは何がいいかとを楽し見にしていた夫。

 だが、今日は京都に出かけてしまった。

 友人たちと出身校の学園祭に行くという。

 お笑いコンサートもあるというが、屋外か?

 霜月の雨が憎らしい。


 上の子は離島の旅。

 竹富や西表などに行くという。

 わたしはこの季節に離島に行ったことが無いが、楽しんでいるのだろうか。

 蝶の楽園 竹富や貸し切りビーチのように人気の無かった西表は美しかった。

 だが、わたしは学生時代から考えて齢を重ねた今、もう一度喜界島を見てみたい。

 機織りの音と人の心が美しい喜界島。


 本日 11月22日。 

 あと一週間もすると師走だと思うと、何かにつけ 気ぜわしい。

 夫が書斎で仕事をしている間、わたしは大掃除と料理遊びと読書で時間をつぶしていた。

 言うもおろかな一日が過ぎ行く・・・。

 言うもおろかな一日が今日も過ぎ行く・・・。

 言うも おろかな・・・・・・。


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『枕草子』の講義を今回はたった三コマだけ。意味なきミーハーな記録。

2009-11-22 | 乱鳥徒然 Rancho's room.


 昨日、清少納言の『枕草子』の授業を終えた。

 たった三コマ、四時間半の超急ぎ足の講義内容自体は充実。

 今回はほんの一部をかじっただけだが、この年になって再び清少納言の性格に触れるとは。

 面白いやら疲れるやら・・・。

 こういう女性の性格は男性から見ればかわいいのだろうか。

 これ以上ここで記録するのはやめよう。

 AHAHA!清少納言か・・・。

 何書きたいのかわからない記録でした。
 
 
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大阪と奈良をつなぐ江戸時代に栄えた船着き場跡  『Imazatoの浜』(写真3枚)

2009-11-22 | お出かけ
           
              Imazatoの浜




 (A)



 おそらく大和川と交わる方向。

 こちらをたどると、大阪・・・。



 寺やHozu環濠集落やHirano氏陣屋跡や他多くのTWARAMOTOの集落とつながる方向。






 江戸時代 、大和川を川船が往来した。

 Imazatoの浜は当時の船着き場。

 大阪からは

     油粕・干鰯などの金肥、塩、雑貨
が上がり、大和からは

     農産物、特産物
が下っていったと教えていただいた。

 Imazatoの浜は、Tawaramotoの荷物を主に扱った船着き場で、かなり栄えたらしい。

 だが、明治には鉄道が敷設され、物資の輸送形態が船から鉄道の変わる。

 Imazatoの船着き場も衰退の一途を辿り、今はひっそりと写真のような説明ボード(A)がたてられている。

 
 Imazatoの浜に近くには杵築神社の蛇巻きを見ることができる。

 先日記録したのがそれである。

 蛇巻きについての記録はTBしておきたい。

 
 最後までおつきあい下さいまして、ありがとうございました。

 心より御礼申し上げます。

 地名などにローマ字を使用しています。
 
 後日偏向する場合もありますが、あしからずご了承下さいませ。

 

                      奈良県磯城郡Tawaramoto町大字Imazato

                      2009年11月中旬




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道切りの好きな私はIMAZATOで『KAGI蛇巻』を見て感動  奈良(写真4枚)

2009-11-21 | 民俗考・伝承・講演









 11月20日。

 某フィールドワークに参加させていただいた。

 奈良TAWARAMOTO町のIMAZATOという地で、『KAGI蛇巻』を見た。

 いわゆる道切りの一種である。

 蛇巻は矢田寺のあたるでも見たことがあるが、こんなに大きな長い物は初めて。

 何のことは無い、わたしは境界につくられた道きりや地蔵様や道祖神などが好きなのである。

 道祖神においては、わたくしは民博(大阪民族博物館)でしか出会ったことが無い。

 いずれ東北などに行った際、気をつけてみておきたい。

 IMAZATOの蛇巻の300mほど離れた所に杵築神社がある。

 杵築神社にも蛇巻があるという。

 道切り類の好きな私は、もう一度ゆっくり二つの蛇巻きを見に行こうと思う。



   
       IMAZATOの KAGI蛇巻


 農作物の豊作を祈るとともに男の子の成人を祝う節句行事である。 

 毎年六月の第一日曜日(旧暦のときは五月五日の男の節句の日)に、蛇の形をした長さ十八mの蛇綱を新麦わらで作り、十三才から十五才の男の子が蛇綱の頭を担ぎ、それより年下の男の子と、頭屋の男たちが胴を持って、村中の家々を大声で「おめでとう」と言って、祝福して回る。

 その道中で、雌雄の区別なく、蛇綱で人を巻き込んだりする。

 昭和五十八年に、隣ムラの鍵の蛇巻ともに「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として、文化庁より指定されている。


                TAWARAMOTO 蛇巻近くの案内板より




 以前わたくしが出会った蛇巻き風の道切りの記録は、TB しておきたいと思います。

 今回ローマ字で記入しました地名などは、後日 漢字に直すことも考えられます。


                    奈良TAWARAMOTO IMAZATO (IMAZATO浜の近く)

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☆ありがとう☆

2009-11-20 | お出かけ

           

           みなさま

           いつもあたたかく見守って下さいまして、

           ありがとうございます。



           写真は11月3日に大阪八尾の高安で見た景色です。

           とても美しいと感じた景色でした。

           みなさまにお見せしたくって・・・☆

           ありがとうのことばと一緒に送りたいと思います。




                    ☆ありがとう☆

                            Rancho

             


     
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☆お誕生日 おめでとうございます☆

2009-11-20 | 乱鳥徒然 Rancho's room.
 



               しし様へ



                 ☆お誕生日 おめでとうございます☆

                 これからの一年も素晴らしい年となりますように☆





                                      
                                       Rancho

           

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夕日

2009-11-19 | お出かけ
















    夕日



 こんな景色を見た

 大阪の町に沈む夕日

 静かな時の流れに抱かれて

 緑深き八尾の地から

 静寂な空を眺めていた



 

               2009年11月3日
                  しおんじやま芝能の帰りに


 
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『与謝野町立古墳公園はにわ資料館』丹後地方の特徴的な埴輪『丹後型円筒埴輪』

2009-11-19 | 美術・文様・展示物





 (写真は鳥形の埴輪。鳥は鳩のようにも見えるがどうなのだろう。儀式に使われたのだろうか・・・。わたしにはわからない。

  嬉しいのはこの埴輪の形。わたしはこれに似た遺物を,イランの複数の博物館で観た。ただし、鳥の体部下部分(多分土に埋め込む部分かな?)は、無かった。    )




 (最左は展示されていた『丹後型円筒埴輪』にひとつ。  )






          『与謝野町立古墳公園はにわ資料館』



 先日と言ってもずいぶん前のことだが、『与謝野町立古墳公園はにわ資料館』に行った。『与謝野町立古墳公園はにわ資料館』の半径2キロ以内には、

     コンビニは  件

     病院・医院 8件

     ホテル 1件

     飲食店 2件
という、のどかで美しい環境下にある。


 ここには特徴的な埴輪があると、ボランティアの方が説明して下さった。

 網野銚子山古墳で出土したという丹後型円筒埴輪である。

 丹後型円筒埴輪は写真のように、上が丸くなっている。

 この形は丹後だけに見られる丹後地方の埴輪と言う。

 しかしながら わたしは埴輪のことを全く知らないので、これが珍しい物かどうかは ご説明いただくかもしくは説明を読まねばわからない。


 話は変わるが、『与謝野町立古墳公園はにわ資料館』館内の展示物は復元品が多いとお聞きした。

 完成度の高い復元品だとのことだ。

 復元にあたっては並々ならぬ努力と知識が必要なのだろう。

 難しい物だとつくづく感じた。

 




  古墳公園・はにわ資料館

午前9時~午後5時
休園日
・3~11月:毎週月曜日(月曜が休日の場合その翌日)
・12~2月:毎週月火曜日
・年末年始
入園入館料
・一般:300円(団体:200円)
・小中学生:150円(団体:100円)
・学齢未満の方:無料
※団体は8名以上
所在地
〒629-2411 与謝野町字明石2341
交通手段
<公共交通機関をご利用の場合>
北近畿タンゴ鉄道(KTR)宮津線「野田川駅」下車、加悦フェローラインバスSL広場行き「算所」下車、徒歩東へ15分
<お車をご利用の場合>
舞鶴自動車道「福知山IC」より国道9号~国道175号~国道176号



 今回は記録のみにて失礼申し上げます。

 最後までおつきあい下さいまして、ありがとうございました。



 
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飛鳥の苑池から出土した『土馬』そして、絵馬の起源を探る。   (絵馬の起源2)

2009-11-19 | 民俗考・伝承・講演
 
   



 以前からこのブログで何度か絵馬については取り上げている。

 橿原の今井町にある絵馬の数の多さに驚き、絵馬の起源についてわかる範囲で絵馬の起源を調べたことがある。


    今井町;春日神社の大型絵馬 3  絵馬(写真2枚) 奈良県橿原市
                            2009-05-04 | 奈良千鳥足

 橿原市今井町の春日神社内にある大型絵馬の全体のごく一部を写した写真です。

 絵馬は字の通り、馬の絵を描いたものが多くあります。

 馬の絵はこの成長を願っておさめられたようです。


 絵馬そのものの歴史は古いとのこと。

 もとは生馬を神に献じていたことに由来。

 生馬は奈良時代に馬をかたどった木馬や陶馬に変わり、また平安時代には板立馬となる。

 簡略化された形が現在のような絵馬になったらしい。


 絵馬の奉納が盛んになったのは室町時代の末。

 題材も馬だけではなく、武者絵、歌仙絵なども姿を現す。

 大型絵馬となって残っている中には、歴史や話などを表すものもみられる。

 これは大型絵馬1、2でも記録させていただいた通り。


 大型絵馬が多く奉納されていると、その土地の氏子の豊かな生活を想像する、

 実際に、豊かな暮らしを営んでいた、

 橿原の今井町は江戸時代には武士などにお金を貸したという 今村家などの屋敷が今も残されている。

 河原には巾着の方をかたどった柄。

 屋敷の表には馬つなぎの様子なども見られる。


 ここ今井町は江戸のにおいが細やかなところに残り、歩いていて見飽きることはない。

 そういった独特の美しい町の一角に、立派な大型絵馬が数多く残されているのは、納得のいくことである。

   


 上を読み返すと、今井町の神社で大量の絵馬を見つけた当時の気持ちが思い出される。


 話はとぶがつい先日のこと。

 わたくしはKN先生のお話を聴拝した。

 テーマは『飛鳥の苑池』について。


 飛鳥京苑池については論理的に環境を求め、話は進められる。

 苑池は中国に対しての禁苑といった立場から話された。

 苑池についてはなされた内容はノートにとってはいるが、ここでは割愛させていただきたい。

 今回はK先生の飛鳥の苑池のお話の中で出てきた馬から発展させられた絵馬に関する内容にとどめることにした。


 苑池は北の池と南の池に分かれていたという。

 南の苑池は基本的に景色を楽しむためだったであろうと先生はおっしゃっていた。

 また北の池からは大量の木簡が出土したという。

 この木簡が出たところはヘドロ状になっており、現在の都市問題を流水を持って解決したとのと。

 
 流水によっての処理。

 考えられるのは

    し尿処理

    ゴミ(役所)

    飛鳥の夏の暑さの澱みを流水を持って解決

    防火

    打ち水効果

などらしい。

 石舞台古墳付近から飛鳥宮跡に向かって水路の跡がある。

 水路跡、すなわち溝の水は 宮人のし尿を流し塵芥や不要品を流したということか。

 石舞台古墳(宮)のゴミなどは北西の苑池の北池に流れ込む。

 上澄みだけが飛鳥川に環流。

 ゴミ(役所)で不要になった木簡などを流して捨てたと言うことを考えると、先人の知恵の深さに感心する。


 そういった近代感覚と秩序を持っていたであろう飛鳥。

 この飛鳥の水源とした石舞台古墳の西方向の池跡。

 そこには飛鳥の水源の井戸があり 井戸付近の溝から『土馬』が出土。

 上のようすをパソコンを通じて拝見した。

 土から顔を見せた『土馬』の色合いは重厚であり、美しい姿を横たえていた。


『土馬』

 なんと言う美しい響き。

 この『土馬』には雨乞い祈願や呪術的要素が含まれているという。


 K先生は次のようにおっしゃった。


 中国南部では 祈雨に際し、天帝に牛を献げたという。

 牛は池に沈められ、浮かび上がり泳ぐと、また沈めたという。

 漢字の『沈』。

『水(サンズイ編)』に『ウマ』と書いて『沈』という文字になったそうである。


 所変わって中国の北部になると牛では無く馬文化となる。

 馬の数が多く、北部では牛に変わって馬を沈められたという。


 日本では中国北部の習慣が伝わり、雨乞い祈願のために馬を沈めたという。

 しかしながら実際に生きた馬を池に沈めるのはたいへん費用もかさみ、次第に生け贄の形は変化を遂げる。


 日本では飛鳥時代中期から後期『木馬』(木製)出会ったが、気を彫るのはたいへん時間がかかると言う理由で、『土馬』(土製)に変わる。

 だが、『土馬』もたいへんだと言うことで、木の板に馬を描いた『絵馬』という現在の形になったという。


 わたくしは以前奈良の楢神社で  牛を描かれた大型絵馬を見たことがある。

 この絵馬に出会った時にはY先生のおっしゃる『牛解き』にちなんだ物かと思っていたが、今回K先生のお話を聞いて、この絵馬の意味合いの真実に近づいたように感じ、喜んでいる。

 
 日本では雨乞いの形は馬にとどまらず、色々な方法をもって祈願されたと宮田登や他の多くの民族学者たちは記している。

 雨乞いや神撰にまつわる生け贄は簡素化というおなじ道を辿ると民族学者たちは言うが、今回見せていただいた飛鳥の『土馬』の姿を見てほっとしたと同時に心が和んだことも付け加えておきたい。



   
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映画『千羽鶴』 原作 川端康成 監督 吉村公三郎 木暮実千代 乙羽信子 杉村春子 清水将夫

2009-11-18 | 映画


    映画『千羽鶴』





 1953 日本 大映


 ★★★★★ ★★★★★


原作 川端康成 

監督 吉村公三郎 

脚本 新藤兼人 

キャスト

木暮実千代(太田夫人)

乙羽信子 (太田文子)

木村三津子(稲村ゆき子)

杉村春子(栗本ちか子)

清水将夫(三谷浩造)

森雅之 (三谷菊治)



 わたしは川端康成が好き。

 川端康成を読むとわかるが、多くの作品は気取りが無い繊細な愛の表現が描かれ、立原正秋に通じる。

『千羽鶴』もまさにそのような作品。


 千羽鶴を折るような細やかな心遣いで映画は始まり映画は終わる。


 稲村ゆき子の持つ千羽鶴の風呂敷は、色々な人日炉の色々な人生のドラマの展開を経て、太田文子の手にもたれる事となる。


 太田夫人、太田文子、稲村ゆき子、栗本ちか子、(亡き三谷菊治)各自が純粋に生きながら愛の十字架を背負わされる。

 悲しい切ない人生を、息子の三谷浩造は時には感情移入しながら、時間の流れのように自然で客観的に彼女たちを見つめる。


 木暮実千代とわたくしの好きな乙羽信子の親子の美しさを杉村春子が逆からぴりりと攻める。

 美しい息子役の清水将夫(?)

 茶室や日本家屋の控えめな優美も手伝って、映画は一層日本色を深める。


 何しろ原作が川端康成の『千羽鶴』と言うことだけでも満足です。

 独断を持って★は10個つけたいと思います。


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139; 『仮面の道』 C,レヴィ=ストロース 著 山口昌男・渡辺守章 訳 創造の小径

2009-11-18 | 読書全般(古典など以外の一般書)
  

   

   



(写真は京都の祇園祭で見た 綾傘鉾の面)




記録だけ  


2009年度 139冊目  



  『仮面の道』 

 

 C,レヴィ=ストロース 著

 山口 昌男
        訳
 渡辺 守章

 新潮社

 創造の小径

 1977年8月10日 発行 

 P.236 6500円(+税)



 先日2009年正倉院展で伎楽の面をいくつか見た。

 呉女や鬼や力士や馬の面は正倉院展の中でもとりわけわたしの心にしみ込んだ。

 11月12日のことである。


 度々わたくしが伺わせていただくブログに紹介されていたこともあって、『仮面の道』のことを知人に問うてみる。

 C,レヴィ=ストロース著は文体がややこしく(といっても翻訳)読みにくいかも知れないと教えていただいた。

 
 早速手にした『仮面の道』を開けると、なんと美しい。

 まずは全体の写真を何度も見て楽しむ。

 おいしいお食事を目で見て、香りを会で楽しむ風かも知れない。

 単純なわたしである@^^@


『仮面の道』はわたしが思っていた内容とは違い、北西部アメリカ先住民族の仮面の話が書かれている。

 これには、

【この地域から収集された収集品が民族博物館を出て、美術館の、古代エジプトもしくは古代ペルシャと中世ヨーロッパ部門の間に陳列される日が、遠からずやってくるに違いない。】

と、まずは芸術的視点からとらえるところが心地が良い。
 
 美しいと認めた上でC,レヴィ=ストロースは伝承や呪術的要素や伝承文芸や祭事や自然に密着した仮面を紐解いてゆく。


『仮面の道』は三日間ほどで読了。

 知人は言う。
「もう読めたのですか?」
「読めましたとも。読めたのとわかったのとは違いますから・・・。」

 
 最近読書欲が薄く、8、9月頃から130冊台で低迷しているわたし。

 楽しく読了致しました@^^@


 大阪民族博物館には色々な国の色々な面が展示されている。

   大阪民族博物館/ジャワの面記録

   大阪民族博物館記録
   

   
   
 わたしはそれらの面に魅力を感じて多くの写真を撮ったが、著者C,レヴィ=ストロースは大阪民族博物館ができた当時にこの博物館で公演されたという。

 訳をなさった山口昌男氏もこの博物館に携わっておられたと言うのだから、この博物館が充実しているのも納得するところである。

   

 今回も記録のみにて失礼申し上げます。
 




コメント (2)
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