乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

乱鳥徒然 : 連休を終えての心構え(思い切り今日いう日を楽しみ、満足の行く時間をつなぎ合わせていきたい。)

2021-05-06 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

写真は今年の梨の花 三室山と竜田川の近くで

 

 

 連休が終わる。

 今日は事務的雑用が多く、バタバタとしていた。

 中学の頃に読んだ漱石の『心』を小一時間読んでいたが、如何にもこうにもプラトンが読みたい。

 ところが数個の雑用が重なり、家を開けることができない。

 困り果てていたら、家人が図書館に出向いてくれた。

 ありがた〜や〜。

 

 雑用が多く、空は晴れ渡っていたので、布団をほし、秋冬用洋服を大量に洗濯する。

 暖かなシーツも洗濯。

 今日は洗濯機がフル回転であった。

 

 布団ばかりか、かなりの枚数のイランのカーペットも干していたので、サァ大変。

 絨毯は埃っぽくなるので少なくとも週に二、三度は天日干しをし、ワイパーをかけ、掃除機をかけるのだが、これだけ掃除をしていても、埃はどこからか舞い込んでくる。

 まるで、安部公房の『砂の女』を思い浮かべる。

 絨毯は重く、枚数が多すぎるので、これも家人に手伝ってもらっている。

 

 最近の強風と雨で、ガレージや表玄関に花や葉が舞い込んでいた。

 丹念に掃き掃除をし、表のわずがな雑草も抜き、道の真ん中までの誇りとゴミを取り去ると、大層な運動量になっていたらしい。

 今日もこれといって運動もせず、一歩も外出してない安直な生活を送っていたが、歩数は7000歩を超えていた。

 家事だけでこの程度なら、まぁまぁ主婦として許せる範囲に動いているのではないかと、自分を弁護する。

 

 繰り返すが、連休が終わった。

 今日はとりあえず漱石を少し読んだ。

 実は十代前半に数作品ほど読んだ漱石だが、書生に対する態度の横柄さで漱石と離れたという経緯がある。

 そのコンプレックスを恥じ入り、一、二年前に、オレンジのおきまりの漱石全集全巻を買い揃えた。

 ところがどっこい、書棚に置き去り。

 不思議なことに家人が漱石を没頭して読んでいた。

 漱石に対する感情は、私の思い違いではないだろうか?

 そんな不安な気持ちがよぎり、全集を揃えたという心苦しさも手伝って、少しづつ読み始めようかと思い始めた。

 

 哲学や神話でも遊びたい。

 博物館の代わりに古典(『枕草子』『黄表紙』『年中行事絵巻)』も再開したい。

 録画で、芝居も見たい。

 幸いにして、最近では、庭で読書ということも多く、長い時では庭に数時間いることも多い。

 今は小手毬とレンギョが狂い咲き。

 ガーデンテーブルで青空や曇り空が見え、雨に日は雨音を感じ風を感じ、鳥のささやきや虫の羽音に触れながら読書は私の至福のひと時である。

 庭の端っこにイラン人のように絨毯を敷き、そこでは犬っころが寝そべる。

 犬っころの横で家人も戯れる。

 

 銅色の床几の上に座布団を枕がわりに引き、傘で直射日光を遮り、寝転んで本を読む。

 大きな石に背中を委ね、背を伸ばす。

 少し小さな石は椅子がわり。

 足を乗せ、明日を伸ばし、運動さえも楽しめる。

 コロナになって、庭を満喫する癖がついた。

 

 コロナのこの時期に何かを極めたい。

 古典は写本や版本で少しは楽しめたので、哲学あたりで遊んでみよう。

 とりあえず、明日から心機一転巻き直し。

 時間の配分を考え、一日割いて、最低読書に六時間ほどは確保したい。

 そして思い切り今日いう日を楽しみ、満足の行く時間をつなぎ合わせていきたい。

 

 本日も乱鳥の戯れにお付き合い下さいましてありがとうございます。

 皆様がお健やかで満足のいくお時間を過ごされますように^^

 楽しいお時間をお過ごし下さいませ!

 

 

 

 

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『パイドロス』プラトン著 1 (ソクラテスがパイドロスと出くわすところから話は始まる。「やあ、パイドロス、どこへ?そしてどこから来たのかね」)

2021-05-06 | 哲学

写真は映画『オネーギンの恋文』加工

 

 

 

 

 『パイドロス』プラトン著 1 (ソクラテスがパイドロスと出くわすところから話は始まる。「やあ、パイドロス、どこへ?そしてどこから来たのかね」)

 

P.9

「やあ、パイドロス、どこへ?そしてどこから来たのかね」

 

パイドロス

 ソクラテス - 60代頃。

 パイドロス - アテナイのミュリノス区域出身。

 弁論作家リュシアスの心酔者。

『饗宴』にも登場。

 

パイドロス

 紀元前5世紀末、真夏の日中、アテナイ南郊外にて。

 ソクラテスがパイドロスと出くわすところから話は始まる。

 パイドロスは朝早くから弁論作家リュシアスのところで長い時間を過ごし、今出てきたところで、これから城壁の外へ散歩に行く所だという。

(リュシアス等ケパロスの一家は、アテナイ市民ではなく、アテナイの外港ペイライエウスに住む富裕居留民だが(『国家』参照)、リュシアスはその時はアテナイの町に来て、城壁の南東内側にあるゼウス神殿近くの、民主派政治弁論家エピクラテスの家に滞在しており、そこで一緒に時を過ごしたのだという。)

 

 パイドロスとリュシアスが何を話していたのか気になるソクラテスは、パイドロスの散歩に付き合いながら聞き出そうとする。

 なんでも、リュシアスが書いた、「好きでもない美少年を口説く男」の風変わりな恋(エロース)の話だという。

 俄然興味が湧いたソクラテスは、パイドロスがその文書を上着の下に隠してるのを見つけ、是非教えてくれるよう頼む。

 2人はイリソス川に入って川沿いに歩いて行き、プラタナスの木陰に腰を下ろし、恋の話を披露し合いまた語らい合う。

 十分に語らい合い、両者がそこを立ち去るまでが描かれる。

 

パイドロス (岩波、作品紹介)

 真実そのものの把握なしには真実らしく語ることさえ本来的に不可能であることを立証。

「哲学」の立場から鋭く当時の弁論術を批判したのがこの対話編である.

 本書はプラトンの代表作の一つ。

 特に『ソクラテスの弁明』をはじめとする前期著作群を『テアイテトス』以降の著作に結びつけてゆく重要な役割を担っている

 

パイドロス

 本作は、その甘美で爽快感のある情景や描写により、時期的にやや先行する同じ中期の作品『饗宴』『パイドン』と並び称される。

 また、プラトンの思想の中核をなす諸概念が多彩に盛り込まれつつ、うまくまとめられ、それまでの初期・中期の著作の総括的な内容になっていることもあり、同時期に書かれた『国家』とも併せてよく言及される。

 文体論による分類では、本作『パイドロス』に続いて、『パルメニデス』『テアイテトス』が中期の作品に含まれるが、それら二作品は、後期の作品である『ソピステス』『政治家』と内容的に一続きの「四部作」を形成し、イデア論を論理学的・認知論的に掘り下げていく発展的な内容を扱っていくことになるので、本作『パイドロス』はその直前の、『饗宴』『パイドン』『国家』と続く中期作品において、人生・政治や魂・エロース・感覚(視覚)と関連付けて比較的素朴・概説的に述べられる「前期イデア論」の流れの、締め括りの作品に位置付けられる。

 また、弁論術(レートリケー)が後半の主要な題材となっていることもあり、初期の作品である『ゴルギアス』との関連・対比についても、度々言及される。

 また後期の作品である『ソピステス』では、本作と同じく「弁証術(ディアレクティケー)と哲学者の関係」について言及するくだりがある。

 なお、この対話の最後尾には、「書き言葉」批判と「話し言葉」称揚と解釈されやすい内容が含まれており、この部分は西洋の「話し言葉中心主義」の象徴として、言語を巡る思想的コミュニケーションにおいて、好んで言及される(参照:パロールとエクリチュール、脱構築)。(ただし、プラトンは、「書き言葉」「話し言葉」を問わず、「言葉」(あるいは「物体(模造)」)といった脆弱なものに依拠・満足し、執拗・綿密な問答を通して内的な「知性(魂)」を育てていく先にある「真実在(イデア)そのものの観照」へと向かわないことや、執拗・綿密な問答を通しての「「知」の受け渡し(飛び火)」であるべき哲学(愛知)の営みがないがしろにされることに対する批判を、『国家』の「線分の比喩」や『第七書簡』など各所で度々述べており、本篇の記述も、哲学者(愛知者)と関連付けて述べられていたり、前段で「話術」としての弁論術に対する批判も行われている以上、「書き言葉」批判と「話し言葉」称揚といった近視眼的・短絡的な解釈よりは、そうした「言葉」そのものへの依存に対する批判の一環と理解した方が、より整合的な解釈となる。)

 

参考

『パイドロス』

 プラトン著 

 藤沢令夫訳

 岩波文庫 青01−5

Wikipedia

 

『パイドロス』プラトン著 1 (ソクラテスがパイドロスと出くわすところから話は始まる。「やあ、パイドロス、どこへ?そしてどこから来たのかね」)

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梶井基次郎の『檸檬』を我が子が読んで・・・・・・・。

2021-05-06 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 連休のこと。

 PCR検査を受けた上で、大きなバイクに乗って、三日間、子供が帰ってきた。

話しまくり、まぁ、かしましいことと言ったら、この上ない。、、、私が^^v

 

 腕によりをかけて、ダイエットも考えた料理を作ると、肉類を多く食べているにもかかわらず、子供の顔は心なしかスマートな方向になる。

 こども、喜ぶ。

 まずはこれからの一ヶ月、食事に気をつけると、笑っていた。

 

 

 子供、この三日間で簡単な本二冊を読み終え、隣町の書店へ出向く。梶井基次郎の『檸檬』を買って来て読むこと二回。

 というのも、哲学やギリシャ神話の話をしていた時に、子供が突然、

「『檸檬』って読んだ?」

と聞くので、

「(哲学の)檸檬は知らない。梶井基次郎の檸檬なら、三回読んだけど。」

というと、

「そうその檸檬。どうだった?」

と問うてくる。

 

 あれを読んだから、京都丸善が好きで、高校、大学、社会人時代には足繁く一人で丸善に通った旨を話す。

 丸善の片隅のひっそりとした一角の端居行くと、少し薄暗くイメージを膨らませることができうる場所があって、そのほんの上にレモンを置くと言うイメージを自分で作り上げる。

 本で読んだイメージのように、檸檬は揮発性(?)の臭気を放ち、明るくきいろい軽やかな空間を放出する。

 本でも丸善でもそんなイメージを感じては楽しんでいたと言った。

 

 しかしながら、子供は二度読んで首を傾げていた。

 お母さん、レモンの形が浮かんで来たんだけど、、、。

 

 ウンウン、芸術のせよ読み物にせよ、人それぞれでいいんだと感じた。

 ただ、子供も小説『檸檬』はまんざらでもなかったらしく、余韻に浸り、次の小説にはすぐに手をつけなかった。

 そこが、彼らしい。

 なかなかよく味わっているなと感じた。

 

 

 

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