乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

市場で『贋金』をつかまされる

2007-02-01 | 中国 2006~2019(7回)台湾、ベトナム、

   

       広州の市場で 贋金50元をつかまされる

 

 

 中国6日目。西漢南越国王博物館を楽しんだ後、広州の昼の市場に連れていただく。

 ここは観光用ではなく、中国人客用の公設市場。

 肉屋、鳥屋、魚屋、野菜屋・・・

 これらは市場の中に何軒もあり、また市場の中央に開かれていることが多い。

 店主も客も威勢がよい。

 

 肉屋や鳥屋は丸いまな板の家で、大きな肉をたたいて切っている。

 天井から吊り下げられた冷蔵庫に入れられてない、大きな肉やソーセージ、鳥が印象的。

 

 少し活気が無い店としては、埃のかかった乾物屋・・・雑貨屋は古いロープや埃のかかった洗面器などが積み上げられたような店もある。

 変わったところでは眼鏡屋。こちらも埃がかかった組の仲間入り・・・

 板のような眼鏡ケースに、出来合いの眼鏡が飾られている。

 

 おっと、出入り口の時計修理屋さんの前には客か知り合いが何人かおられた。

 この修理屋さんはまるで哲学者のような面持ちだった。

 時計のガラスケースの上に置かれたからの鳥かごが印象的。

 

 私は市場の活気と面白さにぽちぽちとシャッターを押し続けた。

 人々の表情はさまざまだ。

 笑顔で接する人、明らかに深いな感情をあらわにする人・・・

 しかしほとんどの人は、突然の訪問者の常識のないカメラなど無いものとして、無視している。

 こういった表現は、今回行った中国南部全体(佛山、賀州、桂林、広州だけ)に共通していることが多かった。

 

 時計修理屋さんとは反対側の市場のの出入り口には菓子屋やドライフルーツ店があった。

 ドライフルーツ店には金柑やレーズンがあったが、イ○ンのドライフルーツの数倍の値段を言ってくるので、購入は止めた。

 ただ、桂林で干してあった干し柿の上質なもの(1袋11個くらいで20元も)があったので購入。

 100元出して釣りの元をもらう。

 次に使おうとしたら、どの店でも断られた。

 印字の位置や模様、すかしも微妙に違う。

『やられたか・・・』

 私たち贋金をつかまされるといった、なかなか日本では経験できない経験をする。中国は面白い。家族は50元の思い出をいただいた。ただ、私たちが日本人でよかった。

 出稼ぎで中国の南部に来ておられる野菜売りや道路工事などの労働者は、中には一日5間の食事代も使えない方々も多いらしいと岩波新書複数に書かれていた。

 中には契約金どうりの賃金を、12月の決算期に支払ってもらえない人々も多いという。

 私たちも消して裕福とは言いがたいが、

『本当に私たちでよった』

と今は自分たちのと馬鹿さ加減を笑い飛ばしている。

 

 

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西漢南越国王博物館 広州

2007-02-01 | 美術・文様・展示物

 

    西漢南越国王博物館 

 

 

 中国6日目。賀州から広州に向かう。

 広州は都会だった。

 まず初めに訪れたのは、西漢南越国王博物館。

 博物館前に着くと、虎を初め色々な毛皮を売る男が、まとわり憑いてくる。

 ここも外国人観光客が多いのだろうか・・・

 

 西漢南越国王博物館地は・・・

 秦の崩壊後(およそ2200年前)に、秦始皇帝の将軍であった趙佗が南越国を建国。

 広州を都とした。

 つい最近の1983年。広州市解放北路にこの南越国2代目王の文帝の石室墓が発見される。

 実際に発見された場所がそのまま博物館となり、石室や出土品が展示されるなんて、なんて素敵なのだろう・・・

 だが、博物館の外壁の色と、中庭に造られたルーブル美術館のピラミッド型モニュメントはいただけない。

 博物館学術員或いは従業員はこのピラミッド型をえらく自慢している。

 去年春にルーブルに行ったばかりの子どもも、

「ぱくりだな・・・」

と笑っている。

 

 さてさて入り口に戻ろう。

 中に入ると、黄色の日本語パンフレットを渡される。

 他にもドイツ語、イタリア語、フランス語、英語版のパンフレットが置いてあったので、一部づついただいた。

 

 博物館学術員或いは従業員は初めに主棺のある広い部屋に連れて行き、ここの部分は流暢な日本語で説明してくれる。

 その説明は 主棺から考えて、

     妻=3000人

     西=猪、シシ、羊の骨や身分の低い人

     東=楽器演奏

     入り口=巡査15人を毒酒を飲んで死ぬ

などの後は、一通りの歴史の説明。加えて南越の地名の由来。

 南越の名の由来は結構面白かった。

 

 ここまでの咳き込んだような説明の後、博物館のガラス張りの展示室に通される。

 

 ここの展示品は興味深かった。

 唐草文様は色々な壺や装飾品などに施されていた。

 印章深かったものはいくつもあるが、いくつかだけ記録しておきたい。

 

  ①翡翠で作られた形と文様の複雑な器や容器。

   中国では翡翠はとても好まれているらしく、どこに行っても翡翠の説明においては熱心である。

   孔雀石などの緑の医師に比べて、中国は赤を好まれるのだろうか・・・

   それとも高価だからか・・・

 

  ②銅製の、蓋の取っ手が植物の枝で蓋に向かってはが4枚広がり、そのなかに美しい唐草文様を描いた高芦杯。

   美しい形のしたの器部分にも細かな文様が描かれている。

 

  ③43歳の歯

 

  ④糸縫玉衣(これは有名らしい)

   これも思ったより美しい形で残されている。 

 

  ⑤アラビアの文様のようにも感じる象牙で作った角玉杯

   狐とも狗とも取れる顔が印象的だった。

   細やかな細工ではなかったが、これは色も形も美しくて、心に残る。

 

  ⑥足部に蛙文様のついた高足壺

   この形態の壺類や器類は多かった。

   蛙は一見、坊主頭の子どもが、うつ伏せになって両手を前に突き出したように見える。

   顔はのっぺらぼうで真丸。

   顔から直接日本の腕が出ているような状態の文様だ。

   蛙は博物館学術員或いは従業員によると『縁起物』『蛙は守ってくれる』とだけの説明。

  『再生』という意味合いもあって、縁起物とされたのだが、この説明の主は知らないようだ。

 

  ⑦剣と鍔?

  これも保存状態がよい。

  部分的にはさび付いて掛けてはいたが、きれいに残されていた。

  鍔の文様は面白かった。

 

  ⑧??紋重瓉?玉佩

   象牙で作られた丸い装飾品。

   龍と鳳凰が描かれている。

   これは二つが組になっていて、一つは中が龍で外は鳳凰。

   鳳凰の顔、胴体は小さく、広げた羽は唐草文様のようにも見える。

   もう一つは鳳凰が中で、龍が外。

   文様がさかさまになっている。

   中国では龍と鳳凰をあわせて演技がよいとされている。

   

 他にも興味深い展示品が多かったが、時間が無いので見ることができなかった。

 この博物館は、ゆっくりと見てみたかった・・・・・・

 

 

 

                        広州市解放北路867号

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