乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

アラン『定義集』11 「真摯(しんし)Sincèrite」(もっとも曖昧な言葉の一つ。真摯というのは、もっと思惟を必要とするものだし、何よりもまず、もっと確実さを必要とする。)

2021-05-01 | 哲学

 

 

アラン『定義集』11 「真摯(しんし)Sincèrite」(もっとも曖昧な言葉の一つ。真摯というのは、もっと思惟を必要とするものだし、何よりもまず、もっと確実さを必要とする。

 

 アラン『定義集』  P、149 150より抜粋

 

真摯(しんし) Sincèrite

 もっとも曖昧な言葉の一つ。

 人は隠すことのできない人間の最初の動きを真摯と呼ぼうとするが、それはできない。

 なぜなら、最初の動きは、しばしば、全くあてにならないから。

 隠そうとするのは、全く考えてもいないことを慌てて言ってしまう臆病者の中に見られるように、本能であるから。

 真摯というのは、もっと思惟を必要とするものだし、何よりもまず、もっと確実さを必要とする。

 人が真摯と言えるのは、話し相手を疑わないで、ゆっくりと自分の考えを説明する時間がある場合だけである。

 こうした友好的な状況以外では、もっとも真摯な人間は、誤ったことは何も言わないこと、誤解されかねないことは何も言わないこと、またもちろん、確かな考えでないことは必ず黙っていることを、規制とするだろう。

 こうして真摯は、誰かを判断しなければならない時、あるいは誰かに対して賛否を明かししなければならない時、慎重となる。

 思い浮かんだことをなんでも言う軽率な人は、真摯とは言われない。

 要するに、真摯は考え抜かれているか、それともなんでもないかである。

 

真摯(しんし)とは

[名・形動]まじめで熱心なこと。また、そのさま。「真摯な態度」「真摯に取り組む」

 

真摯に受け止め、、、とは

 アランの『定義集』によれば、上に書き写したように、

   もっとも曖昧な言葉の一つ。

   真摯というのは、もっと思惟を必要とするものだし、何よりもまず、もっと確実さを必要とする。

   要するに、真摯は考え抜かれているか、それともなんでもないかである。

と分析されている。

 テレビのニュースを見ていると、事件や事故に関して責任者が謝罪をしている映像見ることがあります。

 謝罪会見ではお決まりのフレーズとなっているものに「●●を真摯に受け止めて…」という表現が多用されていますが、多くの場合、軽く表現に感じられますのは私だけでしょうか?

 少なくとも「真摯に受け止め」という言葉を使う場合には、指摘や批判について、「しっかりと聞いて反省している」ことを表した誠意ある言葉でなければなりません。

ただ、思うに、「真摯」いう言葉をアラン『定義集』で読む限りにおいては、以前からそういう風に軽々しく多用されていたのかもしれませんね。

 

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4 

 

  訳者 神谷幹夫

  北星学園大学・文学部・教授

 

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

アラン『定義集』5  「平等 égalité」(平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱などの不平等の結果を裁かなければならない時、力の比較を排除するもの)

アラン『定義集』6  「エゴイズム égoisme」(身体の境目と結びついた思考であり、快楽を選び量るように、苦しみや病気の予見を遠ざけることに専念した思考)

アラン『定義集』7  「寓話 Fable」(人の心を傷つけないで、ちょっと厳しい真理を理解させようとする、素朴な形式の説話)

アラン『定義集』8  「論理 logique」  説明(経験論/ アリストテレス/ 論理学/ デカルト/ カント/ 超越論的論理/ ベーコンとは?)

アラン『定義集』9  「哲学 philosophie」(ほとんど全ての善が、またほとんど全ての欲望が空しいと考えることによって、失望や屈辱に対して自らに警戒をうながす魂の按排である。)

アラン『定義集』10 「プラトン主義 platonisme」(肉体の美しさは魂の完全さのしるしでしかないと考える、愛の一つの性格。そのような魂の完全さこそ、重大な関心事だと主張する。)

アラン『定義集』11 「真摯(しんし)Sincèrite」(もっとも曖昧な言葉の一つ。真摯というのは、もっと思惟を必要とするものだし、何よりもまず、もっと確実さを必要とする。)

 

 

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アラン『定義集』10 「プラトン主義 platonisme」(肉体の美しさは魂の完全さのしるしでしかないと考える、愛の一つの性格。そのような魂の完全さこそ、重大な関心事だと主張する。)

2021-05-01 | 哲学

影向の松(春日大社)

 

 

アラン『定義集』10 「プラトン主義 platonisme」(肉体の美しさは魂の完全さのしるしでしかないと考える、愛の一つの性格。そのような魂の完全さこそ、重大な関心事だと主張する。

 

 アラン『定義集』  P、128 129より抜粋

 

プラトン主義 platonisme

 肉体の美しさは魂の完全さのしるしでしかないと考える、愛の一つの性格。

 そのような魂の完全さこそ、重大な関心事だと主張する。

 愛は全て、持続と幸福とを、従って愛される対象の完全さを求めるという意味で、プラトニックなものである。

 のような完全さは、均衡、関係、適合といった魂にとってしか、また、魂にとってしか存在しないものを内容としている。

 例えば、形の高貴さは魂における、また魂にとっての高貴さである。

 それは卑しさが結局、常のなかに(あるいは判断の中に)存在するのと同様である。

 だから、我々が嫌うのは、愛するのは結局、魂なのだ。

 言い換えればある判断、ある感じ方、ある自由の行使である。

 

 

 

  アラン『定義集』

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4 

 

  訳者 神谷幹夫

  北星学園大学・文学部・教授

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

アラン『定義集』5  「平等 égalité」(平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱などの不平等の結果を裁かなければならない時、力の比較を排除するもの)

アラン『定義集』6  「エゴイズム égoisme」(身体の境目と結びついた思考であり、快楽を選び量るように、苦しみや病気の予見を遠ざけることに専念した思考)

アラン『定義集』7  「寓話 Fable」(人の心を傷つけないで、ちょっと厳しい真理を理解させようとする、素朴な形式の説話)

アラン『定義集』8  「論理 logique」  説明(経験論/ アリストテレス/ 論理学/ デカルト/ カント/ 超越論的論理/ ベーコンとは?)

アラン『定義集』9  「哲学 philosophie」(ほとんど全ての善が、またほとんど全ての欲望が空しいと考えることによって、失望や屈辱に対して自らに警戒をうながす魂の按排である。)

アラン『定義集』10 「プラトン主義 platonisme」(肉体の美しさは魂の完全さのしるしでしかないと考える、愛の一つの性格。そのような魂の完全さこそ、重大な関心事だと主張する。)

 

 

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アラン『定義集』9  「哲学 philosophie」(ほとんど全ての善が、またほとんど全ての欲望が空しいと考えることによって、失望や屈辱に対して自らに警戒をうながす魂の按排である。)

2021-05-01 | 哲学

 

 

アラン『定義集』9  「哲学 philosophie」(ほとんど全ての善が、またほとんど全ての欲望が空しいと考えることによって、失望や屈辱に対して自らに警戒をうながす魂の按排である。)

 

 アラン『定義集』  P、127より抜粋

 

哲学 philosophie

 ほとんど全ての善が、またほとんど全ての欲望が空しいと考えることによって、失望や屈辱に対して自らに警戒をうながす魂の按排である。

 哲学者が目指しているのは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じとることである。

 哲学者の欠点は、非難する傾向が強いこと、そして会議を特に好むことだ。

 

 

 

  アラン『定義集』

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4 

 

  訳者 神谷幹夫

  北星学園大学・文学部・教授

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

アラン『定義集』5  「平等 égalité」(平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱などの不平等の結果を裁かなければならない時、力の比較を排除するもの)

アラン『定義集』6  「エゴイズム égoisme」(身体の境目と結びついた思考であり、快楽を選び量るように、苦しみや病気の予見を遠ざけることに専念した思考)

アラン『定義集』7  「寓話 Fable」(人の心を傷つけないで、ちょっと厳しい真理を理解させようとする、素朴な形式の説話)

アラン『定義集』8  「論理 logique」  説明(経験論/ アリストテレス/ 論理学/ デカルト/ カント/ 超越論的論理/ ベーコンとは?)

アラン『定義集』9  「哲学 philosophie」(ほとんど全ての善が、またほとんど全ての欲望が空しいと考えることによって、失望や屈辱に対して自らに警戒をうながす魂の按排である。)

 

 

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アラン『定義集』8  「論理 logique」  説明(経験論/ アリストテレス/ 論理学/ デカルト/ カント/ 超越論的論理/ ベーコンとは?)

2021-05-01 | 哲学

 

 

 

アラン『定義集』8  「論理 logique」(経験論/ アリストテレス/ 論理学/ デカルト/ カント/ 超越論的論理/ ベーコンとは?

 

 アラン『定義集』  P、81 82より抜粋

 

論理 logique

 考察する対象が何であろうとも、精神が自己自身に負っている物を、精神に教える学問。

 精神は普遍的に、すなわち経験とは無関係な証拠によって考えることを、自らにおっている。

 たとえば、ひとは経験論によって非常にうまく考えることができる。

 しかし、少なくとも一度は証拠を捉え直すことが、精神にはより一層ふさわしい。

 論理にはたくさんの階段があって、抽象的なものから具象的なものまで及んでいる。

 アリストテレス論理学は、言語における論理的一貫性を論じた一般文法である。

 デカルトの論理学、あるいは秩序の論理は(思考と延長という)十全な系列によって考えることを我々に教えている。

 カントの論理学、あるいは超越論的論理は、あらゆる認識において、形式を実質から切り離し、あらゆる種類の証拠を、可能な限り、純化している。

 最後に、ベーコンの論理学、あるいは実験的論理は、サイズ、記述的言語、道具、記録資料、公開討論、などに関するあらゆる経験の徹底した身長差を探求している。

 

 

経験論(けいけんろん)

経験主義(けいけんしゅぎ、(英: empiricism)

 人間の全ての知識は我々の経験に由来する、とする哲学上または心理学上の立場である(例:ジョン・ロックの「タブラ・ラサ」=人間は生まれたときは白紙である)。

 中でも感覚・知覚的経験を強調する立場は特に感覚論と呼ぶ。

 この語彙・概念自体は、元々は17世紀から18世紀にかけて生じた近代哲学の認識論において、英国を中心とする経験主義的傾向が強い議論(イギリス経験論)と、欧州大陸を中心とする理性主義(合理主義)的性格が強い議論(大陸合理論)を区別するために生み出されたものだが、現在では遡って古代ギリシア以来の西洋哲学の傾向・系譜を大別する際にも用いられる。

 経験論は哲学的唯物論や実証主義と緊密に結びついており、知識の源泉を理性に求めて依拠する理性主義(合理主義)や、認識は直観的に得られるとする直観主義、神秘主義、あるいは超経験的なものについて語ろうとする形而上学と対立する。

 経験論における「経験」という語は、私的乃至個人的な経験や体験というよりもむしろ、客観的で公的な実験、観察といった風なニュアンスである。

 したがって、個人的な経験や体験に基づいて物事を判断するという態度が経験論的と言われることがあるが、それは誤解である。

 

アリストテレス(アリストテレース)

 古代ギリシアの哲学者である。

 プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。

 知的探求つまり科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる。

 特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。

 様々な著書を残し、イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。

 また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。

 アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。

 ギリシャ語ではこれをフィロソフィアと呼ぶ。

 フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。

 この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。

 著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。

 アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。

 アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている。

 

ルネ・デカルト(仏: René Descartes、1596年3月31日 - 1650年2月11日)

 フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。

 考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上で最も有名な命題の一つである。

 そしてこの命題は、当時の保守的思想であったスコラ哲学の教えであるところの「信仰」による真理の獲得ではなく、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している。

 デカルトが「近代哲学の父」と称される所以である。

 ただし、デカルトはそのすべてを信仰も根ざして考えており、著書『方法序説』においても神の存在証明を哲学的にしようと試みてさえいる。

 初めて哲学書として出版した著作『方法序説』(1637年)において、冒頭が「良識 (bon sens) はこの世で最も公平に配分されているものである」という文で始まるため、思想の領域における人権宣言にも比される。

 また、当時学術的な論文はラテン語で書かれるのが通例であった中で、デカルトは『方法序説』を母語であるフランス語で書いた。

 その後のフランス文学が「明晰かつ判明」を指標とするようになったのは、デカルトの影響が大きい、ともいわれる。 レナトゥス・カルテシウス (Renatus Cartesius) というラテン語名から、デカルト主義者はカルテジアン(仏: Cartésien ; 英: Cartesian)と呼ばれる。

 その他、デカルト座標系(仏: système de coordonnées cartésiennes ; 英: Cartesian coordinate system)のようにデカルトの名がついたものにもカルテジアンという表現が用いられる。

 

論理学

 ここでいう論理とは、思考の形式及び法則である。

 これに加えて、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりを指す。

 よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを明確にし、論証を過不足なく行うということである。

 論理学は、伝統的には哲学の一分野である。 

 数学的演算の導入により、数理論理学(記号論理学)という分野ができた。

 現在では、数理論理学は数学と論理学のどちらであるとも(時にどちらでないとも)される。

 現在の論理学は、(それを論理学であるとするなら)数理論理学と、数理論理学をふまえた論理学、数理論理学でない論理学に分化している。

 弁証法なども、「論理」なのであるが、論理学における論理とは異なる。

 これらは、論理というよりむしろ理論 (Theory)である。

 なお、日本語の「論理学」という語は西周によるものとされている。

 

十全[名・形動]

  1 少しも欠けたところがないこと。十分に整っていて、危なげのないこと。

   また、そのさま。万全。「十全を期して念を入れる」「十全な(の)備え」  

  2 概念または判断が、その表す対象と完全に相応すること。

 

イマヌエル・カント

 1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。

『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。

 フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。

 

超越論哲学(ちょうえつろんてつがく、独: Transzendentalphilosophie, 英: transcendental philosophy)とは

 カントを中心とし、フィヒテやシェリングなどにも見られる哲学に対する態度。

 超越論的哲学(ちょうえつろんてきてつがく)とも言われる。

 古くは、先験哲学、先験的哲学という用語が使われていたが、アプリオリ(a priori)の訳語で与えられる「先天的」という表現と紛らわしいため、現在では見られない。

 なお、Transzendentalに「超越論的」という訳語を最初に提案したのは、九鬼周造であるといわれている。

 なお、カントに限定していえば、批判哲学(kritische Philosophie)と指している内容はほぼ同じであると言って良い。

 認識論的分類では、超越論的観念論(先験的観念論、超越論的主観主義、独: Transzendentaler Idealismus, 英: transcendental idealism)という括りに入れられたりもする。

 

フランシス・ベーコン

 初代セント・オールバン(ズ)子爵フランシス・ベーコン

 イギリスの哲学者、神学者、法学者、政治家、貴族である。

 イングランド近世(ルネサンス期、テューダー朝(エリザベス朝)からステュアート朝)の人物。

「知識は力なり」(Ipsa scientia potestas est)の名言や、「イドラ」の概念で有名。

 

  アラン『定義集』

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4 

 

  訳者 神谷幹夫

  北星学園大学・文学部・教授

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

アラン『定義集』5  「平等 égalité」(平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱などの不平等の結果を裁かなければならない時、力の比較を排除するもの)

アラン『定義集』6  「エゴイズム égoisme」(身体の境目と結びついた思考であり、快楽を選び量るように、苦しみや病気の予見を遠ざけることに専念した思考)

アラン『定義集』7  「寓話 Fable」(人の心を傷つけないで、ちょっと厳しい真理を理解させようとする、素朴な形式の説話)

アラン『定義集』8  「論理 logique」  説明(経験論/ アリストテレス/ 論理学/ デカルト/ カント/ 超越論的論理/ ベーコンとは?)

 

 

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アラン『定義集』7  「寓話 Fable」(人の心を傷つけないで、ちょっと厳しい真理を理解させようとする、素朴な形式の説話)

2021-05-01 | 哲学

 

 

アラン『定義集』7  「寓話 Fable」(人の心を傷つけないで、ちょっと厳しい真理を理解させようとする、素朴な形式の説話)

 

 アラン『定義集』  P、81 82より抜粋

 

寓話 Fable

 これは人の心を傷つけないで、ちょっと厳しい真理を理解させようとする、素朴な形式の説話である。

 動物が話すというフィクションは、礼儀の属するもので、誰も欺くものではない。

 例えば「獅子の分け前」ということ、これがある王様について言われたのならば、戦慄するであろう。

 人はそれを信じない理由を探しさえもするだろう。

 それに対して獅子の爪は、そういう恐れは全くない。

 

 

  アラン『定義集』

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4

 

 

訳者 神谷幹夫

 北星学園大学・文学部・教授

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

アラン『定義集』5  「平等 égalité」(平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱などの不平等の結果を裁かなければならない時、力の比較を排除するもの)

アラン『定義集』6  「エゴイズム égoisme」(身体の境目と結びついた思考であり、快楽を選び量るように、苦しみや病気の予見を遠ざけることに専念した思考)

アラン『定義集』7  「寓話 Fable」(人の心を傷つけないで、ちょっと厳しい真理を理解させようとする、素朴な形式の説話)

 

 

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アラン『定義集』6  「エゴイズム égoisme」(身体の境目と結びついた思考であり、快楽を選び量るように、苦しみや病気の予見を遠ざけることに専念した思考)

2021-05-01 | 哲学

 

 

アラン『定義集』6  「エゴイズム égoisme」(身体の境目と結びついた思考であり、快楽を選び量るように、苦しみや病気の予見を遠ざけることに専念した思考)

 

 アラン『定義集』  P.71、72より抜粋

 

エゴイズム égoisme

 身体の境目と結びついた思考であり、快楽を選び量るように、苦しみや病気の予見を遠ざけることに専念した思考である。

 もし、エゴイズムが魂から恥ずべき情感、卑怯さ、過ち、悪徳を遠ざけるために魂を監視するならば、エゴイズムは一種の特になるだろう。

 しかし、エゴイズムはその用法常、意味の拡大を禁じている。

 

  アラン『定義集』

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4

 

 

訳者 神谷幹夫

 北星学園大学・文学部・教授

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

アラン『定義集』5  「平等 égalité」(平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱などの不平等の結果を裁かなければならない時、力の比較を排除するもの)

アラン『定義集』6  「エゴイズム égoisme」(身体の境目と結びついた思考であり、快楽を選び量るように、苦しみや病気の予見を遠ざけることに専念した思考)

 

 

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アラン『定義集』5  「平等 égalité」(平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱などの不平等の結果を裁かなければならない時、力の比較を排除するもの)

2021-05-01 | 哲学

 

 

アラン『定義集』5  「平等 égalité」(平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱、そしてそのような常に力の不平等の結果であることを裁かなければならない時、力の比較を排除するもの)

 

 アラン『定義集』  P.71より抜粋

 

平等 égalité

 平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱、そしてそのような常に力の不平等の結果であることを裁かなければならない時、力の比較を排除するものである。

 たとえば、富者と貧者の間には、人の意見に働きかける手段において、一種の不平等がある。

 強者と弱者の間には物をとったり守ったりする手段において一種の不平等がある。

 詐欺師と被害者の間においての情報量において一種の不平等がある。

 何れにしてももう的支配の状態は、これらの不平等をいっさい顧慮しない判決によって定義される。

 例えば、買収されない、脅しに屈しない、決定する前に吟味する配慮によってである。

 

 

  アラン『定義集』

  モーリス・サヴァン刊行

  神谷幹夫  翻訳

  岩波文庫 

  青656-4

 

 

訳者 神谷幹夫

 北星学園大学・文学部・教授

 

アラン『定義集』1 (フランス国立図書館にある木箱の中に、アランの手稿の264枚のカードがある 訳者覚書より)

アラン『定義集』2 (言表の単純な厳密さによって静謐な徳、イデオロギーとは無関係の、論争では得られない徳、即ち全ての真の省察の原型であり、源泉である徳を、獲得している。)

アラン『定義集』3 (アランはいう、…哲学者が目指しているものは、自然的で自分に嘘をつかないものだけを感じ取ることである。哲学者の欠点は、避難する傾向が強いこと、そして懐疑を解くことを好むことだ。)

アラン『定義集』4  「文明 civilisation」(他のところではよく吟味もされず、特に驚きもなく受け入れられている実践を、不可能にする。例えば、奴隷制、子どもの去勢、拷問、魔法使いの処刑。)

アラン『定義集』5  「平等 égalité」(平等は一つの法的支配の状況であって、窃盗、権力の濫用、侮辱などの不平等の結果を裁かなければならない時、力の比較を排除するもの)

 

 

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