乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

納富信留「プラトンの問いかけ」ー高校生のための東京大学オープンキャンパス2017 模擬講義

2021-05-05 | 哲学

 

 

納富信留「プラトンの問いかけ」ー高校生のための東京大学オープンキャンパス2017 模擬講義

 

 

 びっしりとメモを取りながら、聞かせていただいた。

 こんなに素晴らしい講義を配信していただいているとは。

 哲学を全く知らない私にとって、少しだけ考え方や捉え方がわかったような気がする。

 ここ最近では『ソクラテスの弁明』(岩波文庫)が私の哲学書の一冊目であったが、多い時には10回ほど読み開始、書き写しながら読んだので、本は開くは10時間以上かかるわと、多少へこたれそうになりながら読んだが、哲学は一度読むのではなく、納富信留先生がおっしゃるには

「何度も読んでいるいつに、自分が変わる。哲学は想像力を通じ、想像力で変えていく。 (超越(イデア論))」

ことが大切であるとおっしゃっていた。

 

 入口が見えない哲学だが、納富信留「プラトンの問いかけ」をみて、少し救われたきたした。

 

 

 

イデア論

 プラトンの弟子のアリストテレスは、《形相》や《類》の分割や交わりが引き起こす「1対多問題」や、定義の「一性」問題について考察しつつ、自己の哲学を確立していった。

 およそ500年後のプロティノスは、万物は一者(善のイデア)から流出したとした(→ネオプラトニズム)。

 イデアが実在すると考える考えは後にidealism(観念論)と呼ばれるようになった。そして「実在論」(realism) の系譜に属する、とされるようになった。

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アラン【Alain】『幸福論』9  読了  (アランの『幸福論』を読んだのは二回目だが型苦しく考えず、読み物としても、面白かった)

2021-05-05 | 哲学

熊野権現縁起絵巻 和歌山県立博物館蔵

 

 アラン【Alain】『幸福論』9  読了  (アランの『幸福論』を読んだのは二回目だが型苦しく考えず、読み物としても、面白かった)

 

 

アラン『幸福論』P.5-325 読了

 各々の項目を想像しながら読み進めていると、項目ごとに、

     ウンウン、わかる

     私もそうだわ。

     いや、そこは、少し固執質疑かも

など、一人でへらへらと笑いながら読んでいた。

 アランの『幸福論』はうまく引用し、うまく皮肉り(という言葉が正しいかどうかは知らないが)、哲学というよりは読み物のようでもあった。

 

 アランの『幸福論』を読んだのは実は二回目である。

 いつどめは二回生か三回生の頃に割合に心理学にはまっていたことがあった。

 その一環として、読んだのが、アランの『幸福論』

 アランの『幸福論』は哲学じゃないかと言われそうだが、心理学にはまっていた私には、三条河原町の新振動で次読む本を物色し購入したアランの『幸福論』は大変面白く感じた。

 おそらく高校時代にのめり込んだ安部公房や寺山修司の私自身の連想イメージも加わっているのかも知れない。

 こんなことを書くと、君はわかってないと言われそうだが、アランの『幸福論』は若干畝のに名を匂わせっる部分があると感じた。

 

 アランの『幸福論』は面白かったので、時を置いて、もう一度読むことになりそうだ。

 今回も簡単な読んだという記録のみにて、失礼いたします。

 

 

 

 

   アラン『幸福論』

   岩波文庫

   1998

   アラン  (著), Alain (原著)

   神谷 幹夫 (翻訳)

 

アラン【Alain】『幸福論』1 (言葉memo ストア派とは / デカルトについて)

アラン【Alain】『幸福論』2 (言葉memo モーリス・バレス / ヴォルテール / ルネ・デカルト / ピュロス)

アラン【Alain】『幸福論』3 (言葉memo プラトン 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。)

アラン【Alain】『幸福論』4 (言葉memo デカルト「我思う、ゆえに我あり」 / スピノザ「汎神論(はんしんろん)」)

アラン【Alain】『幸福論』5  言葉memo 『ユリシーズ』(Ulysses アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。)

アラン【Alain】『幸福論』6  言葉memo ストア主義(へレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくか)

アラン【Alain】『幸福論』7  「汝自らを知れ」(古代ギリシアの賢人の中でこの格言の作者と言われたことがあるのは少なくとも、6人)

アラン【Alain】『幸福論』8  デカルト「情念論」(フランスの哲学者 1596年~1650)「精神は考えるモノ」「精神は考えるモノ」

アラン【Alain】『幸福論』9  読了  (アランの『幸福論』を読んだのは二回目だが型苦しく考えず、読み物としても、面白かった)

 

 

 

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アラン【Alain】『幸福論』8  デカルト「情念論」(フランスの哲学者 1596年~1650)「精神は考えるモノ」「精神は考えるモノ」

2021-05-05 | 哲学

宇治拾遺物語絵巻 チェスター・ビーティー・ライブラリィ所蔵

 

 

 アラン【Alain】『幸福論』8  デカルト「情念論」(フランスの哲学者 1596年~1650)「精神は考えるモノ」「精神は考えるモノ」

 

 

アラン『幸福論』P.254-256 memo

デカルト「情念論」

「情念論」は、フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596年~1650年)著

 1649年

  本書でデカルトは心身二元論の観点から「情念」(Passion)について論じている。  

    精神は考えるモノ

    精神は考えるモノ

 デカルトは『省察』で主張していた。

 

 精神と身体はあくまで別々に存在する。

 しかしここで難題が生じてくる。

    人間は考えるモノである

    延長をもつモノ

 私たちは精神としても、また身体としても存在している。

 

 

精神と肉体のつながり

 デカルトいわく、

 私たちの精神にとっては、身体が最も「能動的」なものだ(ここでいう能動的とは、意識の向こう側から働きかけてくる、ということ。

 自律的と言ったほうが分かりやすいかもしれない)。

 

 一方、情念は精神と同じく受動的なものだ。

 

 情念を認識するためには、精神と身体の違いを吟味して、私たちのもつ機能が精神と身体のどちらに属するかを見なければならない(デカルト)

 

 

「精気なんて無いけれど?」と言う前に

 現代の水準から言えば、精気が神経を通って筋肉を動かしているとする主張は正しいものとは言えない。

 だがそうした批判自体にあまり価値はない。むしろ大事なのは次のことだ。

 

 デカルトは、私たちの身体は神の意志によってではなく、それ自身のメカニズムによって運動する、と考えた。

 これは当時の水準から考えると、とても卓越した視点だったと言える。

 当時のヨーロッパでは、人間は神の被造物だという見方がいまだに強い力をもっていたからだ。

 

 デカルトによれば、情念は、脳に含まれる精気が心臓の動きを早めたり遅めたりするのに役立つ方向へと流れるときに生じてくる。

 したがって、ドキドキしたり、ビックリして心臓が止まりそうになるときには情念が働いているということになる。

 

 身体の運動をリードしているのは意識(精神)ではなく情念だ、ということだ。

 私たちは自分がしようと意思していないことを(むしろそれに反対しているときでも)してしまうことがある。

 たとえば私たちは誰かを愛そうと思って愛することはできない。

 なぜなら愛は自分の意識(精神)によって完全にコントロールできるものではなく、精神のかなたから到来してくる感情だからだ。

 

デカルトの、喜怒哀楽

 デカルトによれば、私たちの基本的情念は、驚き、愛、憎み、欲望、喜び、悲しみの6つだ。

 確かにそれらはどれも意識して得られる感情ではない。

 驚こうと思って驚くことはできないし、悲しいときに嬉しくなろうと思っても無理だ。

 嬉しいときは嬉しいし、悲しいときは悲しい。

 

 デカルトいわく、なかでも欲望は特別の位置を占めている。

 なぜならそれらの情念は、驚きを除いて、欲望を通じてのみ行為を引き起こすことができるからだ。

それはなぜか。喜怒哀楽が現在に限定されているのに対して、欲望は精神に未来の対象を目がけさせる本性をもつからだ。

 

デカルトの欲望コントロール

 私たちの情念は欲望を通じて、精神に対して未来の対象を目がけて行為するよう意志させることができる。

 私たちにとって欲望はとても重要だ。

 なぜなら欲望があってこそ、私たちは「善」を目がけることが出来るからだ。そうデカルトは言う。

 

 しかしデカルトは私たちは欲望の赴くままに行為するべきだと言うわけではない。

 私たちはまず、何が善であるかを理性と経験によって見て取らなければならない。

 それによって私たちは善と悪を区別し、本当の善を目がけることができるようになるからだ。そうデカルトは主張する

 

 

   アラン『幸福論』

   岩波文庫

   1998

   アラン  (著), Alain (原著)

   神谷 幹夫 (翻訳)

 

アラン【Alain】『幸福論』1 (言葉memo ストア派とは / デカルトについて)

アラン【Alain】『幸福論』2 (言葉memo モーリス・バレス / ヴォルテール / ルネ・デカルト / ピュロス)

アラン【Alain】『幸福論』3 (言葉memo プラトン 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。)

アラン【Alain】『幸福論』4 (言葉memo デカルト「我思う、ゆえに我あり」 / スピノザ「汎神論(はんしんろん)」)

アラン【Alain】『幸福論』5  言葉memo 『ユリシーズ』(Ulysses アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。)

アラン【Alain】『幸福論』6  言葉memo ストア主義(へレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくか)

アラン【Alain】『幸福論』7  「汝自らを知れ」(古代ギリシアの賢人の中でこの格言の作者と言われたことがあるのは少なくとも、6人)

アラン【Alain】『幸福論』8  デカルト「情念論」(フランスの哲学者 1596年~1650)「精神は考えるモノ」「精神は考えるモノ」

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